梅雨明け前の夕暮れに 第32話
公園の中央にある噴水から水がいきおいよく吹きあがった。
爽やかな風が、生き生きと輝く草花をやさしくゆらす。
――いい風。
快い風を肌に感じながら、美夏は波打つ光景に眸を細めた。
今日は湿度が低く、過ごしやすい。出かけるにはちょうどよい一日だった。
――今頃あいつはなにをしているのかしらね?
広い遊歩道を歩きながら美夏は蘭のことをおもう。
――こんないい日でも部屋で本でも読んでいるのかしら。
もったいない、とおもいながら、そのうちどこかに連れ出してやろうとおもった。
一緒に出かけるところを考えるだけで、こころが浮足立つ。
だが、そのとき彼は笑ってくれるだろうか?
「……」
せつなさと、かなしみが胸にこみ上げてくる。
いまのままでは無理だろう。だが、いつの日か、必ず彼をこころから笑わせてみせる。彼のこころからの笑顔をみるためにはどうすればいいだろうか? もっと彼に近づかなければならないだろう。一緒にいる時間をふやし、彼のことをもっと知らなければならない。彼との時間をふやすためには行動あるのみだ。そして、いつの日か、必ず、彼の笑顔を、彼に笑顔を……。
「?!」
一瞬、さゆりの姿が頭をよぎった。足がとまる。
だが、すぐにとまった足を前へと動かし、
――それができるのは、私だけよ。
彼女には負けない、とおもいながら歩みをすすめてゆく。
そのまま怒ったような貌で彼女が歩いてゆくと、前から二人組の男女がこちらにやってくるのがみえた。少年に話しかける、少女の明るい声が聞こえてくる。その声に、彼女は聞きおぼえがあった。
声をかけるか迷っていると、向こうもこちら気づいたらしく、彼女の姿をみて、
「あー、美夏ちゃんだー。おーい!」
肩下で右手をふり、左足を庇うようにして、少女がこちらに駆け寄ってきた。
「美夏ちゃーん!」
飛びつくように抱きつく。
「こんにちは。四葉先輩」
抱きつかれた美夏は、やれやれ、とやさしげに苦笑をこぼし、二年生の瀬名・四葉の身体をやさしく抱き返した。四葉がこうして抱きついてくるのは、いつものことだ。彼女は自分より頭一つ分低い四葉を抱きとめたまま、
「今日はデートですか、奏先輩?」
不機嫌そうにベースを背負って歩いてくる二年生の榊・奏に尋ねた。
彼が背負っているものがベースだと、いまの美夏にはわかるが、彼に出逢ったころはわからなかった。
ギターですか、といったら彼に苦笑され、そのあとベースについて説明された。楽器を弾かない者にとってはギターもベースもたいしてかわらないのかもしれない。
「そんなわけねーだろ。俺はいまからスタジオ。四葉はかってにつきまとってるだけだ」
そうだよー! という四葉の声を無視して奏がいうと、
「だって、奏くんといっしょにいたいんだもん」
美夏からはなれ、彼女は彼の腕に抱きついた。
「はなれろ、四葉。暑苦しい……」
「いやー」
抱きつく彼女を彼は振りほどこうとする。が、すぐにあきらめて嘆息をこぼした。
「美夏はこれからどこか行くのか?」
「はい。ちょっと買うものがあって」
「そっか。スタジオに入るまで、まだ時間あるし、暇なら一緒に喫茶店にでも行こうかとおもったんだけどな」
「美夏ちゃん、いっしょに行けないの?」
残念そうに、四葉は美夏をみあげた。
大きく、奇麗な瞳からは、まっすぐに向けられる好意が感じられた。
「ふふ。いいですよ。そんなに急いでいるわけではありませんから」
「わーい! 美夏ちゃんいっしょに行くって!」
「無理につきあわなくても、いいんだぞ?」
「無理はしていません」
「……よし。じゃあ、三人で行くか」
美夏の笑顔をみつめ、無理をしていないか判断してから、奏はいった。
「よかったな、四葉」
ぽん、と彼女の頭に手をのせる。それはとても自然な行為にみえた。が、彼はそのあとすぐに、しまった、という貌をした。頭からはなした手を握りしめる。
「うん! 大好きな奏くんと美夏ちゃんといっしょにいられて、わたしはしあわせだよ!」
えへへ、と日射しにかすむような笑みをこぼし、
「奏くん、わたしスペシャルイチゴパフェとメロンソーダー!」
「先輩、私は桃のショートケーキとスパークリングティーをお願いします」
「誰もおごるなんていってねえぞ?!」
四葉がふたりの手をぎゅっとつかみ、歩き出す。
響く笑い声。
爽やかな風が三人のあいだを吹き抜け、梢をゆらした。




