梅雨明け前の夕暮れに 第16話
数日後の休み時間。
クラスメイトに声をかけられ蘭は席を立った。向かう先はトイレ。いわゆる〝連れション″というやつだ。意識しているのか、無意識にしているのか、この年頃の子どもはあまりひとりで行動したがらない。が、蘭は集団行動が嫌いなため、こういったことは断るようにしている。だが、断りすぎるとクラスの男子から浮いてしまうため、たまに付き合うようにはしていた。
「なあ、おまえと一条ってホントにつきあってねえの?」
便器の前に立つとクラスメイトがチャックを下ろしながら口を開いた。
「つきあってないよ」
またか、とおもいながら蘭は顔に笑顔をはりつける。彼が予想したとおり、さゆりと教室で話をするようになると、彼はこの手の質問をされることが多くなった。進学校とはいえ、そこは思春期の子どもだ。他人の(もちろん、自分のこともふくめ)色恋沙汰には興味を惹かれる年頃なのだろう。しかし、すべての思春期の子どもが色恋に興味があるわけではない。まったく興味がないわけではないだろが熱心になれない者、なんらかの理由で考えられない者もいる。
これで、この話題は何度目だろうか。
うんざりすると同時に蘭は苛立ちを感じていた。
たまにはもっと、ましな話を振ってみろ。頭の中は異性と流行りのことだけなのか。
胸の内で蘭は吐き捨てた。
「でも、なかよくね?」
「他の女子よりは、なかがいいかもね」
「なに? おまえ、ああいう地味な女が好みなの?」
「地味な女の子チョー好きー」
「ホントかよ? ウソくせえー」
「アハハハハハ」
「オレは嫌だぜえ。ああいう奴。ノリ悪そうだし、性格も暗そうで。他の女子からも嫌われてるんじゃねーか?」
「……」
手を洗いふたりは廊下に出る。
「おまえさあ、よくあんな女と一緒にいられるな。いつもなに話してんの?」
「勉強の話とか文学の話とか、まあ、いろいろ」
「ゲ! マジで? ありえねえー」
「そう? ぼくはおもしろいけどね。文学好きだし」
他人の趣味など、どうでもいいだろう。
「オレには無理。文学の話なんて。教科書だけで十分だ。まあ、一条と付き合ってねえってのはわかった。じゃあ、東堂はどうよ?」
「なんで東堂さんがでてくるの……」
ことあるごとに、吊目がちの眸をさらに吊り上げ、難癖をつけてくるクラスメイトの東堂・美夏。彼女のことを考えると蘭はため息がこぼれる。正直、相手にしたくないタイプだった。
「アイツ、絶対おまえに気があるぜ?」
「ないない。それはない」
苦虫を噛み潰したように苦笑する。
「でもさあ、おまえと一条が話すようになってから、おまえに対する態度がひどくなってねえか? あれは絶対おまえに気があるって。ツンデレってやつだな!」
「いや、東堂さんはぼくのことが嫌いなだけでしょ」
嫌いなら放っておいてほしい。だいたいツンデレというが、いまのところツンしかないではないか。自分に嫌ってくれといっているようなものだ。
「そもそもリアルでツンデレってありえなくない? 嫌われるだけだとおもうけど……」
「そうかあ? でも、東堂がデレてるところ想像したらモエるだろ?」
「デレてくれたら、ね」
「今度、試しに二人きりになってみろよ」
「やだよ。東堂さんと二人きりになったら、小一時間ぐらい説教されそうだし」
苦笑しながら蘭はいった。
しゃべりながら教室に戻っていると、
「?」
彼は窓の向こう、一階下の廊下を、ひとりで歩くさゆりの姿を見つけた。別棟にある資料室に行っていたのだろう、彼女は両手で教材を持っていた。距離があるのではっきりとはわからないが、その姿はどことなく寂しげに視えた。
「……」
また、見つけてしまったと彼はおもった。
以前の彼なら彼女に気付くことなく通り過ぎていたかもしれない。いや、気付いたとしても、気にすることなく通り過ぎていただろう。だが、彼女に友人になってほしいといわれてから、彼は否応なく彼女を意識するようになった。意識してしまうことが多くなってしまった。そして、彼女がいまだクラスに馴染めず、浮いた存在であることをこの数日間で彼は知った。できることなら彼はそんなことを知りたくはなかったが。
……クラスの女子じゃ、さゆりさんと合わないか……。
もともと住んでいる世界がちがうのだ、それもしかたがないことだろう。しかし、だからといって彼女ひとりに教材を運ばせるのはいかがなものだろうか。なんだか釈然としないものを彼は感じる。はっきりいってしまえば、不快だった。そして、できることなら他人とあまりかかわりを持ちたくないのだが、寂しげな貌の彼女を放っておくことも、彼にはできなった。
……志摩子さんからもいわれているしなあ……。
これでまた、余計な誤解をされるのだろう、とおもいながらも彼は嘆息をこぼし、
「ごめん。先に行ってて」
彼女のもとへと向かった。




