08|負ける。
虐殺という言葉が相応しい光景だった。
ソレの襲来はゴブリンたちにとっては悪夢と同義だっただろう。
彼らに危険を知らせる見張り番はすでに殺された。
ソレの襲撃に気付き、やってきた戦士たちも纏めて殺された。
群れを率いるゴブリンシャーマンはすでにソレに吸収されてしまっていた。
もはや頼る手段のないゴブリンたちだったが、統制がとれる状態ではなかった。
状況を把握できたゴブリンはすぐさま逃げ出したが、突然のことに何が起きたか分からないゴブリンも多くいた。そして逃げ遅れたゴブリンたちは次々とソレの犠牲となったのである。
彼らは投げつけられる爆破粘体により吹き飛ばされ、槍で刺し殺され、触手で絞め殺され、炎で焼かれて転げて死んでいく。何体かのゴブリンが覚悟を決めて立ち向かうが、その力の差は如何ともしがたいものがあった。
そして、ゴブリンシャーマンがリーダーであった集落は阿鼻叫喚の悲鳴で溢れ返った。また、村の中には檻に閉じこめられた何頭かの犬の姿もあった。ゴブリンたちを蹂躙し終えたソレは、怯えて縮こまる犬たちをゆっくりと、生きたまま体内に取り込み、自分の体内でもがく様を楽しんだ。
哀れにもただ喰らわれるだけの犬たちが一匹残らずソレの中で果てた後は、ようやくソレは殺したゴブリンたちを喰らおうと動き始めたのだ。
なお、ここまでにソレが殺したゴブリンの数は集落の総数の五分の一程度であった。それが今の自分が全力で倒しにかかって出来た最大限の結果であるのは事実だし、五分の一でも相当な数ではある。
しかし、ソレは自身の移動速度の遅さを考えざるを得なかった。
もっと自分が速く動ければもっと多くのゴブリンを殺せたはずだ。もっと食事にありつけたはずなのだ……とソレは考える。
そして自分になくて、逃げられた相手にあるものは何かと自分とゴブリンを見比べて、それが足であることに思い当たった。
さらには先程喰らい尽くした犬たちを思い出し、ゴブリンよりも犬の方が速かったことも吟味する。つまりは足の数は多い方が良いのだろう……そう、ソレは結論付けたのであった。
であれば……と、ソレはズルズルと自分の肉体の地面に接している面から触手を伸ばしていく。槍を持つ触手に比べて動作は単純でも良いとソレは考えた。ただ自分の身体を移動させるためだけの手段としての触手をソレは欲した。そして12本の触手が生まれた。
試しにソレは触手による移動をしてみたが、ズルズルと動いていた以前に比べて、確かに速度は上がっていた。しかし安定性においては劣っているようにも感じられた。少なくともそのまま岩場を登るのには適さないようだった。
だが集落周辺のような平坦な場所であるならば、以前よりも速く移動することが可能なのだ。故にその結果にソレは満足していた。次はもっと多くのゴブリンを殺すことが出来ると考えていた。
そうして半日が経過し、ゴブリンの半数も平らげた頃には、ソレの体積はここに来た時の倍は増えた。足の触手が生えたが、重力の力が働いたためか高さはそれほどは上がらず、横に延びる形でソレは変化していた。ソレは己の食欲をさらに満たすべく、次の食事にありつこうとした。
だが、ソレは気付いていなかった。ここは魔物の住む森なのだ。ただ静かに食事をとり続けることなど出来はしないのだ。
特にソレは爆破によって大きな音を周囲に響かせていた。その音を聞きつけていた魔物も当然いたのである。
その魔物とは、この周辺でゴブリンを喰らうべく探索を行っていた醜き豚面の化け物オークである。
14体の屈強な肉体を持つオークたちは、食事を続けるソレに気付かれないようにすでに取り囲んでいた。オークたちはその見た目に反して、存外に頭が回る。斥候役のオークはソレを目撃した後、1人では挑まず仲間を呼んでいた。
もっともオークたちもソレのような魔物と遭遇するのは初めてだ。それ故に決して油断をせず、続けてゴブリンの死骸を消化しようと動くソレに対して一斉に襲いかかった。
突然、うなり声をあげて突撃してくる見たこともない魔物の姿にはソレも驚愕した。
だが集落の中心近くにいたソレは慌てない。拓けた場所だ。オークとソレの間には距離がある。そしてソレは触手で掴んでいた槍をすべてオークたちに投げ放った。
その攻撃を真正面から迫るオークたちはすべてその身で受けてしまうが、オークの頑丈な肉体をゴブリン製の脆弱な木の槍では貫き通せない。運悪く眼球から脳に突き抜けた個体がよろめきその場で倒れたが、それ以外は肉体に浅く突き刺さったままソレに向かってさらに突進してきた。
そのことにソレは驚くが、続けて触手の先を切り離して投げつけた。ゴブリンたちを殺し尽くした爆破粘体がオークに付着し、そして炎と衝撃が発生する。
それはさすがに効果があったようで、2体が身体を吹き飛ばされて死に、3体がいずれかの部位を損傷してその場で崩れ落ちたが、他のオークはやはりその状況にも恐れをなさずにソレに対して突き進んでくる。ゴブリンのような臆病な種族に比べてオークという種は非常に好戦的なのだ。仲間が死んだくらいでは狼狽えはしない。
また、そのオークの中でも鉄の鎧に巨大な斧、大盾で重武装した群れのボスであるハイオークは、爆破粘体を盾で防ぎ、その身に傷一つつけてなかった。そのことにソレは気付くとすぐさま食事中のゴブリンの死骸を離して、足の触手を動かして立ち上がった。
危険だと感じたのだ。
ソレの判断は早かった。すぐさま迫るオークたちと反対側へと走り出した。
同時にハイオークもソレが逃げ出すのを察知し、仲間たちに声をかけて一斉に手に持つ斧を投げ始める。
逃げるソレの触手が何本も千切れ、肉体の一部が欠け、ゴブリンの頭蓋骨を割り、危うく核にまで斧が突き刺さりかかった。
しかしソレは気にせず、全力で逃げた。逃げて、逃げ続けて、逃げきった。足の触手がなければ追いつかれて殺されていただろうが、今のソレの移動速度と持続力はオークたちを上回っていた。
そして、ソレは傷ついた身体を引きずりながらゴブリンの集落を後にした。それはとても苦い敗退だった。