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01|生まれる。

 ソレが自分を自分と認識したのはたった今だった。


 ただ自身がここにあるとソレは唐突に理解した。


 きっかけがなんであったのかは誰にも分からない。たまたまそう感じたのが今だったのか、或いは天井よりこぼれ落ちた水の滴の感触が自分と自分以外の存在を分けて認識させたのか。


 ともあれ、ソレは今、明確に自己というものを手に入れた。それだけは紛れもない事実だ。


 故にその身をにゅるりと動かした。

 眼球はないはずだが、ソレは周囲の光景が見えていた。全身が光を感じ取っているようだが、もちろんソレは理解していない。


 そしてソレは周囲が湿った岩場であることは理解できた。自分はその中に転がっている何かであると把握できた。また自分を自分の意志で動かせることも把握した。


 ピチャンと上から水滴がこぼれる。それが自分の身体に当たる。


 水。


 その液体が自分にとって必要なものだとソレは認識する。

 すると水滴はソレの中へと吸い込まれた。そしてわずかにソレは自分が大きくなったと認識する。本当にわずかではあるが、確かにソレは水滴の体積分、大きくなったのだ。


 そして、水のある場所を探そうとする。見渡せば岩場のあちらこちらの窪みに水はたまっていた。ならばそこに行けばよいとソレは考え、動き出した。


 ズルリ、ズルリと進む。


 しかし、岩と岩の間に隙間があった。ソレはその隙間に気付けない。通れないと分からない。ソレは動き、進める……それだけを考え、進んで、そして落ちた。

 ゴロゴロと転がり、岩場に表面を削られ、ソレは声ならぬ声で絶叫した。

 意識を得て最初の恐怖をソレは感じながら、暗闇の中へと転げていく。そのままソレは岩場の隙間に落ちていったのだった。


 次にソレが意識を取り戻したときには、何かの上にいた。そこにあったのは岩の上に生えていた緑と茶色の何かだ。その何かがソレが落ちる衝撃をわずかではあるが吸収していた。もっとも落ちる過程で岩肌にそれなりに表面を削られソレは傷付いていた。ソレはその傷付いた身体をどうにかするための何かを必要とし、その緑と茶色の何かに触れたときに、感じたのだ。


 さきほどの水を吸い取ったとき以上の感覚だった。それは『食欲』というものだ。己の内側に取り込み、栄養とする。生物としての欲求がソレを支配した。


 ソレは気がつけば、緑と茶色の何か、当然ソレには知識はないが苔を体内に取り込み始めた。己の内側に入れ、ソレの本能が苔を溶かし始めた。溶かして己の力へと変えていく。


 ソレは感じた。水を得たときよりも何倍もの喜びを感じていた。


 そのまま、ゆっくりと、確実に、その場の苔を溶かして吸収した。


 そのすべてがなくなったとき、ソレは物足りなさを感じていた。


 食欲を手に入れ、飢餓を理解した。


 そしてソレは苔を探し始めた。幸いなことに苔はそこらかしこに存在していた。ソレはゆっくりと自身を動かしながら次の苔へと向かう。

 しかし、ソレはさきほど落ちたことへの恐怖は忘れていない。どうにも進めないようならば引き返す。別のルートを探し、確実に苔のある場所へと向かい、ソレは周囲の苔を喰らい尽くしながらゆっくりと移動していく。


 その行為をどれほど続けたことだろうか。


 1分? 1時間? 1日? いや一週間ほどだったかもしれない。

 気が付けば豆粒のようだったソレの大きさは最初の頃の10倍程度には大きくなっていた。そして、ソレは苔の中にも美味しいものと美味しくないものがあることに気付いていた。

 茶色よりは緑色の方が美味しく、時折ある白色は緑よりも良い味がした。

 なのでソレは緑と白だけをえり好みして食べ続けた。むろん、それだけを食べていれば周囲からは茶色の苔しか存在しなくなる。だが苔はまだまだそこら中に生えている。

 ソレはゆっくりと苔の多い方多い方へと進んでいき、より多くの苔を体内に取り入れていった。ソレは睡眠欲などなく食欲だけで日中夜と食べ続けた。


 だが、場所が悪かった。そして時間も悪かったのだろう。


 時間が経つに連れ、太陽が昇り、ソレが食事をしているところにまで光が射し込んできたのだ。そしてその太陽の光に当たったことでソレは驚愕した。自身が消えていく感覚に襲われた。

 本当にわずかではあるが蒸発という現象がソレの表面に発生し、ソレを怯えさせたのだ。転げ落ちたときと同じように身を削られる恐怖がソレを支配し、日の光を危険なものとして認識させた。そして自分に害を為すものと定義付け、ソレは急いで日の当たらぬ岩場の奥へと戻っていった。


 それからしばらくソレはその場所に留まり続け、苔を食べ続けた。結果、緑と白の苔が枯渇していくのは当然の話であった。また、太陽の光を恐れ、外に出ることも出来ない。

 だがソレは新たな食物の存在にも気付いていた。苔と共に吸収した動くモノ。岩場の影に隠れて生きている小さき生物、虫たちの存在にソレは気付いた。

 どうやら緑と白の苔とは違う味を出しているその虫たちを新鮮だと感じたソレは、虫たちも食することにし始めた。取り込んで自身の中でうごめく虫たちの感覚にソレはこそばゆさを感じ、食事以外の喜びをソレは虫に見いだした。


 体内で虫たちが暴れもがく様が面白い。

 自分の想像しない動きが面白い。


 ソレはすぐさまその行為に夢中になった。虫を見つけてはゆっくりと溶かし、暴れる様を感覚で観察していた。その行為はソレの日課となっていた。

 だが、やがてはソレの興味はより大きい虫を探し求めることになる。

 大きい方が保つし、動くし、何よりも美味だ。だが岩場の影の中で探してももはやソレを満足させる大きな虫は見つからなかった。当然だ。このジメジメした場所に生息する虫など限られているし、それらはもう体内に取り込んで遊び尽くした。

 故にソレは自分を満足させるものを探すことを考える。

 だが、岩場の外は危険である。あの強い太陽の光をソレは恐れた。だから、日の当たらぬ反対側へと進むことにした。その岩の影には水が流れている穴があった。そこへとソレは入っていく。


 もはや岩と岩の合間もソレにとっては恐怖ではない。岩はしっかりとしがみつけば離れることはないし、ゆっくりと身体を伸ばして、その間を渡ることも可能になっていた。


 そして、ソレは水の流れる穴の奥へと進み始めた。ついに生まれた地を離れる時がきたのだった。


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