勅使河原家の次男三男次女
作者自身、書いてる途中入れ違えたので双子の名前を書いておきます。
勅使河原 知行:将棋が弱い
勅使河原 和行:無口な猫派
「そりゃ、分かるよ。これから寒くなるだろうから暖かい所へ行きたいというのは分かる。けどさ、紅葉を観に行きたいという俺の心情は、理解されがたいものじゃないと思うのだけども」
「良かった。分かってもらえて嬉しいよ。しかし、今になって思ったけど、熊本をぶらつくというのも良案のように思えてきた。とりあえず、もう一度話をするだろうから、父さん達と詰めてみようじゃないか。もしかしたら我々が思いもよらない所へ行きたいと思っているかも知れない」
「ははぁ、海外に行きたいって言ってた? 父さんらしいが、三連休だっていうのを理解しちゃいないらしい」
これだけ抜き出してみたら、この人はまるで電話で話でもしているかのように一人の言葉しか現れない。けれど、言葉の主である知行兄さんは、将棋の歩を左手に弄び、右手で自分の顎を撫でている。携帯電話は膝の上に置いているが、時刻を見るためにしか使っていない。私は将棋に詳しくないからよく分からないのだけれど、あまり芳しくない局面にあるらしく、長考に次ぐ長考の後、ぱちりと駒を動かして、すぐさまうっと小さく唸った。どうも嫌な所へ指されたようだ。
知行兄さんの対面、その嫌な手を指したのは、これまた同じく私の兄だ。和行兄さんの、無表情で盤面を見つめる横顔は妹の私から見てもモテるんだろうなぁと思わせるくらいの美形で。
小さく微笑み、和行兄さんは少し首を傾げながら知行兄さんを見上げた。それを見て、知行兄さんは溜め息をついて盤に乗っかった駒を片付けていった。
「王手詰みかぁ。なんで気付けないかね。いやいや、気を抜いたりはしてないが……うぅむ、やっぱり俺は将棋が弱い。つまらないだろう? ははっ、そう言って貰えると助かる」
まただ。また一人言だ。実に不思議なことだろうけど、我が家では至極当たり前の日常になっている。
知行兄さんと和行兄さんは同じ日に生まれたいわゆる双子だ。二人は双子といっても二卵性のそれであり、外見はあまり似ていない。どちらも穏和な性格で、趣味趣向も同じことが多いのだけれど、和行兄さんが近所で評判になるくらいの男前なのに比べて、知行兄さんは優しそうな顔は素敵なのだけれど、世間一般の評価ではあまり見映えのしない平々凡々な男性だ。そんな二人は、特に喧嘩をすることもない仲の良い兄弟である。今日のように毎日将棋を指している。対戦成績の上では和行兄さんの圧勝なのだけれども、お互い満足しているらしい。
さて、この二人、至極仲の良い兄弟なのだけれども、少し不思議なことがある。先程のように、二人が将棋をしている間、会話というものもなく知行兄さんが一人言をしているかのように見える。けれど、ああしている間にも二人は会話している。というのも、和行兄さんは無口な人で、家族である私でもこの間までちょっと和行兄さんの声を思い出せなかったくらいなのだ。そんな和行兄さんの思いを、知行兄さんは察しながら会話していく。だから、先のような一人言みたいな会話になっている。
どうも二人は、違う世界の住人なんじゃないかと思わせる雰囲気がある。仲がよく、いつも二人でぼんやりしていることの多い二人だけれども、どうしてだかツーと言えばカーと返すように以心伝心な、双子といえば双子らしいけど、どうにも普通のそれとは違う会話をしている。
実際、兄さん達は会話なんてしていない。喋るのは知行兄さんだけで、和行兄さんはうんともすんとも喋らない。だというのに兄さん達はこんな具合で、今度の三連休、旅行へ行くならどこへ行くのかという話を片付けてしまっている。毎度不思議に思うのだけれど、仲が良いから相手の意図する所を察せると言っても、熊本だのという地名まで察せるのはエスパーなんじゃないかと思う。昔、こんな感じの疑問を抱き、どうして具体的すぎる内容にまで察しがつくの? と訊ねてみたら、知行兄さんは不思議な顔をしながら「顔を見れば分かるじゃないか」とのたまった。残念ながら私には全く分からない。他の家族にも聞いてみたけれど、父さん以外は私と同じ意見で、父さんは人間として例外だから気にしないことにしている。
別に、それで家族仲良く過ごせているのだから構わないけど。やはり二人は不思議だ。喋らない兄に、全てを察する兄。少しへんてこりんだけれども、それでもやはり、愛する家族であり尊敬する兄なのだ、という具合に上手く纏めた所で、本題に入ろうと思う。
先日、仲の良い二人が奇妙な喧嘩をした。それは実体のない、いわゆる透明な喧嘩なのだけれども、それが私にとっては少し愉快で面白い「喧嘩」だったから、この件に少なからず関わった人間として語ってみて、尊敬する二人の兄を紹介したいと思うのだ。無学な私では良い語り手ではないだろうけれども、聞いていただければ欣快の至りである。
夏休みが終わり、授業が始まる。勉強が苦手な私にとってそれは、最初こそ憂鬱なことであったけれども、久しぶりに友達と会えたのも手伝い、すぐさま日常に組み込まれていった。地球温暖化というのは信じていないが、夏の激烈を保った残暑には不平をこぼしたくなるような日のことであった。私が学校から帰ったら、珍しくしょぼくれた様子でソファーに身を埋めていた知行兄さんを見つけた。ただいまを言えば、力のない返事が返ってくるばかりで、どうにも覇気が無い。遅れてきた夏バテかと考えていたら、台所で麦茶をすすっていた私の横に、しょぼくれた知行兄さんが立ちすくんでいた。少し驚いて、コップに注いでいた麦茶を揺らしてしまい手を濡らしてしまった私を特に気にかけることもせず、知行兄さんは躊躇いがちに「聞きたいことがあるんだ」と言い出した。
「和行が俺を避けるんだが、何かやってしまったのかな、俺……」
「……分かんないなぁ。あまり変わった様子はないと思ってたけど」
「……そうか」
「あー……まぁ、ちょっと観察させて。今は特に、和行兄さんから相談とか受けたりはしてないし」
私が手を拭きながら答えれば、知行兄さんはうんうん唸りつつその場を後にした。不思議なことだ。以心伝心な二人が喧嘩するとも思えないし、そもそも私なんかより知行兄さんの方がよっぽど和行兄さんの気持ちを察せるだろう。それなのに聞きに来たというのは、兄さんが非常に戸惑っているのに他ならない。珍しいこともあるものだと、これから少し、二人の様子を窺ってみようかと考えた。そうすれば、なるほど、不思議なことに二人がギクシャクしているのが分かったのである。
我が家は食事の時、大抵は父さんが母さんに一方的にいちゃつき、それなりに賑やかな食事となる。和行兄さんが喋らないのはいつものことだが、色々な会話の相槌をうち、和行兄さんの意見を汲み取ることの多い知行兄さんまでもが喋らないでいるのは不思議なことだ。和行兄さんは、出来る限り知行兄さんと目を合わせることをせず、黙々と鮭の骨を取り除いている。目を合わさないというのが気にかかる。別に、表情を読み取っても怒っている様子は無い。まあ基本無表情な和行兄さんの表情を読み取るのは簡単じゃないんだけれど、雰囲気として、何かに苛立つものはない。ただ少しばかり居づらそうにしているんじゃないかと、ふんわりとしたものだがそういうのを感じた。
少し沈んだ食事だった。横から父さんにちょっかいを出され続けていた母さんは、特段気づいた様子ではないようだけど、父さんは何かしら察する所があるらしく、和行兄さんを横目でちらりと見た後、また母さんの手に手を重ね愛を囁いた。
父さんが何も言わないということは、大きな問題ではないということだろう。それじゃあ、何故和行兄さんは知行兄さんから目を背けているのだろう?
食事を終えて、しょぼくれを悪化させた知行兄さんが部屋に戻った後。テレビで全く無害な、世界遺産についてうんたら語る番組を見ていると、座っていたソファーが少し沈んだ。気がつけば横には渦中の和行兄さんが座っていた。どうしてこの二人は、私に気付かせず側に近寄るのだろう。警戒心が足りないのだろうか、私は。
プレーリードックみたいに辺りを見回しつつ、少しどぎまぎした様子で私を見ている。なんというか、様子が変だというのは私にも分かった。
「……ねぇ」
これが男子高校生の声だろうかと驚く。ロマン派の詩人なら、そりゃもう繊細で愛らしい、少しばかり気障な言葉を尽くして褒め称える程度には心地よい綺麗な声、しかし、どうしてだか死にかけた蚊の鳴く音みたいに声量は小さくて、私はそっとテレビをミュートにした。
「……お願い、聞いてくれる?」
こんな時に、自分の好みを言うのは僭越ではあるのだけれども、私は美形が好きだ。それも、ワイルド肉食系よりも、どこかイェイツの詩に出てきそうな繊細で消え失せてしまいそうな儚さ系男子ときたら、私の好みど真ん中ストレートといった所。私は知らず知らず頷いてしまった。あんな台詞を顔を赤めつつ吐かれたりしたら、誰だって頷いてしまうに違いない。
私の返答を見て、小さく微笑んだ和行兄さんは、もう一度辺りを見回した後、用心よりも生来のであろう小さな声で私に囁いた。
「……買い物に、ついてきて欲しいんだ」
「知行が、授業で書いた小論文が、新聞社から表彰を受けたんだ」
知行兄さんから相談を受けて数日後の土曜日。私は和行兄さんと街に出た。喧騒の中で和行兄さんの声は掻き消されがちだけれども、
なんとか聞き取って相槌をうつ。
「……それで、変だとは思うけど、お祝いしたくて。普段、僕らは誕生日も一緒だから、そういうのも、ないし。……ちょっと、隠れてプレゼントとか買って、贈ってあげたいなって」
健全な男子高校生の発想じゃあないだろうけど、いい考えだとは思う。なんというか、これが大学受験の最中にある人間の考えだと思うと、なかなかにほのぼのした感情が胸に芽生える。
という風に。喧嘩なんてどこにもなく、その裏には実に可愛らしい、男子高校生らしからぬ思惑があっただけだった。解決の為に私が出来ることは、和行兄さんと一緒にプレゼントを見繕うことだろう。私と和行兄さんはデパートに侵入し、あちこち見て回ることにしたのだった。
さて。物事の解決は簡単に見えてなかなか難しい。私は、夏休み中に暑い暑いと唸り、すぐにエアコンをつけようとしていた長男を思い浮かべ、扇子なんかどうだろうと提案したのだ。知行兄さんはどこかしら明治文学っぽい雰囲気が漂っているので、洒落た扇子で気だるげに扇いだりしているのを思い浮かべてみれば、なかなか様になっていると思ったからだ。しかし、和行兄さんは意見を言う。これから秋になるのだし、扇子というのもどうだろうか、と。それも一理あり、私はひとまず扇子を置いた。
次に、和行兄さんから財布はどうだろうとの意見が浮かんだ。革製の、黒色の長財布を眺めた後、頷きながら私を見てきた和行兄さんは可愛らしいが、私は首を横に降った。残念ながら、知行兄さんは少々ズボラで、財布をしばしば落とすのだ。鞄を持つこともなく、今風にチェーンで繋ぐこともしない兄さんに、財布を贈るのは何か怖い。そりゃあ、贈り物だからさしもの知行兄さんも気をつけはするだろうけれど、ああいう習慣を改善しない内は財布というのは気が引ける。私がこういうことを言えば、和行兄さんは躊躇った後、諦めて財布を戻した。
なかなかに難しいものである。私と和行兄さんは少しくたびれ、ベンチに腰掛けて物を考え直していた。
知行兄さんは読書が趣味だ。本を贈るのもよい考えだが、自分たちで考えてみると、どうにも本を読むというのは、本屋でさ迷った後、やっと見つけた暫くの間憂いを晴らしてくれる友人を、慈しみながら読むことに意義があるように思え、本を贈るというのはその喜びを半分奪うようで何か気が引ける。とはいえ、図書券を贈るのは無粋極まりないことだ。どうしたものか。そう悩んでいたら、ふと思い付いたのか、和行兄さんは立ち上がった。良案があるのかと、私も勢いウキウキした気持ちになるのは仕方ない。
和行兄さんが足を運んだ先は、書店の一角、ブックカバー等の置かれたスペースだった。力を入れているのか、なかなかに洒落たアイテムがあった。ははぁ、ブックカバーなら無くすこともないし年中使える、などと思っていた所、和行兄さんは栞に手を伸ばした。私は裏をかかれたようで気恥ずかしく、少し自嘲してしまう。
とりあえず私は、和行兄さんが熱心に見つめていた、印刷された眠る黒猫が素敵に可愛い栞を置かせて兄さんと一緒に栞を見ることにした。そうして、友禅和紙で作られた栞を5枚、プレゼントとして包んでもらうことに決めたのであった。奇妙な喧嘩も幕を閉じた。はにかみながらプレゼントを渡す和行兄さんと、同じくはにかみながらプレゼントを受け取る知行兄さんと。なんともまあ仲の良い兄弟である。それからは、食事中に仲良く、一方的な会話を行う兄さん達の姿を見ることになる。そうして、将棋の後、夕涼みしながら本を捲る知行兄さんは小さな栞を指先に挟んでいる。それを見るにつけて私は不思議に愉快で、少々むず痒い喜びで胸をくすぐられている。恐らくそれは和行兄さんの胸も襲っているだろうことは、夕陽に顔を染められながら、満足そうに微笑んでいる顔から、私にも察せられるのだ。近頃は私にも和行兄さんの考えが、やはり知行兄さんほどではないのだけれども、分かるようになってきた。