聖なる夜
一足早い切ないクリスマスものです。
「空にはね、とても綺麗なお星さまがね、輝いているの。」
彼女はそう話をきりだした。
まるで、誰か小さい子どもに話しかけるように。
白に囲まれた世界で。
彼女は頬を赤く染めて話だす。
「あれはね、クリスマスの夜だったの。」
彼女の見つめる先はまるで遠い遠い昔の記憶のよう。
まだ若い彼女の深い思い出。
何もかもが素敵な出来事だというのが、彼女の口癖だった。
今はこうして、白いお城にいるけれど、いつかはきっと色の鮮やかな世界にでるのが夢なのだと。彼女はいつも言う。
「ねぇ、覚えてる?聖亜とあたしが初めてあったのよ。」
とても嬉しそうに言う。
だから俺も嬉しくなった。
彼女が笑ってくれたから。
「歌夜は一人で、震えながらいたんだ。あの喫茶店の前に。」
驚いた表情で彼女は俺を見た。
俺は優しい微笑みを彼女に向ける。
「ホワイトクリスマスだったんだ。イルミネーションが雪に反射されて、すごく綺麗な夜だった。」
覚えていたの?
とでも言いたそうな彼女の面持ち。
そりゃ俺はかなり忘れやすい。
それに人よりも薄情なのは自覚している。
だけど、俺だって覚えていることもあるんだ。
忘れるわけがない。
あの日のことを……
どうして俺が忘れられるというのだろう。
「嬉しい。」
彼女はそう短く言った。
そして今まで俺が見てきた中で、1番最高の笑みを浮かべる。
俺の手がそっと彼女の優しい手に包まれた。
「あたしは、幸せだね。すごくすごく。聖亜の温もりを感じる。」
彼女の手が小刻に震えるのが、俺の手を通して伝わる。
はっとして彼女の方を見た。
そんな俺に彼女は微かな笑みを浮かべて、小さな声で言う。
「ねぇ、カーテン開けてくれない?」
言われるままカーテンを開けた。
白い雪が舞うように降っている。
街は綺麗なイルミネーションで飾られている。
少し上を見上げると、無数の星が輝いていた。
感動せずにはいられないほどの絶景。
それを目にしながら、彼女は静かに口を開いた。
「今年もホワイトクリスマスだね。聖亜と一緒に迎えられてすごく嬉しい。」
彼女の頬を一筋の光が伝う。
俺にはそれを優しく拭き取ってあげることしかできなかった。
「メリークリスマス。聖亜。」
力なく言われたそれが、彼女の最期の言葉だった。
安らかに閉じられた瞳。
その表情は幸せそうな笑みを浮かべている。
俺は彼女の閉じられた瞼に、そっと口付けをした。
俺の手にはまだ包まれていた温もりが感じられる。
だんだん、それは冷たくなっていく。
だけど俺は決してその手を離さなかった。
彼女の温もりをこの身に焼き付けるために。
ずっと忘れないと誓いながら。
二度と動かないその手を必死で握り締めていた。
もしかしたら、また動いてくれるかもしれない。
心のどこかで、そう思っていたから。
もう、ほとんど温もりが消えた彼女の手を、握り締める俺の手は震えていた。
その震えはあっというまに全身に広がる。
わかっていたんだ。
こうなることは。
彼女に初めて会った、3年前のあの日から。
わかっていたんだ。
ちゃんと理解していたはずだった。
それを知ったした上で俺は彼女を好きになったのだから。
なのに、今、俺の体は断固として拒否している。
この事実を受け入れることを。
彼女が亡くなったという事実を。
冷たくなった、彼女の体を抱き締める。
それは間違いなく彼女なのに。
俺は彼女を抱いているのに。
ものすごい違和感を感じた。
少しずつ、この事実が頭のなかに入ってくる。
拒否したがっている俺を無視して。
それは勝手に入ってくる。
何故か、俺の心は落ち着いていた。
頭の中ではそうとう焦って、パニック状態だというのに。
「メリークリスマス。歌夜。」
自然と言葉が出ていた。
冷たい彼女を手の内に抱いて。
静かな声で俺は言っていた。
目からは何か熱いものが流れ落ちる。
そして俺は初めて。
彼女の唇に自分の唇を合わせた。
最初で最後のキス。
そして、永遠の別れのキス。
忘れない。
忘れたくない。
彼女のことだけは。
なに一つ忘れたくない。
心に強くいい聞かせ、眠っている彼女に強く誓った。
20という短い人生の幕を閉じた彼女は、あの瞬く綺麗な星となるべく、俺のもとを去った。
それは、12月25日。クリスマスの聖なる夜のこと………。
END...