「お願い!!私に代わって、王太子妃になって!!」――国一番の踊り手と呼ばれた令嬢の秘密
「お願い!!私に代わって、王太子妃になって!!」
「……はい?」
目の前のお嬢様が、突然、私に向かって深々と頭を下げられた。
いえ。よく見ると、頭を下げるどころではございません。
床に両手をつき、額までつけていらっしゃる。
……これは、いわゆる土下座というものでしょうか。
「お、お嬢様!?どうか、お顔をお上げくださいませ!」
「お願いよ、エナメル!あなたにしか頼めないの!」
「ですが、王太子妃になってほしいとおっしゃられましても……」
「間違えたわ!そうじゃなくて!」
お嬢様は慌てて顔を上げると、両手をぶんぶんと振られた。
「王太子妃を選ぶ神前の儀があるでしょう!?そこで、私の代わりに踊ってほしいの!」
「……踊りの身代わり、でございますか?」
「そう!それよ!」
……なるほど。
どうやら、ずいぶんと焦っていらっしゃるようですね。
もっとも、なぜ私にそのようなお願いをなさるのか、まだ事情が分からないのですけれど。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
私はエナメル。
長年、各地のお屋敷でメイドをしているエルフでございます。
少し前、次の奉公先を探していた私は、中央平原にある、とある王国へとやってまいりました。
魔王が勇者に倒されてから、300年。
その間、中央平原では、さまざまな国が興っては滅んでまいりました。
今回訪れたこの国には、少々変わった伝統がございます。
王太子妃の選定に際し、候補となった令嬢は神殿で、神へ捧げる舞踊を披露することになっているのです。
建国の際、初代王妃が神へ感謝を捧げるために舞ったことが、その始まりとされております。
神前の儀は夜に行われ、神殿の明かりはすべて落とされます。舞い手は、魔道具によって淡く発光する衣装を身にまとい、古くから伝わる決められた舞踊を披露するのです。
暗闇の中に浮かび上がる光の軌跡は、大変美しいものなのだそうです。
そして、この国では舞踊の腕前が、王妃にふさわしい教養の一つとして重んじられております。
もちろん、それだけで王太子妃が決まるわけではございません。
ですが、神前の儀を立派に務めることは、候補となった令嬢にとって、非常に名誉なことなのです。
今回、私が奉公先として希望したお屋敷には、その舞踊で国一番と評判の令嬢がいらっしゃいました。
公爵令嬢、セリーヌ様。
美しい容姿に、穏やかなお人柄。幼い頃から舞踊を学び、数々の舞台で見事な踊りを披露してこられた方でございます。
王太子殿下とも幼い頃から親しく、将来はお二人が結ばれるのではないかと、以前から噂されていたそうです。
そんなセリーヌ様が、神前の儀に向けて、舞踊の補佐ができるメイドを募集していると聞きました。
……まあ。
舞踊でございますか。
私はメイドとして長年、身のこなしや体術を磨いてまいりました。踊りについても、これまでお仕えしたお屋敷で、多少は学んだことがございます。
それに、国一番の踊り手と評判のお嬢様でございます。
私も何か、新しく学べることがあるかもしれません。
そう思い、さっそく面接を受けることにしたのです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あなたがエナメルさんね」
「はい。エナメルと申します」
面接のお部屋で、セリーヌ様が私を迎えてくださった。
といっても、お部屋の奥は厚いカーテンで仕切られており、お嬢様のお姿ははっきりと見えません。
きれいで澄んだお声だけが、カーテンの向こうから聞こえてまいります。
「実は私、神前の儀で披露する舞踊の補佐をしていただける方を探しているの」
「承知しております」
「それで、さっそくなのだけれど、あなたの腕前を見せてもらえないかしら?」
「ええ。もちろんでございます」
お嬢様は、お付きの侍女を通して、私に神前の儀で用いられる舞踊の一部を教えてくださった。
足の運び。
腕の動かし方。
身体の向きを変える際の重心の移動。
……なるほど。
これは、なかなか難しい舞踊でございますね。
特に、ゆっくりと身体を回転させながら、腕を美しく動かすところなど、相当な修練が必要でしょう。
私は教わった手順を確認し、部屋の中央で踊ってみせた。
数百年もメイドをしておりますと、身体の使い方には多少の自信がございます。これまで培ってきた体術も、こういうときには役に立つものですね。
ひととおり踊り終えると、カーテンの向こうから声が上がった。
「……あなた!」
「はい?」
「決定!あなた、私のメイドになってちょうだい!!」
「まあ。ありがとうございます」
こうして私は、セリーヌ様にお仕えすることになりました。
そして、雇用契約を結んだ直後。
お嬢様は人払いを済ませ、私だけをお部屋へ残されたのです。
そこで飛び出したのが、冒頭のお願いでございました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「実はね、私、もうすぐ王太子妃の選定を受けることになっているの」
「はい。存じております」
「それで、神前の儀で踊らなければならないのだけれど……」
セリーヌ様は、しばらく言いよどまれた。
そして、厚いカーテンを開かれた。
「……まあ」
そこにいらっしゃったのは、ふっくらとした頬に柔らかな笑みを浮かべた、大変愛らしい女性でございました。
踊りが上手そうかと言われれば返答には困ってしまいますわねえ。。
……もっとも、女性の体型について、メイドがあれこれ申し上げるのは失礼でございますね。
「……驚いたでしょう?今の私では、踊れないのよ」
「踊れない、でございますか?」
「ご覧のとおり、こんな身体になってしまったから……」
お嬢様は、ご自分のお腹を両手で押さえられた。
「以前はね、もっと細かったし、ちゃんと踊れたの。国一番なんて言われるのは大げさだと思うけれど、踊ることが大好きだったし、毎日練習していたわ」
「はい」
「でも、少し前から急に太り始めてしまって……。最初は、少し食べすぎたのかと思ったの。だけど、食事の量は以前と変わらないのに、どんどん身体がふくよかになってしまって!」
……まあ。
「そのうち、前のように身体を動かすこともできなくなってしまったわ。少し踊っただけで息が上がってしまうし、身体の重心も変わって、足がもつれてしまうの」
セリーヌ様の声が震えていた。
「神前の儀まで、もう一か月もないの。今さら王太子妃の候補を辞退するわけにもいかないし、何より……」
「何より?」
「殿下に、失望されたくないの」
お嬢様は、俯いてしまわれた。
「殿下は、私の踊りをいつも褒めてくださったわ。幼い頃から、何度も何度も見に来てくださったの」
「そうでございましたか」
「私が踊ると、殿下はいつも楽しそうに笑ってくださった。だから、今回も……」
なるほど。
どうやら、お嬢様にとって、今回の神前の儀は単なる王太子妃の選定ではないようですね。
大切な方に、もう一度、自分の踊りを見ていただきたい。
そのようなお気持ちもあるのでしょう。
「神前の儀では、神殿を暗くして、発光する衣装を身にまとうでしょう?」
「はい」
「だから、同じ衣装を着て、決められた踊りを踊ってもらえれば、誰にも分からないと思うの!」
セリーヌ様は私の手を取られた。
「お願い、エナメル!私の代わりに踊ってちょうだい!」
……なるほど。
そういうことでございましたか。
確かに、あの儀式であれば、身代わりを務めることも不可能ではないでしょう。
ただ、先ほどから、お嬢様のお身体を巡る魔力の流れが少々気になります。
……さて。
メイドとして、取るべき道は一つですね。
「承知いたしました。私も、できる限りのお手伝いをさせていただきます」
「本当!?」
「はい。ですが、神前の儀までには、まだ少し時間がございます。まずは、お嬢様のお身体の状態を、もう少し詳しく教えていただけますか?」
セリーヌ様は、不安げながらもうなずかれた。
「ええ、もちろんよ」
こうして、神前の儀へ向けた私たちの準備が始まったのでございます。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そして、神前の儀の前日。
セリーヌ様は、私をお部屋へ呼ばれた。
「エナメル。明日は、よろしくお願いね」
「はい。承知しております」
「あなたが来てくれて、本当によかったわ」
お嬢様は、少し照れたように笑われた。
「最初は、どうしていいか分からなかったの。身体はどんどん変わってしまうし、踊ることもできなくなって……。そんな自分が、嫌いになってしまっていたの」
「はい」
「でも、あなたのおかげで、また自分のことを好きになれたわ」
……まあ。
それは、嬉しゅうございますね。
私はお嬢様のお茶をお淹れしながら、微笑んだ。
「明日の神前の儀が、お嬢様にとって、よい一日になりますように」
「ええ!」
お嬢様は、明るくうなずかれた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
神前の儀、当日。
王都の大神殿には、王族をはじめ、多くの貴族たちが集まっていた。
王太子妃の候補となった令嬢たちが、順番に神へ捧げる舞踊を披露していく。
その中には、セリーヌ様と同じく王太子妃候補となっている、公爵令嬢もいらっしゃった。
お名前は、リディア様。
今回の選定において、セリーヌ様の有力な競争相手とされている方でございます。
リディア様は、ご自分の踊りを見事に終えると、満足そうな笑みを浮かべて席へ戻られた。
そして、次に控えているセリーヌ様のお名前が呼ばれたとき。
「……ふふ」
リディア様が、小さく笑われた。
「国一番の踊り手が、どのような舞いを見せてくださるのかしら」
その声には、何やら楽しげな響きがございました。
……さて。
いよいよ、私たちの番でございますね。
大神殿の明かりが、ゆっくりと落とされた。
やがて、神殿の中央に、一人の女性が現れる。
その身体を包むのは、淡い光を放つ舞踊用の衣装。
顔は、暗闇に隠れてよく見えない。
ただ、衣装の光だけが、神殿の中央に浮かび上がっていた。
静かな音楽が流れ始める。
舞い手は、ゆっくりと両腕を広げた。
そして、一歩。
また一歩と、足を運ぶ。
淡い光が、暗闇の中に美しい軌跡を描いていった。
やがて、舞い手は身体を回転させた。
光が大きく弧を描く。
続いて、片足を軸に、ゆっくりと身体の向きを変える。
その動きは、驚くほど滑らかだった。
「……おお」
どこからともなく、感嘆の声が漏れた。
神殿に集まった人々は、誰もが舞い手の姿に見入っている。
王太子殿下も、静かに舞踊をご覧になっていた。
やがて音楽が終わり、舞い手は最後の姿勢を取った。
しばしの静寂。
舞い手は、ゆっくりと一礼すると、暗闇の奥へと姿を消した。
そして、神殿に明かりが戻ると同時に、大きな拍手が巻き起こった。
「素晴らしい!」
「さすがは、国一番の踊り手!」
「これほど見事な神前の舞いは、久しく見ておりませんぞ!」
……まあ。
皆様、大変喜んでいらっしゃるようですね。
神殿の控えの間にいる私の耳にも、その拍手は届いておりました。
これなら、神前の儀も無事に終えられそうでございます。
ところが。
一人だけ、まったく喜んでいらっしゃらない方がいたようです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
後で伺ったところによると、リディア様は舞踊が終わった途端、椅子から立ち上がられたそうです。
「そんな……!」
そして、思わず声を上げてしまわれたのだとか。
「どうして!?どうして、あんなに踊れるのよ!」
周囲の貴族たちが、驚いてリディア様を見る。
「リディア様?」
「い、いえ!何でもございませんわ!」
リディア様は慌てて笑顔を作られたそうですが、その手は小さく震えていたと聞いております。
……なるほど。
あの方は、セリーヌ様が踊れなくなっていると思っていらっしゃったのでしょうね。
もっとも、そのように思われた理由については、後ほど詳しく調べていただく必要がありそうですが。
さて、その頃の私は、控えの間で用意していたお茶を茶器へ注いでおりました。
「エナメル!」
お嬢様が、嬉しそうに声をかけてくださった。
「聞いた!?皆様が、あんなに褒めてくださったわ!」
「はい。私も、しっかりと聞いておりましたよ」
「本当に、ありがとう!」
お嬢様は、私の両手を取られた。
……まあ。
それほど喜んでいただけたのでしたら、私も嬉しゅうございますね。
そのとき。
「セリーヌ!」
控えの間に、王太子殿下がいらっしゃった。
「殿下!」
セリーヌ様が、ぱっと顔を輝かせられた。
王太子殿下は、お嬢様へ歩み寄ると、優しく微笑まれた。
「見事な舞いだったよ。やはり、君の踊りは素晴らしい」
「……ありがとうございます!」
お嬢様の目に、涙が浮かんだ。
「本当に……本当に、嬉しゅうございます」
「どうしたんだい?」
「い、いえ。何でもございません!」
セリーヌ様は、慌てて目元を拭われた。
王太子殿下は、そんなお嬢様を不思議そうに見つめていらっしゃった。
……ふふ。
どうやら、今はお二人だけにして差し上げた方がよさそうですね。
私は静かに一礼し、控えの間を後にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の夕方。
神前の儀を終えたセリーヌ様は、正式に王太子妃となる方として選ばれることになった。
王太子殿下ご自身が、以前からセリーヌ様との婚姻を望んでいらっしゃったことも、大きな理由だったようです。
何より、神前の儀で披露された見事な舞踊が、多くの人々の心を動かしたのでしょう。
お屋敷へ戻ると、旦那様も奥様も、大変喜んでいらっしゃった。
そして私は、ようやく一息つくことができたのでございます。
……ああ。
無事に終わって、何よりでございましたね。
もっとも。
今回の神前の儀には、一つだけ、皆様がご存じない秘密がございました。
それは――。
「エナメル!!」
お嬢様が、勢いよく私のお部屋へ飛び込んでこられた。
「まあ。どうなさいました?」
「私、まだ夢を見ているみたいなの!」
セリーヌ様は、ご自分のお腹へ手を当てられた。
「まさか、あんなに早く元の身体に戻れるなんて!」
……ふふ。
そうなのでございます。
神前の儀で舞踊を披露なさったのは、私ではございません。
セリーヌ様ご本人だったのです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
お話は、私がセリーヌ様の専属メイドになった日にさかのぼります。
「お嬢様。最近、何かお身体に変わったことはございませんか?」
「……急に太ってしまったこと以外は、特にないわ」
「では、お食事などはいかがでしょう?」
「いつもと変わらないわよ。ただ、最近は健康によいというお茶をいただいているの」
「お茶、でございますか?」
「ええ。リディア様からいただいたものよ。同じ王太子妃候補だから、よいお茶をぜひ飲んでほしいって」
……なるほど。
私は、お嬢様にそのお茶を見せていただくことにした。
先ほどから、気になっていたのです。
お嬢様の体内を巡る魔力。
私は長年、魔力制御を修めてまいりました。相手の魔力の流れを感じ取り、その動きを読むこともできます。
もっとも、魔力の流れが分かるからといって、何でも見抜けるわけではございません。
ですが、お嬢様の魔力の流れには、不自然な偏りがございました。
身体の一部へ魔力が集まり、通常とは異なる働きをしているように感じられたのです。
……これは、何かのお薬の影響でしょうか?
私はお茶を少しお預かりし、公爵家の専属薬師へ相談することにしました。
すると。
「……これは、蓄脂草ですな」
薬師の老人は、茶葉を調べるなり、そうおっしゃった。
……なるほど。そうきましたか。
蓄脂草。
本来は、決して悪い薬草ではございません。
長期間、十分な食事を取れない環境で活動する騎士や冒険者などが、遠征に備えて利用するものでございます。
体内の魔力の働きに作用し、食事から得た栄養を、通常よりも効率よく脂肪として蓄える。
そして、食事を取れない状況では、その蓄えをエネルギーとして利用しやすくする。
長い遠征を支える、大変ありがたい薬草なのです。
ですが、十分な食事を取っている方が、毎日のように服用するものではございません。
しかも、お嬢様のお茶には、蓄脂草の働きを長引かせる別の薬草まで混ぜられておりました。
「普通は、こんな調合はしませんぞ」
薬師の老人は、難しい表情を浮かべられた。
「これほどの量を継続して服用していれば、身体に大きな負担がかかります。まして、遠征へ向かうわけでもない令嬢に飲ませるなど……。一体、誰の仕業ですか!」
「……そうでございますか」
どうやら、偶然ではなさそうですね。
私はお茶の調査結果をお嬢様へお伝えし、旦那様と主治医にも事情を説明いたしました。
そして、主治医と薬師の協力のもと、お嬢様のお身体を元の状態へ戻すための処置を始めることになったのでございます。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……蓄脂草?」
お嬢様は、呆然としていらっしゃった。
「では、私が急に太ってしまったのは……」
「おそらく、この薬草の影響でございましょう」
「そんな……」
しばらくの間、お嬢様は何もおっしゃらなかった。
やがて、小さな声で尋ねられた。
「……私、元に戻れるの?」
「主治医の先生からは、適切な処置によって薬草の影響を取り除けば、少しずつ本来のお身体の状態へ戻っていくと伺っております」
「本当に!?」
「はい。ただし、神前の儀までに、どこまで回復なさるかは分かりません」
「……そう」
お嬢様は、少しだけ肩を落とされた。
私は、そんなお嬢様へ微笑みかけた。
「ですが、お嬢様。私も、できる限りのお手伝いをさせていただきます」
「……エナメル?」
「お嬢様は、国一番の踊り手でいらっしゃるのでしょう?」
「……ええ」
「でしたら、もう一度、踊ってみませんか?」
お嬢様が、驚いたように私を見つめられた。
「もちろん、私も神前の儀の舞踊を覚えます。お嬢様がどうしても踊れない場合には、お約束どおり、身代わりを務めさせていただきましょう」
「本当!?」
「はい。ですが、それまでは、お嬢様にも、ご自分のお身体を大切になさっていただきたいのです」
私は、静かに頭を下げた。
「もう一度、お嬢様が心から踊りを楽しめるようになること。それが、今の私の願いでございます」
セリーヌ様は、しばらく私を見つめていらっしゃった。
そして。
「……分かったわ」
小さく、けれど、はっきりとうなずかれた。
「私、もう一度踊りたい」
「はい」
「殿下に、私の踊りを見ていただきたいの!」
「ええ。では、一緒に頑張りましょう」
こうして、私たちの神前の儀に向けた準備が始まったのでございます。
それからというもの、私は毎日、お嬢様のお身体に合わせたお食事を用意することになった。
主治医の指示に従いながら、蓄脂草の影響を取り除くための治療を進めていただき、お食事の内容にも気を配る。
お野菜を使った料理。
お身体を温めるスープ。
お嬢様のお好みに合わせた、お肉やお魚の料理。
そして、食後には特別に調合したハーブティー。
もちろん、蓄脂草などは入っておりませんよ。
「エナメル、このお茶、とてもおいしいわ!」
「ありがとうございます」
「それに、あなたのお料理も!私、こんなにおいしいお野菜の料理、初めて食べたかもしれない!」
「まあ。それは何よりでございます」
お嬢様は、毎日のお食事を楽しみにしてくださるようになった。
幸いにも、蓄脂草の影響が取り除かれるにつれ、お嬢様のお身体も少しずつ本来の状態へ戻り始めました。
体内の魔力の流れも、以前よりずっと落ち着いております。
主治医の先生も、回復は順調だとおっしゃっておりました。
ただし、神前の儀までに、十分に回復できるかどうかは、まだ分かりません。
そこで私は、お嬢様のお身体の状態を確認しながら、舞踊の練習もお手伝いすることにしたのです。
「エナメル、そこはもう少し腕を高く上げるのよ」
「こうでございますか?」
「そう!それから、次の動きでは、身体をゆっくりと回転させて……」
……まあ。
さすがは、国一番と評判のお嬢様でございます。
踊りの一つ一つの動きに、きちんと意味があるのですね。
私は教わった手順を繰り返し、身体へ覚え込ませていった。
もちろん、お嬢様ご自身も、体調が許す範囲で練習を続けていらっしゃいました。
最初のうちは、ほんの少し身体を動かすだけで疲れてしまわれたのですが、日を追うごとに動きがよくなっていったのです。
そして、ある日のこと。
「……エナメル!」
「はい。どうなさいました?」
「見て!以前のように身体が動くの!」
お嬢様は、私の目の前でくるりと身体を回転させてみせられた。
少し前までは、身体の重心が変わってしまい、思うように足を運ぶこともできなかった方です。
ですが、今のお嬢様の動きには、以前のような美しさが戻りつつありました。
「私、もう一度踊れるかもしれない……!」
セリーヌ様は、嬉しそうに笑っていらっしゃった。
……ふふ。
やはり、お嬢様は踊ることがお好きなのですね。
その後も、主治医と相談しながらお身体の回復を見守り、無理のない範囲で舞踊の練習を続けていただきました。
そして、神前の儀を迎える数日前。
セリーヌ様は、以前とほとんど変わらない動きができるまでに回復なさったのでございます。
その日の練習を終えたあと、お嬢様は私へおっしゃった。
「……エナメル」
「はい」
「私、自分で踊りたい」
「……はい」
「あなたに身代わりをお願いしたけれど、やっぱり、私自身の踊りを殿下に見ていただきたいの!」
……まあ。
私は、思わず微笑んでしまいました。
「ええ。もちろんでございます」
こうして、神前の儀では、セリーヌ様ご本人が舞踊を披露なさったのでございます。
私が身代わりを務める必要は、なくなりました。
……もっとも、あれだけ練習したのですから、私も少しくらい踊ってみたかった気はいたしますけれど。
ふふ。
それは、また別の機会にいたしましょう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
さて。
これで、すべてが終わったわけではございません。
セリーヌ様へ、蓄脂草の混ざったお茶を贈った方がいらっしゃいます。
主治医と薬師によって茶葉の成分は確認されており、贈り物が届けられた経緯についても、旦那様から正式に調査をお願いすることになりました。
何しろ、王太子妃候補のお身体に、意図的に異常を起こそうとした疑いがあるのです。
これは、メイドである私が勝手に判断してよい問題ではございません。
その後、調査が進み、リディア様のご実家が関係していたことが明らかになったそうです。
リディア様は王太子妃の候補から外され、ご実家についても、王家による処分が検討されることとなりました。
……ただ、お嬢様ご自身は、あまりその話をなさりたがりませんでした。
「もう、いいの」
ある日、セリーヌ様がそうおっしゃったのです。
「もちろん、あの人がしたことを許したわけではないわ。でも、私、ようやく殿下との婚約が決まったのよ」
「はい」
「それなのに、いつまでもあの人のことばかり考えているなんて、もったいないでしょう?」
……まあ。
それも、そうでございますね。
お嬢様は、少し照れたように微笑まれた。
「それに、私には、まだ殿下にお話ししなければならないことがあるの」
「お話、でございますか?」
「ええ。私が、あの頃、どれほど太ってしまっていたのか……。それを、ちゃんとお伝えしたいの」
なるほど。
確かに、王太子殿下は、セリーヌ様のお身体が急激に変化していたことまでは、ご存じなかったようですね。
……さて。
どのようなお話し合いになるのでしょうか。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから数日後。
私はセリーヌ様に付き添い、王城へとやってまいりました。
王太子殿下との婚約が正式に決まり、お二人がこれからのことについてお話し合いをなさるためです。
私はお茶をお淹れし、お二人の側に控えておりました。
「……あの、殿下」
セリーヌ様が、少し緊張した様子で口を開かれた。
「何だい?」
「実は、殿下にお話ししておきたいことがあるのです」
「うん。聞かせてくれるかい?」
お嬢様は、膝の上で両手を握りしめられた。
「私、少し前まで、踊ることができなくなっておりました」
王太子殿下が、驚いたように目を見開かれた。
「踊れなくなっていた?」
「はい。実は、ある薬草の影響で、急激に身体が太ってしまって……」
お嬢様は、恥ずかしそうに俯かれた。
「ご覧のように元の体型へ戻ることはできましたが、一時は、ぽっちゃりを超えたぽっちゃり体型になってしまっていたのです!」
……お嬢様。
ずいぶんと、かわいらしい表現をなさいますね。
「ですから、神前の儀では、エナメルに身代わりをお願いしようとしておりました」
「……そうだったのか」
「ですが、エナメルのおかげで、無事に自分で踊ることができました!」
セリーヌ様は、そこで一度言葉を切られた。
「……でも、もし、また以前のように太ってしまったら、殿下は……」
その先が、なかなか言い出せないようです。
王太子殿下は、しばらくセリーヌ様のお顔を見つめていらっしゃった。
そして、ふっと微笑まれた。
「構わないよ」
「……え?」
「君がどんな体型になっても、僕の気持ちは変わらない」
「殿下……」
王太子殿下は、セリーヌ様の手を取られた。
「僕の隣にふさわしいのは、君だけだよ」
……まあ。
なんと、素敵なお言葉でしょう。
セリーヌ様の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ始めた。
「……ありがとうございます、殿下」
「こちらこそ、話してくれてありがとう」
王太子殿下は、セリーヌ様を優しく抱き寄せられた。
私は、お二人の邪魔にならないよう、静かに一礼した。
……ふふ。
どうやら、これで一安心でございますね。
お嬢様は、体型が変わってしまうことを、ずいぶんと気にしていらっしゃいました。
ですが、王太子殿下は、そんなお嬢様のお気持ちまで、しっかりと受け止めてくださったようです。
これからも、お二人が仲良くお過ごしになれますように。
私は、心からそう願ったのでございます。
……ところが。
それからしばらくして、私は少々意外なことを知ることになりました。
ある日、王城で開かれた茶会に、セリーヌ様のお供として参加したときのことです。
お嬢様と王太子殿下は、王妃陛下へご挨拶に向かわれた。
私も、少し後ろに控えておりました。
王妃陛下。
かつて、この国で最も美しい舞踊を披露する方として、広く知られていた女性でございます。
そのお姿を、私は初めて間近で拝見することになりました。
……まあ。
これは、なかなか。
王妃陛下は、大変ふくよかな体型をしていらっしゃいました。
セリーヌ様が蓄脂草の影響を受けていた頃よりも、さらにふくよかでいらっしゃるかもしれません。
けれど、そのお顔には優しい笑みが浮かび、王太子殿下も、王妃陛下へ大変親しげに話しかけていらっしゃった。
「母上。こちらがセリーヌです」
「まあ!あなたがセリーヌさんね!」
王妃陛下は、嬉しそうに両手を広げられた。
「昔から、息子があなたのお話ばかりするものだから、ずっとお会いしたかったのよ!」
「お、王妃陛下!こちらこそ、お目にかかれて光栄でございます!」
セリーヌ様が慌てて頭を下げられる。
王妃陛下は、にこにこと笑いながら、お嬢様のお手を取られた。
「これからは、私のこともお母様と呼んでちょうだいね!」
「は、はい!」
……まあ。
大変お優しい王妃陛下でございますね。
その後も、お二人は楽しそうにお話を続けていらっしゃった。
そして、しばらくして。
王妃陛下が、王太子殿下へおっしゃったのです。
「そういえば、あなた。セリーヌさんのことで、一つ聞いておきたいことがあるのだけれど」
「何でしょう、母上?」
「あなた、以前、私に言っていたでしょう? 結婚するなら、ふくよかな女性がいいって」
「……母上!?」
王太子殿下が、珍しく慌てられた。
セリーヌ様も、目を丸くしていらっしゃる。
「え……?」
王妃陛下は、そんなお二人に気づかず、楽しそうに笑われた。
「昔からそうなのよ、この子。私が少し太ってからというもの、ふくよかな女性を見ると安心するんですって」
「母上!その話は、今は……!」
「まあ、いいじゃないの。好みなんて、人それぞれなのだから!」
……なるほど。
私は、王妃陛下と王太子殿下を交互に見つめた。
そういうことでございましたか。
王太子殿下は、ふくよかな女性がお好みだったのですね。
ということは。
……お嬢様。
あれほど、お身体のことで悩んでいらっしゃいましたけれど。
もしかすると、以前のお姿でも、殿下は大変喜んでくださったのではございませんか?
そんなことを考えていると、セリーヌ様が恐る恐る王太子殿下へ尋ねられた。
「あ、あの……殿下?」
「……何だい?」
「もしかして、私が以前のような体型になっても、本当に構わないとおっしゃったのは……」
王太子殿下は、少しだけ顔を赤くされた。
そして。
「……その」
「はい」
「むしろ、僕の好みには近かったというか……」
「…………」
セリーヌ様が、固まってしまわれた。
私は、思わず口元へ手を当てた。
……まあ。
そうでございましたか。
お嬢様は、少しずつ顔を赤くされた。
そして、両手で顔を覆われた。
「そ、それなら、もっと早くおっしゃってくださいませ!!」
「いや、だって、君があまりにも悩んでいたから……」
「私は、殿下に嫌われてしまうと思っていたのですよ!?」
「嫌うわけがないだろう!僕が好きなのは君なんだから!」
「……っ!」
お嬢様は、ますます顔を赤くされた。
王妃陛下は、そんなお二人を見て、楽しそうに笑っていらっしゃる。
……ふふ。
これは、何とも。
もっとも、お嬢様が元のお身体へ戻りたかったのは、殿下のためだけではございません。
大好きだった踊りを、もう一度、思い切り踊りたかったからでもあるのです。
ですから、今回のことが無駄だったとは思いません。
それに。
お嬢様が、どのようなお姿であっても、王太子殿下は、お嬢様ご自身を愛していらっしゃる。
それが分かっただけでも、十分ではございませんか。
「……エナメル」
セリーヌ様が、真っ赤なお顔のまま私を振り返られた。
「はい。何でございましょう?」
「……今日のお茶、もう一杯いただけるかしら」
「ええ。もちろんでございます」
私は、お嬢様のお好みのお茶をお淹れした。
今度は、蓄脂草など入っていない、いつものお茶でございます。
お嬢様がそれを一口お飲みになると、王太子殿下が優しく微笑まれた。
「セリーヌ。今度、僕のために、もう一度踊ってくれないか?」
「……え?」
「神前の儀のときの踊りが、本当に素晴らしかったからね」
お嬢様は、少し驚いたように殿下を見つめられた。
そして、嬉しそうに笑われた。
「……はい!喜んで!」
……ふふ。
これからも、お二人は仲良くお過ごしになられることでしょう。
それにしても。
国一番の踊り手と呼ばれたお嬢様が、突然、私へ身代わりをお願いしてこられたときには、どうなることかと思いました。
ですが、最後にはご自分の力で神前の儀を務め、王太子殿下とも、こうして幸せそうにしていらっしゃる。
……本当に、よかったですね。
もっとも。
お嬢様の体型が変わってしまったとき、王太子殿下がどのように思われるのか。
そこだけは、私にも分からなかったのでございます。
……まさか、あちらの方がお好みだったとは。
これは、数百年メイドをしていても、なかなか予想できないことでございましたね。
私はそう思いながら、今日もいつものように、お嬢様のお茶を淹れるのでございました。




