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死んだ婚約者に「十八年後に迎えに来て」と言われたので、私は誰も愛さず待ち続けた

作者: S@Y@
掲載日:2026/07/01


 婚約者が死んだ。


 その日、私の世界は終わった。



「アルフレッド様」


 弱々しい声だった。


 窓の外には雪が降っていた。


 十歳の私は、ベッドの横で彼女の手を握っていた。


 冷たい。


 こんなにも冷たかっただろうか。


「……リリア」


 名前を呼ぶ。


 公爵令嬢リリア・エヴァンズ。


 私の婚約者。


 私の幼馴染。


 そして。


 私が、世界で一番好きな人。


「泣かないで」


 彼女は笑った。


 いつものように。


 優しく。


 でも。


 その笑顔は、とても弱々しかった。


「泣いてない」


 私は答えた。


 嘘だった。


 目の前が滲んでいた。


「嘘つき」


 リリアは笑った。


「アルフレッド様は、泣き虫です」


「泣き虫じゃない」


「泣き虫です」


「違う」


「泣き虫」


 そのやり取りを。


 あと何度できるのだろう。


 考えたくなかった。


「……死なないで」


 気づけば。


 口からこぼれていた。


 リリアは少し驚いた顔をした。


 そして。


 困ったように笑った。


「ごめんなさい」


 謝らないでほしかった。


 何も悪くない。


 悪いのは。


 病気だ。


 神様だ。


 世界だ。


「嫌だ」


 私は首を振った。


「嫌だ」


 涙が落ちる。


「絶対に嫌だ」


 リリアは、ゆっくりと私の手を握り返した。


「……アルフレッド様」


「嫌だ」


「大丈夫ですよ」


「大丈夫じゃない」


「うん」


 彼女は。


 少しだけ泣きそうな顔をした。


「私も」


 小さな声だった。


「もっと、生きたかったな」


 その言葉を聞いた瞬間。


 私の中で、何かが壊れた。


「……っ」


 声が出ない。


 嫌だ。


 嫌だ。


 嫌だ。


「アルフレッド様」


 彼女が。


 最後に。


 笑った。


「大好きです」


 その言葉を最後に。


 リリア・エヴァンズは。


 息を引き取った。



 葬儀の日。


 雪が降っていた。


 たくさんの人が泣いていた。


 公爵夫妻が泣いていた。


 父上も。


 母上も。


 侍女たちも。


 みんな泣いていた。


 でも。


 私は泣かなかった。


 泣けなかった。


 泣いたら。


 本当にいなくなってしまう気がした。


 棺の中のリリアは、眠っているようだった。


 今にも。


「アルフレッド様」


 と笑いかけてきそうだった。


 だけど。


 その唇が動くことは、もう二度とない。



 夜。


 私は部屋に閉じこもっていた。


 誰とも話したくなかった。


 何も食べたくなかった。


 ベッドに潜り込んで。


 目を閉じた。


 すると。


「……泣き虫」


 声がした。


 私は飛び起きた。


 心臓が止まりそうになった。


 目の前。


 窓辺。


 月明かりの中に。


 一人の少女が立っていた。


「……リリア」


 ありえない。


 そんなはずがない。


 今日。


 埋葬した。


 棺の中にいた。


 死んだ。


 死んだはずなのに。


「こんばんは」


 リリアは。


 困ったように笑った。


「驚かせてしまいましたね」


 私は。


 声も出なかった。



「……幽霊?」


 ようやく絞り出した言葉だった。


 リリアは首を傾げた。


「多分?」


「多分?」


「私も初めてなので」


 何を言っているんだ。


 本当に。


 何を。


「……夢だ」


 私は呟いた。


「そうだ。夢だ」


「夢じゃありません」


「夢だ」


「夢じゃありません」


 彼女は、ぷくっと頬を膨らませた。


 その仕草が。


 生きていた頃と全く同じで。


 私は。


 泣きそうになった。


「……どうして」


 震える声だった。


「どうしているの」


 リリアは。


 少しだけ俯いた。


「あと三十日だけ」


 小さな声。


「こっちにいられるみたいなんです」


「……三十日」


「はい」


 彼女は笑った。


「ですから」


 そして。


 私を見た。


「あと三十日だけ、一緒にいてください」



 それから。


 毎晩。


 午前零時になると。


 リリアは現れた。


 最初は怖かった。


 本当に。


 怖かった。


 目を閉じて。


 開いたら消えているんじゃないか。


 そう思った。


 でも。


 消えなかった。


 彼女は毎晩来た。


「こんばんは」


「……こんばんは」


「今日は何をしました?」


「勉強」


「偉いですね」


「そっちは」


「棺の中で寝てました」


「……そういう冗談やめて」


「あ」


 リリアは困った顔をした。


「ごめんなさい」


 私は泣いた。


 彼女も泣いた。


 そして。


 二人で笑った。



 三日目。


「ねえ」


「はい?」


「寒くない?」


 私は聞いた。


 リリアは首を傾げた。


「寒くないですよ」


「……そう」


 そうか。


 もう。


 寒くないのか。


 私は。


 また泣きそうになった。



 七日目。


「アルフレッド様」


「何」


「もし私がいなくなったら」


「嫌だ」


「まだ最後まで聞いてません」


「聞きたくない」


 リリアは。


 困ったように笑った。


 その顔が。


 とても悲しそうで。


 私は。


 初めて思った。


 彼女の方が。


 もっと怖いのかもしれないと。



 十五日目。


 私は聞いた。


「……死ぬの、怖かった?」


 リリアは。


 少しだけ黙った。


 そして。


 笑った。


「怖かったです」


 初めてだった。


 彼女が。


 怖いと言ったのは。


「すごく」


 月明かりの中。


 彼女は泣いていた。


「もっと生きたかったです」


 私は。


 何も言えなかった。


 ただ。


 彼女の手を握った。


 触れられないはずなのに。


 その日だけ。


 少しだけ。


 温かかった。



 二十日目。


 私は気づいた。


 リリアが、少しずつ薄くなっていることに。


 最初は気のせいだと思った。


 月明かりが強いから。


 私が眠いから。


 そう思おうとした。


 でも。


 違った。


 窓際に立つ彼女の向こう側が、透けて見えた。


「……リリア」


「はい?」


「薄くなってない?」


 彼女は一瞬だけ目を丸くした。


 そして。


 いつものように笑った。


「気のせいです」


「嘘だ」


「……はい」


 あっさり認めた。


 私は立ち上がった。


「どういうこと」


「時間がないだけです」


「時間?」


「あと十日ですから」


 その言葉が。


 思った以上に重かった。


 あと十日。


 たった十日。


 私は何も言えなくなった。


 リリアは、困ったように笑った。


「そんな顔しないでください」


「……できるわけない」


 声が震えた。


「あと十日しかないんだぞ」


 リリアは。


 少しだけ俯いた。


「はい」



 二十二日目。


 私は初めて、リリアを城の外へ連れ出した。


 もちろん。


 誰にも見えない。


 雪が積もった庭園。


 小さな頃。


 二人で遊んだ場所。


「覚えてますか?」


 リリアが聞いた。


「覚えてる」


 忘れるはずがない。


 七歳の頃。


 彼女が池に落ちた。


 私が飛び込んだ。


 そして。


 二人とも風邪をひいて、両親に怒られた。


 リリアは笑った。


「あの時、アルフレッド様が言ったんですよ」


「何を」


「『俺が守る』って」


 覚えていた。


 子どもの約束。


 でも。


 私は守れなかった。


「……守れなかった」


 口にした瞬間。


 涙が出そうになった。


「守るって言ったのに」


「アルフレッド様」


「私は」


 悔しかった。


 何もできなかった。


 王子なのに。


 婚約者なのに。


「何もできなかった……!」


 リリアは。


 そんな私を見て。


 泣きそうな顔で笑った。


「違います」


「……何が」


「守ってくれました」


「守れてない!」


「守ってくれました」


 彼女は。


 胸に手を当てた。


「ここを」


 私は。


 言葉を失った。



 二十五日目。


 リリアは、よく黙るようになった。


 今までは。


 ずっと喋っていたのに。


 時々。


 窓の外を見つめている。


「……何を見てるの?」


 私が聞く。


 リリアは。


 少しだけ笑った。


「秘密です」


「秘密?」


「はい」


 その顔が。


 とても寂しそうで。


 私は。


 聞くのをやめた。



 二十八日目。


 リリアは。


 初めて私に聞いた。


「アルフレッド様」


「何?」


「私がいなくなったら」


「嫌だ」


「最後まで聞いてください」


 少し怒られた。


「……何」


「幸せになってください」


 私は笑った。


 笑ってしまった。


「無理だ」


「どうして」


「だって」


 そんなの。


 決まっている。


「君しか好きになれない」


 リリアが固まった。


「……え」


「君が好きだ」


 初めてだった。


 ちゃんと伝えたのは。


「好きだ」


 涙が出た。


「ずっと」


 リリアも。


 泣いていた。


「……馬鹿です」


「うん」


「今言うんですか」


「うん」


「遅いです」


「ごめん」


 彼女は。


 泣きながら笑った。


「……私もです」


 その言葉を聞いた瞬間。


 私は。


 生まれて初めて。


 幸せで泣いた。



 二十九日目。


 リリアは。


 ほとんど透けていた。


 月の光みたいだった。


 もう。


 触れられない。


 声も。


 少し遠い。


「……怖い」


 私は言った。


 子どもみたいに。


「いなくならないで」


 リリアは。


 悲しそうに笑った。


「私もです」


「……え?」


「私も」


 ぽろり。


 涙が落ちた。


「離れたくないです」


 初めてだった。


 彼女が。


 そんなことを言ったのは。


「もっと」


 震える声。


「もっと一緒にいたかった」


 私は。


 もう我慢できなかった。


 泣いた。


 声を上げて。


 子どものように。


 リリアも。


 一緒に泣いた。



 三十日目。


 最後の日。


 雪は降っていなかった。


 月が綺麗だった。


「……今日なの?」


 私が聞いた。


 リリアは頷いた。


「はい」


「嫌だ」


「……はい」


「行かないで」


 リリアは。


 泣いた。


 でも。


 笑った。


「ごめんなさい」


 私は。


 彼女に手を伸ばした。


 届かない。


 でも。


 伸ばした。


「……アルフレッド様」


「何」


 リリアは。


 涙を流しながら。


 笑った。


「十八年後」


 私は息を止めた。


「迎えに来てください」


「……え?」


「私」


 月明かりが。


 彼女を照らした。


「もう一度」


 泣き笑いの顔。


「アルフレッド様に会いに行きます」


 理解できなかった。


「何を……」


「だから」


 リリアは。


 最後に。


 生きていた時と同じ笑顔を見せた。


「待っててください」


 そして。


「大好きです」


 その言葉を最後に。


 リリアは。


 月の光になって。


 消えた。



 それから。


 十八年が経った。



「陛下」


 側近が困った顔をしていた。


「また縁談をお断りになるのですか」


「ああ」


「これで何件目か……」


「数えていない」


 本当は数えていた。


 二十七件目だ。


 私は書類に目を落とした。


 だが。


 文字は頭に入ってこない。


 今日。


 私は二十八歳になった。


 そして。


 十八年前。


 彼女と約束した日でもあった。


「陛下」


 側近はため息をついた。


「そろそろお諦めになっては」


 私は顔を上げた。


「何をだ」


「……その」


 言いづらそうだった。


「十八年前のお約束を」


 私は黙った。


 そして。


 静かに言った。


「嫌だ」


 側近は目を閉じた。


 いつものことだった。


 十八年間。


 私は待った。


 誰も愛さなかった。


 誰とも婚約しなかった。


 馬鹿だと言われた。


 狂っていると言われた。


 それでも。


 待った。


 あの日。


 リリアが泣きながら言った。


 ――待っててください。


 その約束だけを。



 その日の夜。


 私は城を抜け出した。


 向かう先は。


 エヴァンズ公爵家。


 十八年前。


 リリアが生まれ育った家。


 十八年間。


 毎年。


 私はここへ来ていた。


 もちろん。


 誰にも言っていない。


 庭園の門の前で立ち止まる。


 馬鹿だ。


 本当に。


 今日だって。


 何も起きないかもしれない。


 約束なんて。


 子どもの頃の。


 夢みたいな話かもしれない。


 それでも。


 私は来た。


「……アルフレッド様?」


 声がした。


 振り返る。


 一人の少女が立っていた。


 月明かりの下。


 栗色の髪。


 青い瞳。


 年の頃は十八歳ほど。


 見たことのない少女だった。


「……失礼」


 私は頭を下げた。


「夜分遅くに申し訳ない」


「あの」


 少女が言った。


「もしかして」


 少し困ったような顔。


「毎年来ていた方ですか?」


 心臓が止まりそうになった。


「……何故、それを」


「父から聞いています」


 父。


 エヴァンズ公爵か。


「毎年、同じ日に来る王様がいるって」


 少女は笑った。


 知らない笑顔だった。


 でも。


 なぜだろう。


 胸が苦しかった。


「……そうか」


 私は笑った。


「迷惑だっただろう」


「いいえ」


 少女は首を振った。


「素敵だなって」


 素敵。


 初めて言われた。


 皆。


 愚かだと言った。


 哀れだと言った。


 でも。


 この子だけは。


 素敵だと。


「……君は?」


「あ」


 少女は慌てて頭を下げた。


「申し遅れました」


 スカートを摘む。


 綺麗なお辞儀。


「エヴァンズ公爵家三女、リナ・エヴァンズと申します」


 リナ。


 聞いたことがあった。


 十八年前。


 エヴァンズ公爵夫妻に生まれた末娘。


「……そうか」


 私は空を見た。


 月が綺麗だった。


 ああ。


 そうか。


 約束は。


 叶わなかったのか。


 仕方ない。


 そんなこと。


 最初から。


 分かっていた。


「失礼する」


 私は背を向けた。


 その時。


「……泣き虫」


 声がした。


 私は。


 動けなかった。


 風の音がした。


 心臓の音がした。


 そして。


 十八年前。


 雪の日に聞いた声がした。


「迎えに来るの、遅いです」


 ゆっくりと。


 振り返る。


 少女は。


 泣いていた。


 笑いながら。


 泣いていた。


「……リリア」


 声が震えた。


 少女は頷いた。


「はい」


 涙が落ちた。


「お待たせしました」


 十八年。


 十八年。


 私は。


 本当に。


 待っていたのだ。



「……覚えているのか」


 震える声だった。


 リナ――いや。


 リリアは。


 泣きながら笑った。


「今日」


「……今日?」


「十八歳の誕生日に」


 彼女は胸に手を当てた。


「全部、思い出しました」


 月の夜。


 雪の日。


 三十日間。


 最後の約束。


 全部。


「……ごめんなさい」


 リリアは泣いた。


「もっと早く思い出したかった」


 私は。


 首を横に振った。


「いや」


 涙が止まらない。


「いい」


 良かった。


 本当に。


 良かった。


「……待っててくれましたか」


 彼女が聞く。


 私は笑った。


 十八年ぶりに。


 心から。


「ああ」


 たった一言。


 でも。


 それだけで良かった。


「十八年」


 私は泣いた。


「ずっと待っていた」


 リリアは。


 声を上げて泣いた。


 そして。


 走った。


 十八年前はできなかったこと。


 私の胸に。


 飛び込んできた。


「ただいま」


 その言葉を聞いた瞬間。


 私の十八年間は。


 全て報われた。


「……おかえり」


 私は。


 世界で一番愛しい人を。


 もう二度と離さないように。


 強く。


 強く抱きしめた。



 その年。


 国王アルフレッドは結婚した。


 相手は。


 十八年間待ち続けた。


 たった一人の婚約者。


 後に人々は語る。


 それは。


 世界で最も長い初恋だったのだと。

【あとがき】


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


『死んだ婚約者に「十八年後に迎えに来て」と言われたので、私は誰も愛さず待ち続けた』は、「もし、大切な人との約束を本当に十八年間守り続けた人がいたら」という思いから生まれた物語です。


十歳で最愛の人を失ったアルフレッド。

そして、三十日だけ戻ってきたリリア。


もし私だったら十八年間待てるだろうか。

もし大切な人に「待っていて」と言われたら、信じ続けられるだろうか。


そんなことを考えながら書きました。


アルフレッドにとっての十八年間は、とても長く、苦しく、そして幸せな十八年間だったのだと思います。

そしてリリアもまた、十八年越しにようやく「ただいま」を言うことができました。


二人の物語が、少しでも皆様の心に残っていたなら、とても嬉しいです。


もし「良かった!」「泣いた!」「十八年間待ち続けたアルフレッドが報われて良かった!」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると、今後の創作の励みになります。


最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
三十日間の別れと十八年の待ち時間が丁寧に積み重なり、「泣き虫」の一言で記憶がつながる場面に胸が熱くなりました。「ただいま」「おかえり」で長い孤独が報われる再会が、とても優しく美しかったです。
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