死んだ婚約者に「十八年後に迎えに来て」と言われたので、私は誰も愛さず待ち続けた
婚約者が死んだ。
その日、私の世界は終わった。
◇
「アルフレッド様」
弱々しい声だった。
窓の外には雪が降っていた。
十歳の私は、ベッドの横で彼女の手を握っていた。
冷たい。
こんなにも冷たかっただろうか。
「……リリア」
名前を呼ぶ。
公爵令嬢リリア・エヴァンズ。
私の婚約者。
私の幼馴染。
そして。
私が、世界で一番好きな人。
「泣かないで」
彼女は笑った。
いつものように。
優しく。
でも。
その笑顔は、とても弱々しかった。
「泣いてない」
私は答えた。
嘘だった。
目の前が滲んでいた。
「嘘つき」
リリアは笑った。
「アルフレッド様は、泣き虫です」
「泣き虫じゃない」
「泣き虫です」
「違う」
「泣き虫」
そのやり取りを。
あと何度できるのだろう。
考えたくなかった。
「……死なないで」
気づけば。
口からこぼれていた。
リリアは少し驚いた顔をした。
そして。
困ったように笑った。
「ごめんなさい」
謝らないでほしかった。
何も悪くない。
悪いのは。
病気だ。
神様だ。
世界だ。
「嫌だ」
私は首を振った。
「嫌だ」
涙が落ちる。
「絶対に嫌だ」
リリアは、ゆっくりと私の手を握り返した。
「……アルフレッド様」
「嫌だ」
「大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃない」
「うん」
彼女は。
少しだけ泣きそうな顔をした。
「私も」
小さな声だった。
「もっと、生きたかったな」
その言葉を聞いた瞬間。
私の中で、何かが壊れた。
「……っ」
声が出ない。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
「アルフレッド様」
彼女が。
最後に。
笑った。
「大好きです」
その言葉を最後に。
リリア・エヴァンズは。
息を引き取った。
◇
葬儀の日。
雪が降っていた。
たくさんの人が泣いていた。
公爵夫妻が泣いていた。
父上も。
母上も。
侍女たちも。
みんな泣いていた。
でも。
私は泣かなかった。
泣けなかった。
泣いたら。
本当にいなくなってしまう気がした。
棺の中のリリアは、眠っているようだった。
今にも。
「アルフレッド様」
と笑いかけてきそうだった。
だけど。
その唇が動くことは、もう二度とない。
◇
夜。
私は部屋に閉じこもっていた。
誰とも話したくなかった。
何も食べたくなかった。
ベッドに潜り込んで。
目を閉じた。
すると。
「……泣き虫」
声がした。
私は飛び起きた。
心臓が止まりそうになった。
目の前。
窓辺。
月明かりの中に。
一人の少女が立っていた。
「……リリア」
ありえない。
そんなはずがない。
今日。
埋葬した。
棺の中にいた。
死んだ。
死んだはずなのに。
「こんばんは」
リリアは。
困ったように笑った。
「驚かせてしまいましたね」
私は。
声も出なかった。
◇
「……幽霊?」
ようやく絞り出した言葉だった。
リリアは首を傾げた。
「多分?」
「多分?」
「私も初めてなので」
何を言っているんだ。
本当に。
何を。
「……夢だ」
私は呟いた。
「そうだ。夢だ」
「夢じゃありません」
「夢だ」
「夢じゃありません」
彼女は、ぷくっと頬を膨らませた。
その仕草が。
生きていた頃と全く同じで。
私は。
泣きそうになった。
「……どうして」
震える声だった。
「どうしているの」
リリアは。
少しだけ俯いた。
「あと三十日だけ」
小さな声。
「こっちにいられるみたいなんです」
「……三十日」
「はい」
彼女は笑った。
「ですから」
そして。
私を見た。
「あと三十日だけ、一緒にいてください」
◇
それから。
毎晩。
午前零時になると。
リリアは現れた。
最初は怖かった。
本当に。
怖かった。
目を閉じて。
開いたら消えているんじゃないか。
そう思った。
でも。
消えなかった。
彼女は毎晩来た。
「こんばんは」
「……こんばんは」
「今日は何をしました?」
「勉強」
「偉いですね」
「そっちは」
「棺の中で寝てました」
「……そういう冗談やめて」
「あ」
リリアは困った顔をした。
「ごめんなさい」
私は泣いた。
彼女も泣いた。
そして。
二人で笑った。
◇
三日目。
「ねえ」
「はい?」
「寒くない?」
私は聞いた。
リリアは首を傾げた。
「寒くないですよ」
「……そう」
そうか。
もう。
寒くないのか。
私は。
また泣きそうになった。
◇
七日目。
「アルフレッド様」
「何」
「もし私がいなくなったら」
「嫌だ」
「まだ最後まで聞いてません」
「聞きたくない」
リリアは。
困ったように笑った。
その顔が。
とても悲しそうで。
私は。
初めて思った。
彼女の方が。
もっと怖いのかもしれないと。
◇
十五日目。
私は聞いた。
「……死ぬの、怖かった?」
リリアは。
少しだけ黙った。
そして。
笑った。
「怖かったです」
初めてだった。
彼女が。
怖いと言ったのは。
「すごく」
月明かりの中。
彼女は泣いていた。
「もっと生きたかったです」
私は。
何も言えなかった。
ただ。
彼女の手を握った。
触れられないはずなのに。
その日だけ。
少しだけ。
温かかった。
◇
二十日目。
私は気づいた。
リリアが、少しずつ薄くなっていることに。
最初は気のせいだと思った。
月明かりが強いから。
私が眠いから。
そう思おうとした。
でも。
違った。
窓際に立つ彼女の向こう側が、透けて見えた。
「……リリア」
「はい?」
「薄くなってない?」
彼女は一瞬だけ目を丸くした。
そして。
いつものように笑った。
「気のせいです」
「嘘だ」
「……はい」
あっさり認めた。
私は立ち上がった。
「どういうこと」
「時間がないだけです」
「時間?」
「あと十日ですから」
その言葉が。
思った以上に重かった。
あと十日。
たった十日。
私は何も言えなくなった。
リリアは、困ったように笑った。
「そんな顔しないでください」
「……できるわけない」
声が震えた。
「あと十日しかないんだぞ」
リリアは。
少しだけ俯いた。
「はい」
◇
二十二日目。
私は初めて、リリアを城の外へ連れ出した。
もちろん。
誰にも見えない。
雪が積もった庭園。
小さな頃。
二人で遊んだ場所。
「覚えてますか?」
リリアが聞いた。
「覚えてる」
忘れるはずがない。
七歳の頃。
彼女が池に落ちた。
私が飛び込んだ。
そして。
二人とも風邪をひいて、両親に怒られた。
リリアは笑った。
「あの時、アルフレッド様が言ったんですよ」
「何を」
「『俺が守る』って」
覚えていた。
子どもの約束。
でも。
私は守れなかった。
「……守れなかった」
口にした瞬間。
涙が出そうになった。
「守るって言ったのに」
「アルフレッド様」
「私は」
悔しかった。
何もできなかった。
王子なのに。
婚約者なのに。
「何もできなかった……!」
リリアは。
そんな私を見て。
泣きそうな顔で笑った。
「違います」
「……何が」
「守ってくれました」
「守れてない!」
「守ってくれました」
彼女は。
胸に手を当てた。
「ここを」
私は。
言葉を失った。
◇
二十五日目。
リリアは、よく黙るようになった。
今までは。
ずっと喋っていたのに。
時々。
窓の外を見つめている。
「……何を見てるの?」
私が聞く。
リリアは。
少しだけ笑った。
「秘密です」
「秘密?」
「はい」
その顔が。
とても寂しそうで。
私は。
聞くのをやめた。
◇
二十八日目。
リリアは。
初めて私に聞いた。
「アルフレッド様」
「何?」
「私がいなくなったら」
「嫌だ」
「最後まで聞いてください」
少し怒られた。
「……何」
「幸せになってください」
私は笑った。
笑ってしまった。
「無理だ」
「どうして」
「だって」
そんなの。
決まっている。
「君しか好きになれない」
リリアが固まった。
「……え」
「君が好きだ」
初めてだった。
ちゃんと伝えたのは。
「好きだ」
涙が出た。
「ずっと」
リリアも。
泣いていた。
「……馬鹿です」
「うん」
「今言うんですか」
「うん」
「遅いです」
「ごめん」
彼女は。
泣きながら笑った。
「……私もです」
その言葉を聞いた瞬間。
私は。
生まれて初めて。
幸せで泣いた。
◇
二十九日目。
リリアは。
ほとんど透けていた。
月の光みたいだった。
もう。
触れられない。
声も。
少し遠い。
「……怖い」
私は言った。
子どもみたいに。
「いなくならないで」
リリアは。
悲しそうに笑った。
「私もです」
「……え?」
「私も」
ぽろり。
涙が落ちた。
「離れたくないです」
初めてだった。
彼女が。
そんなことを言ったのは。
「もっと」
震える声。
「もっと一緒にいたかった」
私は。
もう我慢できなかった。
泣いた。
声を上げて。
子どものように。
リリアも。
一緒に泣いた。
◇
三十日目。
最後の日。
雪は降っていなかった。
月が綺麗だった。
「……今日なの?」
私が聞いた。
リリアは頷いた。
「はい」
「嫌だ」
「……はい」
「行かないで」
リリアは。
泣いた。
でも。
笑った。
「ごめんなさい」
私は。
彼女に手を伸ばした。
届かない。
でも。
伸ばした。
「……アルフレッド様」
「何」
リリアは。
涙を流しながら。
笑った。
「十八年後」
私は息を止めた。
「迎えに来てください」
「……え?」
「私」
月明かりが。
彼女を照らした。
「もう一度」
泣き笑いの顔。
「アルフレッド様に会いに行きます」
理解できなかった。
「何を……」
「だから」
リリアは。
最後に。
生きていた時と同じ笑顔を見せた。
「待っててください」
そして。
「大好きです」
その言葉を最後に。
リリアは。
月の光になって。
消えた。
◇
それから。
十八年が経った。
◇
「陛下」
側近が困った顔をしていた。
「また縁談をお断りになるのですか」
「ああ」
「これで何件目か……」
「数えていない」
本当は数えていた。
二十七件目だ。
私は書類に目を落とした。
だが。
文字は頭に入ってこない。
今日。
私は二十八歳になった。
そして。
十八年前。
彼女と約束した日でもあった。
「陛下」
側近はため息をついた。
「そろそろお諦めになっては」
私は顔を上げた。
「何をだ」
「……その」
言いづらそうだった。
「十八年前のお約束を」
私は黙った。
そして。
静かに言った。
「嫌だ」
側近は目を閉じた。
いつものことだった。
十八年間。
私は待った。
誰も愛さなかった。
誰とも婚約しなかった。
馬鹿だと言われた。
狂っていると言われた。
それでも。
待った。
あの日。
リリアが泣きながら言った。
――待っててください。
その約束だけを。
◇
その日の夜。
私は城を抜け出した。
向かう先は。
エヴァンズ公爵家。
十八年前。
リリアが生まれ育った家。
十八年間。
毎年。
私はここへ来ていた。
もちろん。
誰にも言っていない。
庭園の門の前で立ち止まる。
馬鹿だ。
本当に。
今日だって。
何も起きないかもしれない。
約束なんて。
子どもの頃の。
夢みたいな話かもしれない。
それでも。
私は来た。
「……アルフレッド様?」
声がした。
振り返る。
一人の少女が立っていた。
月明かりの下。
栗色の髪。
青い瞳。
年の頃は十八歳ほど。
見たことのない少女だった。
「……失礼」
私は頭を下げた。
「夜分遅くに申し訳ない」
「あの」
少女が言った。
「もしかして」
少し困ったような顔。
「毎年来ていた方ですか?」
心臓が止まりそうになった。
「……何故、それを」
「父から聞いています」
父。
エヴァンズ公爵か。
「毎年、同じ日に来る王様がいるって」
少女は笑った。
知らない笑顔だった。
でも。
なぜだろう。
胸が苦しかった。
「……そうか」
私は笑った。
「迷惑だっただろう」
「いいえ」
少女は首を振った。
「素敵だなって」
素敵。
初めて言われた。
皆。
愚かだと言った。
哀れだと言った。
でも。
この子だけは。
素敵だと。
「……君は?」
「あ」
少女は慌てて頭を下げた。
「申し遅れました」
スカートを摘む。
綺麗なお辞儀。
「エヴァンズ公爵家三女、リナ・エヴァンズと申します」
リナ。
聞いたことがあった。
十八年前。
エヴァンズ公爵夫妻に生まれた末娘。
「……そうか」
私は空を見た。
月が綺麗だった。
ああ。
そうか。
約束は。
叶わなかったのか。
仕方ない。
そんなこと。
最初から。
分かっていた。
「失礼する」
私は背を向けた。
その時。
「……泣き虫」
声がした。
私は。
動けなかった。
風の音がした。
心臓の音がした。
そして。
十八年前。
雪の日に聞いた声がした。
「迎えに来るの、遅いです」
ゆっくりと。
振り返る。
少女は。
泣いていた。
笑いながら。
泣いていた。
「……リリア」
声が震えた。
少女は頷いた。
「はい」
涙が落ちた。
「お待たせしました」
十八年。
十八年。
私は。
本当に。
待っていたのだ。
◇
「……覚えているのか」
震える声だった。
リナ――いや。
リリアは。
泣きながら笑った。
「今日」
「……今日?」
「十八歳の誕生日に」
彼女は胸に手を当てた。
「全部、思い出しました」
月の夜。
雪の日。
三十日間。
最後の約束。
全部。
「……ごめんなさい」
リリアは泣いた。
「もっと早く思い出したかった」
私は。
首を横に振った。
「いや」
涙が止まらない。
「いい」
良かった。
本当に。
良かった。
「……待っててくれましたか」
彼女が聞く。
私は笑った。
十八年ぶりに。
心から。
「ああ」
たった一言。
でも。
それだけで良かった。
「十八年」
私は泣いた。
「ずっと待っていた」
リリアは。
声を上げて泣いた。
そして。
走った。
十八年前はできなかったこと。
私の胸に。
飛び込んできた。
「ただいま」
その言葉を聞いた瞬間。
私の十八年間は。
全て報われた。
「……おかえり」
私は。
世界で一番愛しい人を。
もう二度と離さないように。
強く。
強く抱きしめた。
◇
その年。
国王アルフレッドは結婚した。
相手は。
十八年間待ち続けた。
たった一人の婚約者。
後に人々は語る。
それは。
世界で最も長い初恋だったのだと。
【あとがき】
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
『死んだ婚約者に「十八年後に迎えに来て」と言われたので、私は誰も愛さず待ち続けた』は、「もし、大切な人との約束を本当に十八年間守り続けた人がいたら」という思いから生まれた物語です。
十歳で最愛の人を失ったアルフレッド。
そして、三十日だけ戻ってきたリリア。
もし私だったら十八年間待てるだろうか。
もし大切な人に「待っていて」と言われたら、信じ続けられるだろうか。
そんなことを考えながら書きました。
アルフレッドにとっての十八年間は、とても長く、苦しく、そして幸せな十八年間だったのだと思います。
そしてリリアもまた、十八年越しにようやく「ただいま」を言うことができました。
二人の物語が、少しでも皆様の心に残っていたなら、とても嬉しいです。
もし「良かった!」「泣いた!」「十八年間待ち続けたアルフレッドが報われて良かった!」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると、今後の創作の励みになります。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




