婚約破棄された公爵令嬢ですが、裏切った元婚約者より冷酷な辺境伯に溺愛されています
「――よって、エレノア・ヴァルシュタインとの婚約を破棄する!!」
高々と響いた声に、舞踏会場が静まり返った。
シャンデリアの光。ざわめき。息を呑む貴族達。
その中心で、私はゆっくりと瞬きをした。
「……理由を、お聞きしても?」
なるべく冷静に尋ねたつもりだった。
けれど、目の前の男――第二王子リヒトは、鼻で笑った。
「白々しいな。お前がカミラを虐げていた証拠は揃っている」
隣で涙を流すのは、男爵令嬢カミラ。
あぁ、なるほど。
そういう筋書きか。
「エレノア様が怖くて……っ、わたくし、何度も階段から突き落とされそうに……!」
嘘泣きまで完璧。
感心するくらいだ。
……まぁ。
その女と私の婚約者が、裏で抱き合っていたことを知っている時点で、全部茶番なんだけど。
「リヒト殿下」
「なんだ」
「貴方、三日前の夜。西棟の客室で何をしていました?」
一瞬。
リヒトの表情が固まった。
「…………何の話だ」
「カミラ様と随分お楽しみだったようで」
会場がどよめいた。
カミラの顔が引き攣る。
「なっ……!?」
「侍女達が見ております。証言も取れますが?」
「き、貴様!!」
顔を真っ赤にして怒鳴るリヒト。
あー、図星だ。
分かりやすすぎる。
「浮気した側が、よくもまぁ婚約破棄なんて言えたものですね」
「黙れ!!」
「嫌ですけど」
ピキッと。
王子の額に青筋が浮いた。
でも、次の瞬間だった。
「――そこまでにしておけ、リヒト」
低い声が響く。
会場の空気が、一気に凍った。
皆が道を開ける。
そこにいたのは、黒い軍服を纏った男。
銀灰色の髪。
鋭い蒼眼。
“氷血の辺境伯”。
レオン・クロイツェル。
「れ、レオン卿……」
リヒトの声が露骨に震える。
無理もない。
この男、戦場で敵国を三つ潰した化け物だ。
「公開処刑は終わったか?」
「こ、これは王家の問題だ!」
「違うな」
レオンは私の前に立った。
そして、静かに告げる。
「エレノア嬢は、今後クロイツェル家が保護する」
ざわっ――と空気が揺れた。
「……は?」
待って。
私も初耳なんだけど。
「レオン卿!? なぜです!?」
叫ぶリヒトを、レオンは冷え切った目で見た。
「優秀な令嬢を捨てる愚か者がいるなら、拾う者がいるだけだ」
そのまま。
彼は私の手を取った。
大きくて、熱い手。
「行くぞ、エレノア」
「えっ、ちょっ――」
半ば強引にエスコートされる。
周囲の視線が痛い。
いや痛すぎる。
何これ。
私、今から誘拐される?
でも。
振り返った先で。
リヒトとカミラの顔が、悔しさで歪んでいるのを見た瞬間。
……少しだけ、胸がすいた。
◇
「……つまり」
辺境伯邸の応接室。
私は紅茶を置きながら言った。
「どうして私を助けたんです?」
「気まぐれだ」
「絶対嘘ですよね?」
「……半分は本当だ」
レオンはソファに深く腰掛けたまま、私を見る。
「お前は優秀だ。社交、経営、交渉術。王家よりも辺境に必要な人材だ」
「人材扱い」
「不満か?」
「少し」
即答すると、レオンは僅かに笑った。
……この人、笑えるんだ。
怖すぎて知らなかった。
「それに」
「?」
「泣いていなかった」
「……え?」
「普通の令嬢なら、婚約破棄で泣き喚く」
彼は淡々と言う。
「だが、お前は最後まで戦った」
その言葉に。
胸が、少し熱くなった。
「負けたく、なかっただけです」
「そういう女は嫌いじゃない」
ズルい。
そんな真顔で言うの。
心臓に悪い。
◇
それから数ヶ月。
私は辺境伯領で働き始めた。
……忙しい。
死ぬほど忙しい。
「待ってくださいこの税率おかしいですよ!? 誰ですかこのザル計算したの!!」
「前任の文官」
「クビにしてください!!」
「もうした」
「仕事が早い!!」
でも、不思議だった。
王都にいた頃より、ずっと息がしやすい。
誰も私を“王子の婚約者”として見ない。
エレノア個人として接してくれる。
それが、嬉しかった。
そして。
「エレノア」
「はい?」
「無理するな」
レオンは時々、こんなふうに甘やかしてくる。
「顔色が悪い」
「寝不足なだけです」
「今日は休め」
「仕事が」
「俺が命令している」
「横暴」
「嫌なら抱えて寝室まで運ぶが」
「働きます」
即答した。
だってこの人、本当にやる。
◇
そんなある日。
王都から知らせが届く。
「……リヒト殿下が?」
「あぁ」
レオンが書類を机に置いた。
「カミラと正式に婚約したらしい」
「へぇ」
どうでもよかった。
本当に。
驚くほど。
「興味なさそうだな」
「もう終わった人なので」
そう答えた瞬間。
レオンが、ふっと笑った。
「なら良い」
「?」
「未練があるなら、奪うのが面倒だった」
…………は?
「えっ?」
「言っていなかったか」
レオンは平然としている。
「俺は最初から、お前を妻にするつもりだった」
思考停止。
無理。
情報量多い。
「いや待ってください」
「待たん」
「なんでそんな当然みたいに!?」
「好きだからだ」
サラッと言うな!!
こっちは今、心臓爆発しそうなんだけど!?
「お前は賢い。強い。諦めない。見ていて飽きない」
レオンは立ち上がる。
そして。
私の頬に触れた。
「エレノア」
低い声。
真っ直ぐな目。
「俺の隣にいろ」
――勝てるわけない。
こんなの。
好きになるに決まってる。
「……断ったら?」
「攫う」
「最低」
「知っている」
でも。
その不器用な優しさが。
怖いくらい、愛しかった。
◇
一年後。
王都。
「どうしてこんなことに……!」
叫ぶのはカミラだった。
リヒトの不正会計。
横領。
愛人への浪費。
全部が明るみに出たのだ。
王家は大混乱。
そして。
「エレノア……っ、お前が戻ってくれれば……!」
縋るように言う元婚約者を。
私は冷たく見下ろした。
「お断りします」
「なっ……!」
「浮気して捨てた女に何を期待してるんです?」
あの時と違う。
私はもう、一人じゃない。
背後から伸びた腕が、私の腰を抱く。
「俺の妻に触るな」
レオンだった。
リヒトの顔が絶望に染まる。
当然だ。
今の私は、辺境伯夫人。
もう二度と、貴方のものにはならない。
「帰りましょう、レオン」
「あぁ」
そのまま歩き出す。
春風が吹く。
隣の温もりが、心地良い。
「……エレノア」
「はい?」
「愛している」
不意打ち。
ほんとズルい。
「……私もです」
そう答えると。
氷血の辺境伯は、少しだけ優しく笑った。




