軍師と魔法の箒
九話目
パピルス商会を後にしたロアが次に向かったのは、通りの小道にひっそりと佇む小さな喫茶店。
行きつけの店だとか、人からおすすめされた訳ではない。
少し足休めできる場所を探していたところ、目に付いたのがたまたまここだったのだ。
古びた木製の扉を開くと、ふんわりと珈琲のほろ苦い香りが漂い、ガラス窓からは薄らと陽の光が滲む。
壁際にはずっしりと敷き詰められた蔵書の棚が、カウンターに並べられた丸椅子は、劣化からか表面の木片が剥げていた。
見回す限り客はいない。
マスターがただ一人、コポコポと珈琲豆を焚いており、室内はしんとした静寂に包まれていた。
ロアは珈琲を一つ頼み窓際の席へと着席すると、商会で手に入れた地図を広げた。
そう、やっと現在地を確認できるのだ。
「えっと……この国の名前は"サウザリア"。そして、現在地はパトレアの街と……おぉ結構遠いなぁ」
大陸地図の一番北側に、ロアの祖国であるアレシア皇国が位置している。そして今は、皇国と関係を持つ周辺諸国より更に南の方、サウザリア王国にいるようだった。
歩きでの旅路なら一年ほど、飛行魔法を使っても半年はかかる距離である。
更に悪いことに、飛行魔法の補助魔道具である"箒"は皇国に置いてきてしまった。幾らロアといえども、飛行魔法を箒無しでぶっ通しに一日使うのは不可能だ。
そもそも、飛行魔法は魔力消費の低い自然魔法の類ではあるが、生身で使うには精密な魔力コントロールと身体能力的なセンスが必要となってくる。
そこで開発されたのが、『箒』と呼ばれる魔道具。正式名称は『魔石挿入型飛行補助魔道具』。長ったらしい為、多くの人は見た目から『箒』と呼んでいる。
身体を動かす事が苦手な者でもただ跨って魔力を流すだけで空を自在に飛び回ることが出来る代物だ。
「思ったより手間のかかる事になったようだな、――……呪術師風情がやってくれる」
あの時の呪術師に憤りこそ覚えても、今ここに奴はいないのだ。
ロアがすべきことはただ一つ。皇国までの最短ルートを探すことだけある。
う〜んと考え込むロア。
何でもいい、これまで見聞きしてきた話で何か役に立つものはないか……。
『――そういえば、ロアは『大陸魔法協会』に所属しているんだよな?』
ふと、記憶の片隅に幼い頃のアルベルト陛下の声が脳裏に過ぎった。
『ほぼ形だけですけどね、そういえば協会の運営している魔法学院も面白かったですよ〜、魔法についての新しい論理や研究が進められていて――』
「そうだ、転移魔術の研究機関……」
大陸魔法協会直轄の魔法使い養成学校のアストラル魔法学院。
ロアは一度だけ、協会の仕事でその魔法学院に訪れたことがある。
各国に存在する一般的な魔法学校とは異なり、学院の教育方針は『優秀な魔法使いの育成』というよりも、『魔法という概念そのものを研究、追求する』というものだ。
そのためか、学院に設けられた研究機関で扱うものは世間の常識から外れたものばかりだ。
空間干渉魔法、時空魔法、時間魔法、召喚魔法、古代魔法文明期の魔法陣解析――そして、空間転移魔法。
空間干渉、空間転移系統の魔法においては、半ば協会から黙認されるような形で危険な研究が繰り返されていたのは言うまでもない。
良くも悪くも、魔法という分野において、並々ならぬ信念を抱いた者達が集まる場所なのだ。
「……皇国まで、転移出来れば」
最短どころか一瞬だ。
危険性は十分承知している。もしかしたら、今度は別次元に転移して、この大陸にすら居なくなるかもしれない。協会の人間に今のロアの姿がバレれば、反皇帝派の連中の耳まで届きアルベルト陛下の身に危険が及ぶかもしれない。
――……それでも、徒歩一年や、飛行半年よりかは現実的に見えた。
「決めた、アストラル魔法学院に行こう」
そう呟き、静かに地図を畳む。
入れ直して貰った珈琲を片手に、ロアはほっと息をついた。
ギルド近くの宿舎へと帰ってきたロアは、辺りの騒々しさに首を傾げた。
「あ、ロアさーん!!」
「ミランダさん」
声がした方に目を向けると、そこには受付嬢のミランダの姿が。
しかし、その顔には焦りが浮かんでおり、栗色の髪の隙間からは小さな雫が浮かんでいるようであった。
この騒ぎとも何か関係があるのだろうか。
「何かあったんですか?」
「じ、実は『封石の迷宮』に向かったパーティが幾つか行方不明になってしまって……!」
「『封石の迷宮』……って、ついさっき俺が行ってきた迷宮じゃないですか!」
「そうです!それでギルドマスターがロアさんにも事情聴取をしたいと仰られていて、ギルドまで来ていただけますか?」
「なるほど、それなら行かないとですね」
まさか犯人に仕立てあげられているわけではないと思うが……身の潔白のためにも、ここは大人しく言う通りにしておいた方がいいだろう。経験則である。
ギルドの談話室へと通されると、ソファには数名の冒険者とギルドマスターのニコラスが腰掛けていた。
どうやら此度の件の会議中らしい。
入っていいものかと扉の前に立ち尽くしていると、こちらに気づいたらしいニコラスと目が合った。
「あぁ、ロアか。話はミランダからある程度は聞いてるよな?」
「はい、迷宮内でパーティが何組か行方不明になっているんですよね」
詳細に言えば、Dランクパーティ二組と、一つランクが上のCランクパーティ一組だ。
「そうだ、早速で済まないが、『封石の迷宮』で何か異変のようなものは見られなかったか?何でもいい、気になったことがあれば教えてくれ」
切羽詰まった様子でこちらに目を向けるニコラス。
そういえば、行方不明になった冒険者を覗けば、迷宮から帰ってきたのはロア一人であったらしい。
唯一の情報提供者が、ロアしかこの場にいないのだ。
しかし……。
「――申し訳ありませんが、迷宮内での異常は感じられませんでした。俺は魔法使いなので魔力の流れには敏感なのですが、魔物の群れがあるような魔力反応は上層から下層三十階辺りまではなかったと思います」
談話室には重たい沈黙が落ちた。




