1話 選ばれた者 (改訂版)
眩しい光。
目を覚まし、顔を洗って歯を磨く。
ボサボサの真紅の髪を整える。
寝ぼけたアホ面を鏡に晒している男。
ベレス子爵家に仕えている者達は、彼をこう呼ぶ。
「ラーセル様」、あるいは「坊ちゃま」と。
メイドが持ってきた朝食を、もそもそと口に入れる。
食後のコーヒーを啜りながら、今朝届いたばかりの伝聞紙で情報を確認。
これが彼のルーティーンだ。
「……ん?」
ふざけた内容から真面目なものまで様々な情報を知れる伝聞紙だが、今日はいつもと様子が違う。
一面には大々的に、その報せが載っていた。
【20年ぶり、新たな勇者が発見される!正式な発表は建国祭、王都にて!】
「ふーん……」
どこか他人事のような、珍しくはあるがそこまで気にもならない感じ。
『ハウゼン王国』。スラウス大陸の北方付近に建国された、最も古い国。
その国の、唯一無二の強みとは何か?
国政に携わる者は皆、内外問わずにこう答える――、【勇者】である、と。
精霊と交信でき、魔王に立ち向かう存在。
人類の希望であり、平和の象徴でもある。
ハウゼン王国以外の国で、勇者が誕生した事例は無い。
だからこそ特別。だからこそ無二なのだ。
そんな勇者が、建国祭に合わせて王都で公表されるという話。
ベレス子爵領は、王都に近い好立地。
だが、わざわざ見に行こうとも思わない。
誰もが特別になりたい。当然のこと。
しかし、誰もが特別な人を目にしたいわけではないのだ。
「あーあ、俺も勇者みたいに特別だったらなぁ」
頬杖をつきながら、彼は伝聞紙をクシャと丸める。
豪華な装飾が施された机の引き出し。
そこから彼は、赤黒い一冊の本を取り出した。
その本こそ、ラーセルの人生の大半を占めるもの。
彼はそれを【暗躍計画書】と命名した。
そこには、彼が将来的に成し遂げる偉業と、その計画が多く記されている。
計画を練ること。それが、ベレス・ラーセルが最も得意とするものだった。
「まっ、いいですよーだ。俺はコイツで、いつかクソ兄貴を越えるって決めてるんでね」
得意げに羽ペンを指で巧みに転がす。
細い指で握りしめ、我を忘れて書き綴る。
前のめりになりながら、机に伏して計画を練り続ける。
気が付けば茜色の空が、背中越しにラーセルの淀んだ瞳へと差し込んできた。
黄金の三白眼に光が戻り、垂れていたヨダレを布で拭く。
「………………っと……もう、こんな時間……か」
ペンが乾ききるほど書き連ねた。頭が痛い。
集中し過ぎて、夕食が机の上に置かれていることにも気付かないほど。
暗躍計画書を閉じ、机の中へとしまった後。
彼は夕食へと目を向けた。
「……?」
夕食の横に、やたらと豪華な手紙が一通。
やや訝みながらも、丁寧に開封して中身を改める。
「……は?」
内容を見て、彼は絶句した。
そこに書かれてあったのは――
◇
翌日。
ラーセルは、子爵家の騎士達と1人の老執事を連れて『王都エクリア』まで来ていた。
雑多な人の波を馬車で掻き分け、王宮まで辿り着き、案内の騎士についていく。
開かれた正門の向こう側。
毎日手入れされているのか、枯れ1つ無い薔薇の庭園。
煌びやかなシャンデリアが吊るされた螺旋階段。
やたらと長い大理石の廊下。
同じ高貴な身分でも、子爵と王家の違いに圧倒されてしまう。
あれよあれよと、王の座す謁見の間へと辿り着く。
眼前には、尊大そうに玉座でふんぞり返るシワだらけの国王。
実物を拝謁したのは初めてだが、なるほど確かに息の詰まる迫力を感じる。
失礼に当たる前に、そそくさとラーセルは緊張の面持ちで跪く。
ハウゼン王国を代表し、他国からの戦争を食い止めている偉大なる国王。
「ハウゼン=ベリア」の御前である。
「わざわざ足を運ばせて、すまんな」
「い、いえ。家族も驚いてはいましたが、大変喜んでおりました。」
「ほっほ。そうかそうか」
王への謁見は、貴族であれば誰もが羨むものである。
だがラーセルは正直、実感が湧かない様子だ。
彼の困惑を理解するためには、とある存在を説明しなければならない。
人間という生物を深く愛している、不可視の存在。
古き時代、彼らはその存在を【精霊】と呼んだ。
『不治の病が突然治る』
『風が味方して崖から生存できた』
『気付いたら傍に欲しい本が置かれていた』
そういった奇跡や奇妙な体験には、精霊が関与しているという。
精霊がもたらす奇跡は【不条理な利益】と呼ばれ、古来より崇められてきた。
精霊を知る人は多く、されど見た人間はほとんどいない。
――そう。見て話すことが出来るのは、1つの時代にただ1人。
「手紙でも伝えた通り、そなたは【99代目の勇者】として選ばれた」
「……はい」
ラーセルは、勇者について無知というわけではない。
だからこそ、自身が選ばれた理由に見当が付かなかった。
勇者とは、勇敢な者という意味を持つ。
迷うことなく困難へと立ち向かい、その姿に精霊は胸打たれ手を貸すのだ。
だが、彼は勇敢とは程遠い慎重な男である。
精霊による助けが必要な生活を送っているわけでもない。
……しかし、精霊は現代においても研究があまり進んでいない存在。
気まぐれで選ぶこともあるのかもしれない。
あるいは、潜在的に選ばれるだけの素質を有しているか。
「ベレス・ラーセル。そなたに、【魔王討伐】の役目を与える」
事前に手紙で書かれていたとはいえ、面と言われてしまえば揺らいでしまう。
童話の中にしかいなかった存在が、突如として現実に現れたような衝撃。
【魔王】。
王国の北に存在する、人が住まうことの出来ない荒れ果てた大地。
そこは『魔王領』と呼ばれ、数えきれないほどの魔物が住み着いている。
その地の実質的な支配者こそが【魔王】である。
「『建国祭』の最終日に、そなたが勇者であるということを、他国も見守る中で大々的に報せる。その後、そなたには偉大なる旅路、始まりの足跡を追ってもらう!」
「……はい」
力なくその命令に応じ、黙り込む。
勇者は、この国における伝統的な存在。
他国への影響力も半端ではないだろう。
1000年以上続くハウゼン王国の中でも、歴代の勇者は98人しかいない。
誰もが特別になれるわけではない。
幸運なことに、彼はそんな特別な存在……99人目の勇者になれたらしい。
だが、いや、しかし自分が世界の未来を握るというのは。
こんなにも、重いものなのか。
ベレス子爵家の次男「ベレス・ラーセル」。
期せずして、彼は偉業の第一歩を踏み出してしまった。