偉大なる雀聖に勝利を④
不意に高まる緊張に呼応するように、小さく光が弾け、鳥の姿がふわりと現れる。孔雀の尾羽をもつ、麻雀の精霊――牌仙である。
「レティシア嬢。雀聖との実戦じゃの。これは盛り上がるんじゃないかの?」
この鳥の声は、レティシアにだけ届く。彼女は内心で苦笑しながら、目を逸らさずに小声で返した。
(いいえ、牌仙。これは試合ではありません。接待!麻雀!ですわ)
「おん? 接待麻雀…? おお、程よく手強く、最後には勝ちを譲るというやつじゃの!昔、<龍璽国>でも、将軍辺りの得意技じゃったの」
(エドワード卿がどれ程の腕前かは分かりませんが、仮面での活動時にその名を聞いたことがないのは事実。全力で挑むのは、危険ですわ。)
「フッフー! 勝ちすぎても立場を悪くする、KIZOKU☆って、えれがぁんとじゃの!」
(…まあ、そういうことです。わたくしの目的は、別に勝つことではありませんもの。)
「そじゃったの。お主はその身を立てて、家を盛り返すため、麻雀という険しくも輝かしい道を選んだったの」
(…いえ、あの。遊戯一つにそこまで人生賭けるつもりはないんですの。ただ、きっかけが欲しい、そういうことですわ。)
「雑にまとめすぎたの!」
思わず吹き出しそうになるのを堪え、レティシアはテーブルへと歩を進める。仮面を外して初めての“遊戯の場”へと。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
部屋の中心には卓が据えられている。
そこには、素顔のレティシア、ユリシーズ、エドワード、そしてセオドリックが席に着き、ついに対局が始まった。
しかし、
開局直後、たったの二巡目――。
「リィィィチッ!!!」
エドワードが、まるで戦場に咆哮を上げる将軍のように宣言した。
空気が弾けたように、卓を囲む三人の視線がエドワードに集中する。
「なっ…!」
レティシアの顔がわずかに引きつる。卓上に咲く紅薔薇のごとき威厳が、思わず萎みかける。
「は、はやい…!」
ユリシーズも思わず手牌を伏せそうになる勢いで狼狽した。
その中で唯一、まったく動じなかったのがセオドリックだった。彼は、記録用の羽根ペンをくるりと回して、平然とつぶやいた。
「いえ、エドワード卿にとっては、これが普通で御座います」
――これが普通ですって…!?
レティシアの脳裏に、不穏な影が落ちる。
――まさか、この方も牌仙のような、特殊な加護でも…?
いや、まさか。まさか…
そのとき――
エドワードが、さらに右手を高々と上げ、力強く叫んだ。
「見よ! 私の積み上げし知略の塔!! この一打で、真の勝者が顕現するッ!」
フ…、と深い笑みを浮かべ、ゆっくりと牌を倒す。
「ポン! チャラァァァァ!!!!!」
「なっ…!」
「え…!」
レティシアとユリシーズが同時に声を上げた。
エドワードの手元に並ぶ牌は、なんとなく同じ種類の牌がそれっぽく並んでいるだけ。
場の空気が一瞬で凍り付く。
ポンチャラ。
それは、難解なルールの麻雀を子供でも楽しめるようにと、簡略化された、もう一つの麻雀の形である。同じく東方を祖としてはいるが、伝統的な意匠の牌とは異なり、人気のキャラクターが刻まれている。あがり時には「ポンチャラ」と元気に宣言するのが特徴である。
「ククク…ガイアンが見当たらないのは少々戸惑ったがな!」
まるで名将の読み筋を披露するかのように、満足げに頷くエドワード。
「ちょっ…ちょっとお待ちくださいませ!エドワード卿!」
レティシアは咄嗟に椅子を引き、「ユリシーズ、少しお時間をいただけますか!」と、彼の袖を掴んで立ち上がった。
「あ、はい!」
ユリシーズは慌てて後を追い、二人は卓から少し離れた準備室へと滑り込む。
扉を閉じた瞬間、レティシアが堪え切れずに口を開く。
「あれは何ですの!?」
「これ…麻雀やない…ポンチャラや…」
ユリシーズとて、何が何やら分からない。しかし、レティシアの追及は止まらない。
「これ、どーすんですの!? ユリシーズ!?」
「いやしかし、何とかしてエドワード卿には勝っていただき、研究室を喧伝していただかなければ…!」
「無茶にも程がありますわよ!! あれ、ノーテンチョンボですわよ!?」
「ノーテン…なんだって?」
「昨日の実践練習で、<リーチ>は<役>だと申し上げましたでしょう!? 役がないのにあがりを宣言するのが、<ノーテンチョンボ>! 罰符を支払い、点数がゴッソリ減る罰ですの!!」
「ええええ!?」
「やればやるほど罰符払って、ソッコーでハコテンですわよ!?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、レティシア嬢! 専門用語が多すぎてついていけない…!」
「お? ワシの出番かの?」
先ほどからレティシアの周りをウロチョロしていた牌仙が、我が意を得たりとばかりにしゃしゃり出る。
「罰符はの。最低でも八千点を支払う、途轍もなく重い罰じゃの。ハコテンというのは、持ち点が0点を下回って、対局が強制終了することじゃの!」
「牌仙はお静かになさってください!」
えー、と言いつつ牌仙は飛び去る。ユリシーズは、この期に及んで粘る。
「つまり、エドワード卿を勝たせるのは難しい…ってことかな?」
「くっ…ここで、『あら、エドワード卿? そちらはお子様のお遊戯ですわね?』なんて言えると思って!? お伝えした瞬間に、貴方。地方貴族連合の友好関係はズタズタですわ!!」
「それはまずい」
「さりとて、このまま続けても、どう考えても自爆で最下位…!」
「それもまずい」
「貴方…先ほどから語彙力が息をしていませんことよ!? それに、昨日申しましたでしょう、わたくしはそちらの派閥事情に詳しくないと! 貴方、任せろと仰いましたのよ!!?」
「ま、待ってくれ! レティシア嬢! それとこれとは話が違う!」
「すっごい自信ありげに頷いていました! 間違いございません!」
醜い言い争いが続く。
このままでは、マズい。
――何か、策はありませんの…?
視線を巡らすレティシアの目に、予備の麻雀牌を仕舞っている木箱が映った。
「ユリシーズ! ここにポンチャラは、御座いませんの!?」
「あるわけないだろう!? 普通の麻雀卓しかないよ!」
あまりエドワードを待たせるわけにもいくまい、ユリシーズも徐々に現状が把握できた。
目の前にあるのは、“破滅”の方だったか。
「…仕方ない。ここは私が、なんとか説得して…」
ユリシーズも覚悟を決めた。
せめて、レティシア嬢には累が及ばないように、と。
しかし、レティシアは諦めていなかった。
「いいえ! ユリシーズ。こうなったら、わたくしが上がって、本来の麻雀をお見せするより他はありませんわ! その瞬間、エドワード卿に気づかせてみせます、真の知略とは何かを…!」
「レティシア嬢…!?」
「貴族たる者、目指すべきは一挙両得!地方の友好も、研究室の広報も、両方掴んでみせますわ!」
「レティシア嬢…君は…」
レティシアはユリシーズの縋るような視線を背に、エドワード卿が待つ卓上に戻っていった。
自らの名声という「三得目」の存在を隠して。