表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不敗の令嬢は麻雀で家を継ぐ  作者: きゃろやま工房
1.令嬢、雀友ができる
7/69

偉大なる雀聖に勝利を③

 薄曇りの午後、ぼんやりとした陽光が研究室に差し込み、麻雀卓の上を鈍く照らしていた。窓辺の椅子に深く腰掛けたレティシアは、整然と整理された卓を前に牌をいじる婚約者――ユリシーズの様子を何とはなしに眺めている。

 先ほどから会話は少なく、張り詰めた糸のような緊張感が漂っているのを感じている。


「そろそろエドワード卿がいらっしゃる時間だ」


 いつもとは違う硬い口調で、ユリシーズは言った。


 ――同じ派閥とは言え、爵位の格が違う。


 地方貴族で侯爵家、これは異例中の異例だった。侯爵とは、本来ならば中央政権にあって王族の信頼を受け、国家の骨組みを支える家柄というもの。過去の政変で中央の勢力は後退したらしいが、それでもなお、バロウズ家は凋落とは無縁だった。


 ――いずれにせよ、ユリシーズにとって、バロウズ家嫡男の来訪というのは、大きなチャンスであると同時に、破滅の危機でもある。


 ここで、エドワード・バロウズの歓心を買うことは、そのまま研究室の名声を高めることに繋がる。

 逆に、不興を買うということは、言わずもがな。


 その構図を正確に理解しているレティシアもまた、緊張していた。彼女にとっても、仮面を外した、一人の令嬢(レティシア)として遊戯の場に立つのは初めてなのだから。


 ――つまり、これは、家を継ぐにあたってわたくしが求める名声の、本当の意味での最初の一歩となるというもの。


 二人は目的こそ異なるが、完全に利害が一致していた。


 なんとしても、この訪問を成功に終わらせる。


 その意志は、口にすることはなくとも、通じ合っていた。




 時間を気にするユリシーズは、緊張のためか動きが硬い。その様子を見て、レティシアは少しおどけて話しかけた。二人とも緊張はしているが、こうしたことは彼女の方が慣れている。


「そろそろ、でございますね。では、お茶の用意はこちらで――」と、言いかけて、わざと言葉を切った。


「…いえ、ユリシーズ。やはり、貴方のところに、お任せしますわ。その、流派の違いがありますもの」


「え? あ、うん。そうだね、中央流とは、少し違うから…」


「少し、ですって?」


 僅かに目を細め、あきれたような視線を向けるレティシア。


「……もう慣れましたわよ。ええ」


 彼女のその声には、微かな苦笑が混じっていた。


「えっ? …そんなに…?」


 ユリシーズが驚いたように聞き返すと、レティシアはゆっくりと立ち上がり、手袋を整えながら静かに言った。


「ええ、そんなに、ですわ。色々と衝撃を受けましたのよ? ……まあ、この半年間、良い経験でしたわ」


「…それは、なんかごめん」


 ユリシーズは恐縮したように頭を掻いた。


「構いませんわ。文化というのは、そういうものですもの。…ええ、たとえ、シチューと煮込みが一皿にまとまっていようとも」


 遠くを見つめるレティシア。


「…うっ。はい、もう同じ皿にしないことを、ここに誓います」


 ユリシーズの宣誓を聞き、レティシアはようやくにっこりを微笑んだ。


「それはもういいですから…準備をお願いしますわ。失礼のないように、お願いいたしますわよ」


 その言葉を聞き、ユリシーズは侍従に向き合って、話し合いを始めた。

 研究室の扉の外では、運命の足音が近づいてきていた。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ゆっくりと、そして明瞭な響きをもって、ドアがノックされる。

 戦略遊戯研究室の扉が、重々しくも丁寧に開かれた。


 現れたのは、飄々とした笑みを湛え、その瞳に野心的な光を宿す青年の紳士――エドワード卿。その後ろには、眼光鋭く静かな観察の色を浮かべた記録官、セオドリックが控えている。


「久しいな、ユリシーズ殿。あの夜会以来か?」


 その声には、名門らしい風格と、適度な親しみが混ざっていた。


「エドワード卿、お久しゅう御座います。この度は、私の研究室にご足労頂き、誠に光栄です」


 ユリシーズは椅子から立ち上がり、深く礼を取った。

 エドワードは部屋を一瞥し、薄く笑った。


「はは、なかなか居心地の良さそうな場所ではないか。壁の棚も整理が行き届いている。この男は、我が随行のセオドリックだ」


「セオドリック・レインズと申します。以後、お見知り置きを――」


 青年は丁寧に頭を下げた後、ユリシーズを捉えた。その眼差しは、何かを測るように細められる。


「ユリシーズ・グレイバーンです。今日はよろしく頼みます」


「ユリシーズ様。戦略遊戯研究室の運営を務める若き伯爵家の三男、性格は温厚かつ実直。まさに地元の誇りともいうべき御方」


「…あの……?」


 淡々と口上を述べるセオドリックに、怪訝な表情を浮かべるユリシーズ。

 エドワードが軽く手を振って苦笑しながら伝える。


「気にせんでくれ。彼は記録官としての役割もあるのだ。観察し、記録するのが仕事でな。妙なことはせん」


 そして、レティシアに気付いたエドワードは、苦笑を収めてからユリシーズに尋ねる。


「さて、そちらの御令嬢が――君の婚約者殿かな?」


「はい。レティシアです」


 ユリシーズの紹介の声に合わせて、レティシアはひとつ優雅に礼を取った。


「レティシア・ヴェルブランシェです。お目にかかれて光栄ですわ、エドワード卿」


 一瞬交差する二人の視線。それは、中央と地方。立場の違う貴族同士の互いの距離を測るものだった。


 緊張が、走る。 


 そして、エドワードは一段と朗らかに、大きな声で言い放った。


「おお、私の方こそ光栄だ。目が醒めるような、美しい紅い髪をお持ちだな」


 その賛辞に、レティシアはほんの一瞬、まばたきをしただけで表情を崩さなかった。言うまでもなく、女性の身体的特徴を口にするのは、社交界でもマナー違反とされる。ユリシーズが僅かに息をつめたのに気づいたセオドリックが、すかさず口を挟んだ。


「エドワード様? 少々過ぎませんか?」


「すまんな。地方の男は率直すぎると、中央の者にはよく言われる。我らにとっては、賛辞の言葉だがな」


 冗談だと、わずかばかりの皮肉を込めて笑うエドワードに、レティシアは微笑みを返した。完璧で、しかし仄かに計算された上流階級の笑みだった。


「さて、ヴェルブランシェ嬢。君は麻雀を嗜むということだな。せっかくのサロンだ、今日は一緒に楽しみたまえ」


「ありがとうございます。雀聖と名高いエドワード卿の腕前、拝見できるのを楽しみにしております」


 エドワードの声には、戦略家らしい冷静な自信が満ちていた。

 レティシアは真剣なまなざしを向けた。


「では、私も加えて四人で。一手、御指南を賜りますように。エドワード卿」


 セオドリックが丁寧に言葉を添えると、エドワードは大仰に顎を引いた。


「フフ…諸君に、麻雀という遊戯に宿る美学と知略の真髄というものを、たっぷりとご覧に入れよう」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ