第8話
私は景の行動を思い返す。
もしも、景の仮想空間を脱出する手段が、私の行けれない場所、つまり体育館や校庭だった場合、保健室に立てこもった日と矛盾する。
あの日、間違いなく私が保健室にいる間に景のログアウトが行われたはずだ。
私は景が保健室の外に回り込み、窓を割って入ろうとするんじゃないかと、景の行動を意識して見ていた。
保健室の外に回るには一度校舎の外に出る必要があり、そのためには一度靴箱を通る必要がある。
少なくとも景はあの日、靴箱を通ってはいなかった。
それに、体育館も無理だ。
校舎から体育館は少し離れていて、景が去ってから脱出がされた短時間で行くのは物理的に無理がある。
つまり、脱出の条件が場所だと仮定すると、脱出は保健室付近のどこかで行う必要があると絞り込める。
もっとも、景が瞬間移動を使え、一瞬で体育館や校庭に移動できるのであれば私の仮定は崩れる。
その場合、足音も不自然に途切れていたはずなので、瞬間移動はないと考えておこう。
ログアウトの条件が場所ではないとすると、次に怪しいのは行動だろう。
特定の動きをしたり、特定の呪文を唱えることで、仮想空間から脱出できる可能性もある。
その場合、保健室から離れてちょっとした後に、翌日へと場面転換したこともうなずける。
「よし。監視、続けるぞ。絶対に弱みを見つけてやる!」
私は偽りの言葉を交えて決意を吐き出し、自分の心に鞭を叩いた。
景の周りには、負の感情が集まっている。
性欲。
強欲。
暴力。
それらを直視する覚悟を、改めて自分に叩き込んだ。
「うっぜえ! マジでうっぜえ! なんなんだよ!」
最近の景は、私の監視に面白いくらい不快感を示すようになっていた。
「いい加減に止めろよ!」
「何が?」
「ずっと見続けやがって! ストーカーかよ!」
「あんたが珠絵衣に絡み続けたのと何が違うのよ。自分の番になったら即逃げるなんて、ダッサ」
「……っ! プライバシーの侵害だ! 名誉棄損だ! 訴えてやるからな!」
「どうぞ、ご自由に」
この世界が仮想空間だと知れて、もう一つだけいいことがあった。
景の行動が縛られるとわかったことだ。
景は、法律や権力を盾に、ぎゃあぎゃあと喚くことが多かった。
睨みつけてくる黒服の男たちなど、その象徴だ。
しかし、私が校舎の外に出られないということは、法律や権力によって私が排除される可能性が極めて小さいということだ。
黒服の男たちに連行されたとて、私を校舎の外に連れ出すことはできない。
結局、景が盾にする法律も権力も、見せかけだけの可能性が高いということだ。
私は、景によって教師が一人排除されたのを知っている。
しかし、知っているだけで見てはいない。
私の読みはおそらくあたり、結局私に、法律や権力を持つ誰かが接触してくることはなかった。
せいぜい、担任のせんせんが困ったように私に注意したくらいだ。
景は、日に日に精神的な疲労が蓄積されていた。
私を見かけて発する暴言も減り、珠絵衣へのからみも減った。
誰かを攻撃してばかりで、守りの方はてんで弱かったらしい。
私個人の感情だけで見れば大成功、景に一泡吹かせてざまあみろだ。
だが、景をそこまで追い詰めてなお、仮想空間からの脱出の隙を見つけられない事には私も焦っていた。
今のところ、景は私のたくらみに気づいていない。
でも、時間が経てば私の行動を不信がり、私が本当に探している物に気づかれる可能性がある。
監視をするというのは、景にとって不快であると同時に、私にとっても労力がかかるものだ。
裏の目的でもなければ継続できないと判断されるのは、至極当然だろう。
「くそっ!」
景は、私を見つける度、露骨に嫌そうな顔をする。
ストレスを吐き出すようにスマホを何度もタップし、それでも吐き出しきれない場合は適当な男子生徒を呼び出して教室の外に連れ出している。
私がついていき、景の暴力を振るうところを覗き見ることを何度も繰り返したおかげで、だいぶん暴力も減ったが。
しかし、まったくなくならないのは、景と言う人間の生まれ持っての性悪故なのかもしれない。
あるいは、証拠を撮って先生にでもつき出せば、止まるのだろうか。
「……あれ?」
そこで私は、自分の思考に違和感を感じて固まる。
どうして私は、証拠を撮らないのだろうか。
役に立つか立たないかはわからないが、証拠を撮らなければどちらになるかもわからない。
いや、撮らないのではなく、撮れないのだ。
私には、動画を撮れるような道具がないから。
何がない。
スマートフォンがない。
私はない。
景はある。
珠絵衣が持っているのを見た記憶もない。
景は持っている。
ただし、私の記憶の中には、昨日の夜に自宅で珠絵衣とやりとりをした光景がはっきりと残っている。
思い出と現実が、ずれていた。
スマホだ。
クラス全員が持っていてもおかしくはないのに、景以外にを持っているのを見たことがない道具。
きっとスマホが、仮想空間から脱出するための唯一の道具なのだ。
その日から、私は景の手を注意深く見ていた。
放課後が近づいたとき、目の前のことをさっさと終わらせたい時、私の行動でイライラしている時、景は決まってスマホを触っていた。
放課後に触っているのは言わずもがな。
さっさと終わらせたい時やイライラしている時は、仮想空間から脱出したい思いが強くなりすぎ、ついつい触ってしまうのだろう。
人間の心理として、とても理解ができた。
今ほど、自分がAIで良かったと思うことはなかった。
記憶力も、洞察力も、人間の比ではない。
過去の記憶から、私は景の指の動きを思い出した。




