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エッセイ

私の兵隊さんの思い出

作者: きむらきむこ

 多分4〜5才の頃だったと思う。


 そのおじさんはある日いきなり家にやって来た。おじさんは、ヒラヒラのついた帽子を被り、薄汚れた白の下着の上に変わった上下の揃いを着て、リュックサックを背負っていた。真っ黒に日に焼けて痩せていた。


 いわゆる兵隊さんの格好をした人が、ある日家の中に立って、私をご飯に誘いに来たのだ。


 子供の目から見て、浮浪者とは言わないまでもちょっとだけ汚かった。


「きむちゃん、お寿司食べよか」と、おじさんに家を連れ出された私は、なぜ母が私をすんなり送り出したのか不思議だった。


 外に出たらそこには幼馴染が数人いた。妹が一緒ではなかったので、おそらく自分で食事できる年ごろから小学校高学年の子どもたちを連れ出していたのだろう。


 N県の小さな商店街に住んでいた私たちは、町内にあるカウンターだけのお寿司屋さんに連れて行かれた。


「何でも好きなの頼んでいいよ」とおじさんは言って、お酒を飲んでいた。


 幼馴染たちがそこで何を食べていたのかは、全く記憶にない。


 魚介が好きでなかった私は、何を食べたら良いのか、そればかりを考えていたからだ。


 多分お寿司屋さんのおじさんも、私がそれを苦手にしている事を察してくれて、巻きものか何かを出してくれたように思う。


 おじさんはニコニコしながら私たちがお寿司を食べるのを、眺めていた。


 夏の時期に行われるこの不思議な食事会は、年に一度、多分2年か3年くらいで終わったように思う。


 小学校も高学年になって、あの食事会について母に聞いたことがある。


 あのおじさんは、戦争帰りの軍人恩給で暮らしている人で、子どもが好きで、近所の子どもにご飯を食べさせるのを楽しみに思っていてくれたらしい。


 そして、戦争のせいで、ちょっとだけオカシクなってしまったらしい、と。


 昭和40年代の終わり頃、軍服で生活している人は流石に記憶にはない。ただ単におじさんの生活の時間帯が、子どもとカブらなかっただけかもしれない。


 食事会が終わったのも、どうして終わったのか全くわからなった。何年かしてから、そういえば、おじさんがご飯を誘いに来ない、くらいに思っていた。



 薄情な子どもだったので、おじさんとの会話も記憶にはない。今考えると恐ろしいことに、私はおじさんの名前すら知らない。でもおじさんは私をきむちゃんと、正しく呼んでいた。(ここにすごい昭和を感じる)


 子育てを終えて孫の顔を見る年齢になってから、戦争をニュースを見るにつれ、子どもの時のあのおじさんとの食事会を思い出すのだ。



 私自身の祖父は沖縄の海で終戦前に亡くなった。あと2ヶ月で終戦だったのだが、もし祖父が生きて帰っていたら、父の人生は全く違ったものになっただろうから、私は生まれていなかったと思う。


 母方の祖父は体が弱く、徴兵にかからなかったそうだ。


 周囲に戦争時のことを語る人はいなかった。


 父が晩年になって、祖父との面会にお弁当を持って祖母と海軍に行った、とか小学校で教科書に炭を塗った、だの進駐軍にギブミーチョコレートをやった、というような話をしてくれたが、当時、戦争は周囲にとって忘れたい出来事だったのだと思う。

 

 私はまごうことなき「戦争を知らない子供たち」の一人だった。


 

 私の、本からでもなく、資料からでもなく知り得た第二次世界大戦の現実が、「おじさん」だった。





 おじさん、お寿司をありがとう、ご馳走様でした。









まだお寿司が回ってない時代の話なので、お寿司はすごい高級品でした。

覚えている限り、私がお寿司屋さんのカウンターに座ったのは、この食事会の時だけです。

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― 新着の感想 ―
祖父がなくなった後に、『満州残留孤児』として前妻の妻と叔父に当たる人物がいる事を初めて葬式の場で親族(祖父の兄妹達)から聞きましね。 優しい人物だったんですが、生前は殆ど戦争体験を語らなかったのですが…
「オカシク」という言葉に、おじさんは戦地でどのような体験をしたのだろう、どのような光景を目にしたのだろうと考え、胸が苦しくなりました。 子供に美味しいご飯を食べさせたい。 そんなおじさんの想いと笑顔に…
[一言] 活動欄も拝見しました。確かに新聞投稿だとその日限りですが、なろうで、私もだいぶ遅くなってからの拝読でした。 筆者の伝えたい気持ちがちゃんと届きましたし、おじさんの追悼になったと思います。 終…
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