唯一無二
全てが元に戻ってしまったかのような事態に、それでも未だ何かきっかけが有りはしないかと、過去を辿る。
それは思いもしない切っ掛けで顕現した。延べた手は届くのだろうか?
ダイニングテーブルに、銀のホルダーの付いたグラスが置かれた。深い色の紅茶にマドラーが白く光って浸っている。ベリーのジャムが添えられていた。
グラスを置いて、アウルが隣に腰を下ろし、マドラーにたっぷりジャムを掬うと紅茶に浸す。透明な深紅の中を紫色を帯びたコンフィチュールが溶けて、ベリーの香が燻り立つ。
甘く揺蕩う薫りに、過去の出来事を思い出して、まだ涙が滲むままで失笑を漏らした。グラスをこちらへ寄こしてくれながら、アウルが気を留める。
「嫌いだったか?!」
「何でも無いんです。ぼろぼろ泣いて・・・毎回慰めて貰うなぁって」
「ここで?!」
「ええ」
言葉を切ろうとしたものの、思い直した。この家で俺とと言うとレオノールに行き着く。疑念が残りかねなかった。
「白状します。あの頃俺は何かと言うと酒に逃げてて、性懲りもなくその日もアンシャンテのフロアで飲んでて」
「ラルフに俺を預けられていたレオノールにしてみれば放っておくことも出来なかったのでしょう。場所を変えようと腕を取られたはずみで、胃の中をすっかり戻してしまって。彼共々洗わざるを得なくなったんです」
「洗われて、ベッドに放り込まれたのを良いことにそのまま寝入ってしまった。目を覚ました俺に果物を出してくれて、ももだったかな?!口に入れた途端に拡がった甘さと薫りに・・・ぽろっと・・・こう、涙が」
「見ていた彼が俺に聞いたんです。何がそんなに俺を苦しめているのかって」
「私か?!」
「ええ。でもその時には未だ俺にも何故なのかは判っていなかったんですけどね」
「・・そうか」
溜息と共に労るように握ってくれたアウルの手を、握り返そうとした指先が掌の内側をなぞるように滑ってしまった。
捕らえていた手がとっさに離そうとして引かれた。
「アウル?!」
仰ぎ見たアウルの常とは違う反応を確かめるために、引かれかけた手を離さずに、柔らかい掌の内側を指でなぞり、袖口に隠された手首へと滑らせて愛撫に替えてみた。
ただそれだけの事で、彼の身内を親しんだ俺故の快感の兆しが駆け抜けたようだった。無理も無い、まるふた月触れずに来たのだ。
「この感覚が何より恐ろしい」
「え?!あ、すみません。不快でしたか?!」
「そうじゃ無いから・・・元々の私の本性なんだろう。こんな・・・些細なことで・・・」
彼が何故こんなにも動揺するのかが判らなかった。
「感じやすいのが?!」
「そんなんじゃ無い。もっと根本的な・・・」
「俺と結婚してて、年末やっと本当に一緒になれたと言っても良い位なんだ。ふた月も触れずに居たんだから躰が飢えてて当然でしょう?!」
「・・・今はな。私の言うのは「あの時」の8つの私の事だ」
「奴との?!」
「あの時はまだ何も知らない子供のくせに・・・」
「知ってたでしょう?!ローザと「して」」
少々のくだらないジェラシーを含んでつい言った。アウルの中でロザリンドの事が忘れ去られるものでは無い事は判っていたからだった。
が、聞いたアウルの反応が激烈だった。息を呑んだまま、硬直と言って良いほどにフリーズしてしまっている。
「クリスが出来ているんだから、少なくともイって精通してる。その後たて続けにいろいろ有ったから混乱してしまっているのかも知れないけど・・・アウル?!」
今度は彼の瞳から望陀の涙が零れ落ち、くしゃりと表情を崩して泣きじゃくる。
「・・・お前は何時もそうやって・・・私がどんなに・・・」
その時になって漸く、それこそ天啓の如く、その時にならなければいくら求めようとも得られぬ答えを得たのだと知った。
もがく躰を抱き込んで、彼がこの所をどんなにか暗澹とした気持ちで過ごして居たのかを思い遣れた。
アウルの難解な悩みを解くことが出来たという喜びと同時に、何故俺なのかという、自分自身の悩みをも共に解決することが出来たのだった。
人は違うからこそ、互いを補えるのだった。
お読み頂き有難うございました。
2人の話も大詰めも大詰め。つっかえつっかえ、暗がりを手探りで進んで居ります!
今暫くお付き合い下さいませ!