記憶
2人の関係に問題を抱えたアウルは、日常の中で大小の差はあるものの、同じ様な悩みを持つ人々を知る。
とうに解決を見る希望を無くした自分では有っても、必要とする人が有るならと一旦の区切りを付ける。
クリスマス休暇が終わり、私を除く総てが通常に戻っていた。アレンは、危惧を抱えてはいるだろうがおくびにも出さず。クリストファーは大学へと戻った。
従って再び内務省に出て来ていた。
何か行動を起こすにしても、迂闊なことをすれば多くを巻き添えにしてしまう。
切っ掛けと、理由を探さなくては成らなかった。
ファサードを潜る辺りで、何時ものように警備主査のカールの出迎えを受けた。彼に続いて挨拶に出て来た主任を名乗った人が女性だったことに驚かされた。
「エヴァ・マイヤーと申します。今期より配属を頂いて居ります。お見知りおき下さい」
見事に鍛え上げられた鞭のような肢体が、彼女の意思と共に、内務省唯一、女性の配属の無かった警備部への就任を可能にさせたのだろう。
「此方こそ宜しく」
言って、握手を求めて差し出した手を、彼女はなかなかとってくれない。不快に思うことでもしてしまったかと、改めて顔を上げると、我を失い、見張った眼を僅かに潤ませて呆然としてしまっている。
「マイヤー君」
カールに、コホンという、軽い咳払いの叱責を受けて我に返ったらしい。
「はっ・・・はいっ!お噂はかねがね伺って居りました!お目にかかれて光栄であります!!」
真っ赤に頬を染めて、叫ぶように言ったものの、挨拶を袖にしていた事実に気づくと、再び動転したのか痛いほどの握手を残してそそくさと奥に引っ込んでしまった。
呆気にとられた私の横で、カールが溜め息を付く。
「何かしたか?!」
「閣下。フルパワーはいけません」
「喰らったのは私だぞ」
言って少し赤くなった右手を見せると、いやいや、と首を振る。
「いきなりあんな満面の笑みを向けられたら、誰でもああ成りますって。若い女性のニューフェースは大勢いますからお気を付け下さらないと」
「悪いのは私か?!」
「では有りませんが・・・」
苦笑いに送られて思わず顔をしかめた。
2階の執務室に向かいながら、今し方をなぞる。
・・・満面の微笑などと、総ては表向きのペルソナに過ぎない。あの・・・閨の中の私を見たなら、誰もこれまでのように接しはしない。
・・・この身の内に巣くう醜怪な陰妖を見たなら・・・
2階への階段の辺りまで来ると、数人のエプロン姿の職員が、少々のパニック状態で、何かを探しているのに出くわした。
この先の一角には、内務省職員のための保育施設が設けてある。
中の1人が私に気づいて声を掛けてくれた。
「おはようございます。お騒がせ致しまして申し訳ございません」
「なに、ご苦労さまです。脱走者の捜索らしいね」
「はい。常習者でございまして、今暫く捜索せねば成りませんでしょう」
「強者だね。宜しく頼みます」
「有難う存じます」
以前、アレンによく似た捨て子事件の折に世話を掛けた人だった。
思えばあの時とさして変化が無いなと、自分の心情を振り返った。
告白してもアレンはとりあわない。
「どうしたものかな・・・」
我知らず呟いて階段を上がると、踊り場で壁にへばり付くようにして、子供が固まっているのに出くわした。
どうやら捜索対象の強者らしいが、2歳位だろうか・・・未だむつきを着けた姿が愛らしい。
大きな榛色の瞳が見開いていて、悪戯を見つけられた事態をどうするべきか悩んでいるようにも見える。
泣くか、怒るか。どうする?!
意に反して、その子は未だ半分固まったままの顔に、微笑を乗せて見せたのだ。
何処かで見たような反応に、釣られて笑ってしまっていた。
「先生方を困らせてはいけないな」
懐柔には失敗したものの、私の態度には、まだ、自分の言い分を通す余地が有ると思ったようで、右手にしっかりと握った何かをこちらへ突き出して見せた。
「何だね?!」
「ムターの宝物」
そう言ってその子が示した手の中には、黒地に螺鈿と銀で桜を散らした蒔絵の万年筆があった。かの危機の折、唯一の必要から誂えた品が余りにも美しく、アレンだけではなくルィザにも贈った。
彼等を護るためだった。
「届けに行くのか?!」
聞くと大きく頷く。
「良いよ。だが、お母様にお届けしたら教室へ戻ると約束できるかな?!」
ホッとしたように少し微笑むと、再びきゅっと表情を引き締めたその子は、意思を持って再び頷いた。
言って良いと言う了解を私から取り付けたものの、彼は更なる困難が立ちはだかっているのに気づいた。くるりと振り向いたそこには、踊り場から更に上へと続く長い階段が有った。
今も、上がってきた疲労に蹲ってしまっていたのに、この上は難しかろう。
どうするのだろうと後ろ姿を見ていた私を振り返り、上目遣いに見上げたかとおもうと、万年筆を握ったままで、こちらへ両手を挙げた。
慈しまれて、意思を尊重してくれる家族に見守られた子は、こんなに素直に意思を表すのだと、今更ながらに驚いた。
こう出来るなら、思い悩むことなど無いのになと、少しこの子が羨ましくも有った。
抱き上げて階段を上がり、2階に着くと礼を言って降り立った。キョロキョロと何度か辺りを見回して目的を定めたのか、すたすたと歩き始めた。
南の執務室へと歩いて行く。
暫くすると、その子が怪訝そうに振り返って後から就いていく私を見た。
「私もこっちなんだ」
言うと、また前を向いて歩き始めた。
やがて、銀のプレートに内務省次官の執務室である旨書かれたドアに行き着いた。彼の背にはドアノブは遠い。従って、また私を振り返る。
「こうするんだ」
言ってドアをノックして見せた。やがて訪いに応じた誰かが此方へやってくる気配がした。幼いなりに敏感に反応する様が微笑ましい。
「どちら様で・・・あら、まぁ、公・・・」
対応に出て来たのは当然のことに秘書のアデールだった。しいっと、口止めすると頷いて、小さな訪問者に向き合うべく、腰を落として問いかける。
「どうなさったの?!エド、お母様に御用なの?!」
「そうなの!母様忘れ物」
幼児の要求に、アデールの視線が承諾を求めたのに頷いた。
「では、お母様に来て頂きましょうね」
「はい」
大人しく言って緊張を解いた様子のその子は、お掛けなさいと勧められたソファに腰を掛け、握りしめた万年筆と、母親で有るルィザに連絡をとるアデールや、勝手知ったる様子で母親も着いていたデスクに私が着くのを忙しく見比べている。
やがて出されたミルクを飲み干すとカップを手にしたまま、とろりと瞼が閉じかける。大冒険に疲れ果ててしまったのだろう。
手から離れた器をそっと取ったつもりだったが、ぱちりと目を開けた。
「ごめんよ。起こしてしまったね」
透き通った瞳を向けたまま、彼は懸命に何かを考えている。
「本当は僕が母様のバッグから取ったの。直ぐ返すつもりだったの。でも母様バッグ持って出かけちゃって・・・」
「よく見たかっただけなの」
ずっと、肌身離さず持っていてくれたんだ。小さなこの子が好奇心を惹かれるほど。彼女の結婚で勝手に終わったことにしてしまっていた。
「ごめんなさい」
「・・・いいや。大丈夫。キチンと謝れば赦して下さる」
「そうかなぁ。母様こわいの」
「なるほど。ではその時は私も一緒に謝ってあげるよ」
言った言葉が終わるか終わらないかで、ルィザの来訪を告げるノックがした。
顔が覗くや脱兎の勢いでソファーを駈け降りたその子は、母の腕に飛び込んでいった。
役目を果たしてホッとしたのだろう、エドガー・アランはルィザに抱かれたまま寝入ってしまっていた。
私とルィザにお茶のサービスを済ませると、アデールが、エドを保育室に連れて行くからと幼児を抱き取って部屋を離れた。
頼もしくなった後輩を見送って、ルィザが溜め息を付く。
「大きくなったね。直ぐには判らなかった。産まれたばかりの頃には貴女にそっくりだと思ったんだが、ハンスに似てきた?!」
「最近とみに。少し後ろめたいですわ」
「後ろめたい?!」
ハンスとの結婚に至った経緯は、1度も話題にもしたことが無かった。当時、自分達のことで精一杯だった私が、何となくホッとして、それ以来目を背けたのだ。
「安心なさって。恨み言など申しませんわ。私の都合ですもの。夫にしてもこんな私故に興味を惹かれたのでしょうし」
「ルィザ?!」
「あの子が疑問を持つのも当然のことです。私の気持ちは変わっておりませんの。貴方と伯爵と。何方かを選ぶことが出来なかった。それだけ」
「今でも?!」
「ええ。何方を選んでも、結果拒絶されたのでしょうけれど、それでも、踏ん切りが付いたでしょう。そうしなければならないと思うものの、どう考えても答が出せなかった」
「誤解なさらないで、何方が好きかでは無く、あなた方と同じ立場で居られなくなることを恐れて、ですから」
彼女は自嘲するように肩をすくめて視線を外した。思いもよらなかった。
「もがく私を憐れんで、差し伸べられた手に縋りましたの。後ろめたさはそのせいですから」
「ハンスは貴女の野心を憐れんでなど居ないと思うよ。そんな男じゃ無い」
「ええ。総てにおいて誠実な人です。私を想ってくれているんです。彼の気持ちを利用している私が後ろめたいんです」
「ずっと前から・・・私がここに配属になった時から見ていてくれて、ですからきっとあなた方のことにも気が付いているはずです」
彼女の気持ちが野心と言うだけでは説明できないもので有ることは明らかだった。
「だろうね。不思議では無い」
変わらず私達を気遣ってくれる。
「やっぱりお気づきでしたのね。では、危惧は残したままでおいででしょうね」
ああ、やはり。
問題は理論によって総て解決している。
だが、蘇った感情が就いていかない。
「それで良いとも思うんだ。もう充分・・・」
「婚姻の定義を性別を問わないものへと、国家法の改定を致しましょう」
「貴女にそんなことをさせるわけにはいかない!」
「野心と申したことをお忘れですか?!私のためですの。男性に与えられている特権を排除するためです」
「そうなれば女は子供を産む器では無くなりますから」
「子供を産む器?!」
「どの様に考えても、現状の婚姻は子供を儲けるための制度です。人が動物と一線を画した後も、次代を儲けるために飼われ、社会に管理される家畜に過ぎません」
「自分を卑下するわけで無くとも、産まれた時点で選択の余地は有りません。女に生まれると言うことは、そう言う事ですの」
「そう・・・か、女性で有ると言うことも、否と思えば理不尽なんだ」
「ええ。否と思う自分が常に「悪」ですもの」
シンクロナイズドは私自身の問題だと思っていた。
「諦めかけた自分を、ルーラ姫の糞害に遭って気付かされましたの」
「なら尚更」
「いいえ!法改正で直ぐさま総てが解決するわけでは有りません。そんな馬鹿げたことで、あなた方を失うなんて。この国の未来のためにも成らないことです」
言ってしたり顔で私を見る。
「君の野心がそう言わせるという訳か。口を閉ざしてもう少し働けと?!」
「無論わたくしも。女が子を産む奴隷だ等は申しません。世界は未だ、個人の意志より子供を育む事を目的とする人々が大半を占めていますから」
「より良い人間関係の構築と、生産人口の減少に対処するためと申しまして」
「今暫く」
「人には様々な継承の方法が有るというのにね。やはり、利権を持つ者は安易に流されるらしい」
「了承する。次の国会で君を貴族院の議員として推薦する。計画を進めたまえ」
「承ります」
「つきましては、閣下にぜひお願い致したい事がございまして・・・」
くるくると動いて光る、好奇心に駆られたエドガー・アランによく似た・・・似ているのはエドがルィザにだった。
その肯定感満載の瞳に見詰められては、イエスと言うより他なかった。
お読み頂き有難うございました!
総ての起因がようやく現れてきたものの書ききれるか不安に駆られる有様ですが、何とか辿り着きたく思います。
今少しお付き合い下さいませ!