5
王都へと向かう道中。馬上にありながらぼんやりと景色を眺めていた。左右は木々に覆われていて、空は澄み渡り澄んでいて雲一つない。一陣の風が頬を撫で通り過ぎていく。空気は爽やかで、初夏を感じさせた。山道は整備されているとはいえ、日本のようにアスファルト舗装ではない。踏み固められた土の道がずっと先まで続いているのだ。馬や馬車が通るためか、凸凹していた。生まれ育った世界とは違う景色に、鈴音は新鮮さよりも懐かしさを感じていた。
(そうそう、この世界はこうだった)
と感慨深い気持ちで見ていた。
さて、旅途中である彼女の姿は少年のようだった。簡素なシャツにズボンを履き何故か馬上の人となっていた。最初、鈴音は馬車に乗せられていた。だが、安定して乗り心地の良い自動車に慣れている体がすぐに不調を訴えたのだ。固い座席にまず腰とお尻が痛み、長時間揺られて吐き気を堪えきれなくなった。ようは馬車酔いだ。本気で辛くなり、「歩く!」とスィオンに訴えれば、馬を一頭用意してくれた。ペースアップする時は、さすがにスィオンなどの誰かと乗ることになるのだが、そうでないときは一人で揺られていた。外の空気も吸えて、景色を見ることができるから気晴らしになる。体調もーー筋肉痛以外はーー好調である。
「王都がそろそろ見えてくるぞー」
気の抜けた声で、スィオンが教えてくれる。
「ちなみに順調に行けば、夕方前にはつくだろう」
「王都って、やっぱり栄えているの?」
スィオン対する口調は砕けたものになっていた。気さくな人ではあるが恩人であるので口調を戻したり、崩れたりを繰り返しているうちにスィオンが苦笑して楽な話し方でいいと言われたので甘えることにしたのだ。
「そりゃあな。いろんな店が溢れかえっているぞ。人も多い」
相槌を打ちながら彼の話に耳を傾ける。王都で美味しい店の話、若い女性が好む服屋、デートスポットなどなど。彼女いない歴=実年齢の男(道中部下にからかわれているのを聞いて知った)がどうして、カップルで行くと良さそうな場所ばかり知っているのか疑問に思ったが聞かないでおいた。意外と繊細な本人のために。
突然、視界が開けーー鈴音は、目を細めた。
(ああ、まったく見知らぬ場所だ)
当たり前か、聞けば千年も経っているのだ。変わっていない方がおかしい。地図で確認して分かった事なのだが王都アテールには前世の自分も来たことがある場所だった。当時は、まだ自分の治める国の一部だった。といっても、そんなしょっちゅう来たわけではないため記憶も薄い。それでも、かつての面影は全くないと断言できる。そして、やはりよそよそしく感じるのは「鈴音」の感覚なのだろう。レンガ色の丸い屋根の多い街だ。大きな鐘楼がある建物は日本でいうところの教会だろうか。中心の小高いところには大きな城。全てが初めて見るものだった。
「大きい、街みたいだね」
「そりゃあ、王都だしな。さぁ、行くぞ」
止まっていた一段が、その一言で再び歩み始める。鈴音は、馬の足音を聞きながら、少しずつ近付いて大きくなる王都を眺める。時々、スィオンと会話しながらの行程だったので、王都の門にたどり着くまで、退屈しなかった。王都の門の前にはズラリと馬車や旅人の列ができていた。それを横目に鈴音のいる集団は追い抜いていく。
「ねぇ、私たちは並ばなくていいの?」
「傭兵や騎士は免除されるんだよ。特に犯罪者を連れていたら列に並んでいる場合じゃないだろう」
「ああ、確かに。一緒並んでいる方は怖いし、待っている間に逃げられたらたまったもんじゃないもんねぇ」
スィオンにコテンパンにされた盗賊団が乗せられている牢馬車の方を振り返りながら納得する。そうこうしているうちに大きな門の前にまで辿り着き、鈴音は物珍しくてポカンと口を開けながら見上げていた。強固な石積みの外壁に立派な門扉が左右に大きく開かれている。
「スィオン・シジール、カーザラント王国から依頼された盗賊団の討伐無事に完了。盗賊団リーダーを含め二十一人捕縛、王都へと連行してきた」
(カーザラント王国からの依頼?)
因縁深い名前にドキリとしてスィオンの方を見る。 スィオンが馬に乗ったまま背筋を伸ばし、門兵に言う。門兵は、興味深そうに盗賊団が乗っている牢馬車の方を覗き込み、納得すると「入れ」と許可を出した。スィオンが馬を進める。門を潜ると道が変わった。土の地面が石畳になり、馬車が通る道は轍ができていた。乗っている馬の足音も硬質なものに代わる。王都は、入った瞬間からとても賑やかだった。人々と馬車が行き交い、物売りと荷運びたちの声が響いていた。その光景が新鮮で先程の疑問をすぐに忘れた。
「俺たちは、盗賊共を城の方に連れていく。ーーサニー、スズを俺たちの宿場屋に連れていってくれ」
馬から降りた鈴音にスィオンが言う。彼は、前に進み出ると頷き鈴音に頭を下げる。礼儀正しい年下の青年に鈴音も頭を下げて「よろしくお願いします」と言った。
街には王都なだけあって人も多い上に興味を唆る店もたくさん立ち並んでいる。服屋さん、装飾屋、武器屋、薬草屋、はてには怪しげなお店まで。鈴音の産まれた地球、日本には無い物ばかりでとても目を楽しませてくれる。前世の記憶があると言ってもあの時代は物が乏しかった。記憶が残る鈴音にとってもここは、まさに異文化で珍しいものばかりであった。サニーに遅れないように着いていきながらも何度も目移りする。もともと好奇心旺盛な鈴音は、ともかく新しい物を見ると我慢できない。そして今回、それが見事に裏目と出る。
「…やばい、はぐれた」
呆然と多くの人が行き交う波を眺めて鈴音は呟いた。見知った青年の後ろ姿はどこにも無い。装飾屋で物珍しげなデザインの飾り物に目を奪われたのがいけなかった。そんな後悔をしても後の祭り。慌ててサニーの姿を探して追いかけたが見つからず、気付けば人波に流されて見知らぬ場所へと立っていた。迷子である。初めて来た場所で土地勘がある訳もなく、そのうえ方向音痴である鈴音は元の場所に戻ることもできず、人波が落ち着く広い空間の端でどうしたものかと立ち尽くしていた。これまでの経験上、むやみやたらと動くのは逆効果である。
(遭難した時も、無闇に動くなって言うし…)
僅かな不安を抱えながら鈴音は石壁に背を預けて、ぼんやりと行き交う人々を眺めていた。皆、彫りが深い容姿をしていて、色素の薄い人ばかりだ。背も高く、異国情緒溢れる景色を見ていると海外で迷子になった気分になる。実際は、異世界なのだが。それでも冷静でいられるのは言葉か通じるからだろう。
(そういえば言葉が分かるのって前世の記憶があるからだよね。でも、千年も経てば言葉に変化があってもおかしくはないんだけど…)
千年以上続く日本の言葉も常に変化していた。それこそ平安まで遡れば、もはや異国の言葉である。
(この世界では、あまり変化がないとか?)
自分なりの結論を出してみたが、しっくりこず首を傾げた時だった。
「ーーーっ」
「ーー、ーーー」
何やら裏路地が騒がしい。なんだろうと、鈴音は警戒しながら離れて立っていた裏路地へと入る道に近付き覗き込む。海外に行った時は裏路地に入ってはいけない、鉄則である。そこには、どんな犯罪が待っているか分からない。だから、できれば近付きたくは無かったのだが、ただならぬ様子ーーと少しの好奇心ーーに誘われ様子を伺う。そこには二人組の男がいた。男たちは、壁に向かってなにやら因縁をつけているようだ。一人は痛そうな振りをして悪態をつき、もう一人は擁護するように何か言っている。
(なにしてんの、あの人たち。頭、大丈夫?)
怪訝に思いながら視線をさまよわせると、男たちのすぐ側に座り込んでいる人物がいることに気付いた。フードを被っているので容姿までは見えないが、体格から男なのではないかと鈴音は予測した。そして、この一連の流れもなんとなく予想できた。
フードの人物が裏路地を歩いていると前から二人組の男が歩いてきた。裏路地といってもそれなりの広さがあるので、そのまま通り過ぎようとした所、一人の男に肩をぶつけられる。もちろんわざと。
『いってぇ!』
ぶつかって来た男がわざとらしく肩を押える。戸惑うフードの人物。
『おいおい、あんちゃん、連れになんてことをしてくれる』
と便乗するもう一人の男。
『マジ、いてぇ…これ骨折れたわ』
んなわけあるか!と戸惑いながらも思うフードの人物。取り敢えず謝っておくかと「すみません」と言う。
『謝って許されるんなら、警察はいらねぇんだよ!』
と訳の分からない因縁をつける男。
『謝罪するなら誠意を見せてくれよ。なぁ、分かるだろう?』
と下卑な笑みを浮かべて金を要求してくる。さすがに絡まれたのだと気付いたフードの人物は拒否、怒った二人の男に追い詰められて今に至るーー、とここまで予想という名の妄想を脳内で繰り広げた鈴音は呆れ果てた。彼女の考えたことは、だいたい当たっているだろう。だが、
(なんて、やり口が古い…いや、実際どうだったのかは知らないけど…)
それにしても二対一で難癖をつけるやり口はなんとも醜い。目を据わらせて鈴音は、脳味噌が詰まっていなさそうな二人を見る。それから、フードの人物に目を向けて「やばい」と感じた。その瞬間には肺にたっぷりと空気を溜めていた。
「ーー誰か!誰か助けてください!!裏路地で旅人さんが変な男二人に絡まれています!助けてくださいっ」
大通りにまで響く声を張り上げた。通りすがりの人たちが驚いたように立ち止まり振り返る。そして、鈴音の声にすぐさま反応を返してくれた人がいた。
「なんだと!!」
近くにあった肉屋の男だ。彼は、素早く店から出てくると鈴音の方に向かってくる。ごっつい身体に片手には大きな包丁。かなり怖い。鈴音は顔を引きつらせながら、「こっち」ですと裏路地の男二人の方を指さしたい。
「っ、またお前らか!何度しょうもねぇことをするなと言ったら分かる!!」
般若の様な顔をする肉屋は、なかなかの迫力である。
「ひっ、」
「ひえぇぇ!」
その迫力は効果てきめん。絡んでいた男二人は一目散に逃げて行った。
(おいおい、怪我はどうした)
最初から怪我をしていないことは分かってはいたが思わずツッコミを入れる。鼻息荒い肉屋の男の隣を通り過ぎ、鈴音はフードの人物に近寄り手を差し伸べる。
「旅人さん、大丈夫でしたか?」
大丈夫だと分かってはいるが、礼儀として聞く。フードの人物は、戸惑った様子で鈴音の手を見る。それから、おずおずと手を取ろうとして慌てて引っ込めた。
「…。一人で立てますよ。その、女性の手を借りなくても、大丈夫」
やはり男だったようだ。涼やかで澄んだ、低い声だ。フードの人物ーー鈴音はしばらくは旅人と呼ぶことにした。旅人は紳士らしく、女の手を借りることを躊躇ったようだ。鈴音は目を瞬かせて苦笑する。そして、有無を言わせず手を掴む。
「ーーー」
その温もりに既視感を覚えた。だが、それは一瞬のことで、戸惑いながらもこのまま旅人を座らせたままにしとくわけにはいかないと、ぐいっと引っ張る。旅人は、驚き慌てたように立ち上がったので、大した力は要らなかった。
(わぁお、背が高い)
座り込んでいたので、気付かなかったが旅人はかなり背が高かった。日本人の平均身長より低い鈴音からすると圧倒されるほどである。かと言って旅装に包まれた体付きは、すらりとしなやかで肉屋のようにごつくはない。
鈴音は、その身長に驚きながら旅人を見上げる。目深に被ったフードのせいで、やはり顔立ちはよく見えなかった。だが、気にすることなく彼にしか聞こえない声で鈴音は言った。
「旅人さん、いくら絡まれて面倒だからって明るいうちから物騒なものを出したらいけませんよ」
旅人が息を呑む気配がした。そう、旅人は男二人に絡まれている時に物騒なものーー恐らくナイフとかそんなものだろうーーを取り出す素振りを見せていたのだ。しかも、僅かに殺気立っていたので男二人と違って敏感に気付いた鈴音の方が慌ててしまった。
「すみません、偉そうなことを。でも、あの二人、あまり大した人ではないので、過剰防衛になると思うんです。まぁ、多少は痛い目見た方がいいかもですけど…」
「…君は」
フードの奥から視線を感じ、苦笑した。
「おい、あんた大丈夫か?」
肉屋の野太い声に鈴音と旅人が同時に振り返る。
「ーーええ、大丈夫です。助かりました。ありがとうございます」
丁寧な言葉遣いで感謝を述べられた肉屋が妙な顔をし頭をかく。
「いや、あんま大したことはしてねぇが…兄さん、随分と丁寧な言葉を使いやがるな。貴族なのか知らねぇが、あんまり裏路地は通らない方がいいぞ」
「肝に銘じておきます」
「あ、ああ」
「私からもお礼を。すぐに駆けつけてくれてありがとうございます」
肉屋は、今度は物珍しげに鈴音を見下ろす。鈴音の日本人特有の容姿が珍しいのだろう。それから、厳しい顔に笑みを浮かべるとポンポンとフード越しに頭を撫でる。
「いんや、お嬢ちゃんの機転はなかなかだった」
完全に子供扱いである。鈴音は乾いた笑みを返すしかない。
「スズさん!ここにいましたか…」
「あ、サニー」
「ご無事ですね、よかった…探しましたよ」
心底安心した様子で胸を撫で下ろすサニーに申し訳なく思った。
「ご、ごめんなさい」
「い、いえ!俺がもう少し気を付けるべきでした。すみません…」
慌てて謝り返すサニーに、鈴音も慌てる。よそ見をして迷ったのは鈴音自身だ。年下の子に責任を押し付けるつもりはない。
「そんな、謝らないで…」
「サニー?サニエル・ブラトンか」
「え?」
サニーが弾かれた様子で旅人を見上げた。フードを被った男をしばらく見つめて驚愕の表情を浮かべる。
「え、へいーー」
「しっ!」
旅人が素早くサニーの言葉を遮った。なんとも意味深なやり取りである。そんな二人を交互に見上げて鈴音は首を傾げた。
「なに、知り合いなの?」
聞けば、怖々とした表情のサニーが振り返ったのだった。