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スィオンに着いて行きながら、鈴音はここがどこなのかを考えた。外に出たとたんに現れた黄金の魔法陣。似たような物を前世の夢で見たことあるから、それは冷静に受け入れられるが、いったい何故現れたのか。
偶然か必然か。
偶然なら不運、必然ならその目的はなんなのか。正直、前世のことがあるから偶然とは思えなかった。
「おい、ボンヤリしてると転けるぞ」
そう言ってスィオンが、鈴音を支えるように手を取る。
「ありがとうございます」
どうも子供扱いをされている気がするのだが、それは後ほどゆっくり文句を言わせてもらおうと心に決め、取り敢えず一番気になることを聞くことにした。
「ねぇ、スン、ここはどこですか?」
「スィオンな。スンって、短縮し過ぎだろう。ーーここは賊のアジトだが」
「うん、そうですね。見れば分かります」
「…だな。カーザラント王国とクイレン王国の国境にあるテン山の麓だ。近くの村に行くには半日かかる」
(テン山は、ともかくとして、カーザラント帝国にクイレン王国?)
鈴音は、学生の頃地理を専攻していたことがあるから、それなりに世界地図が頭に入っている。
スィオンが言った国名は、もちろん記憶にはない。
そこまで、考えて記憶に引っかかるものがあり鈴音はギクリと動きを止めた。
「おい、どうした?」
「ライ・カーザラント大王国」
呆然と鈴音は、呟く。
「お、よく知っているじゃないか。確かに帝国は昔そのように呼ばれていた。数千年も大昔のことだけどな」
『最悪』
忌々しげに鈴音が言う。しかし、それはスィオンには聞き取れない言語だった。
「…なんだ?」
「え?」
「今、聞いたことがない言葉だったが?容姿からしても、スズは東方の人間だと分かるがそちらの言語か?」
そこで、鈴音は自分が二つの言葉を使いこなしていることに気付く。一つはもちろん日本語だ。そして、もう一つは、この世界のものだろう。自分が知らないはずの言葉を話していることには気付いてはいたが、改めて考えると、不思議なことだ。でも、鈴音はその理由を知っているから、問題にするべきことではない。
「まぁ、そんなところです。それで、ここはどっち側の麓ですか?」
適当に答えられスィオンは、不服そうだが結局答えてくれる。
「クイレン王国の方だ」
「…そうですか」
短く答えながら、心なしかほっと息を吐く。カーザラントは、前世の自分が王として治めていた国だ。全てを思い出した訳では無いが、良くも悪くもあそこにはあらゆる思い入れがある。だから、今のところは近づきたくなかった。
「おい、なにぼやっとしてる。早く出るぞ」
「あ、待ってください」
さくさくと前を行くスィオンに慌てて付いて行く。出口は直ぐだった。無理やり壊されたのであろう扉が中に散乱しており、それを踏みながら外に出た。薄暗い室内にいたから、外の光が眩しい。鈴音は、目を細め立ち止まる。
「ーー隊長!」
目が慣れる頃離れたところから慌ただしい足音とともに声が響く。まだ若い男のものだ。それに出口のところで鈴音を待っていたスィオンが手を挙げて答える。
「おうっ、遅かったな!」
「遅かったなって…いえ、それよりもご無事で何よりです」
「あはは、あれくらいの山賊くらいでやられねぇて」
「分かってはいますが…あのですね、散々言っていると思いますが、お一人で突っ走らないでくださいよ」
げんなりとした様子で、ようやく少年から抜け出そうとしている青年が言う。
「いや、子供が攫われてあるところを見ちまって、つい。というか、あれくらい付いてこれないのは、少し精進がたりないのではないか?」
「あのですね、隊長の突発的な行動とスピードに付いていけるわけないでしょ…無茶言わないでください」
「やはり、猛特訓が必要だな」
スィオンの言葉に真っ青になる青年。かなり厳しいらしい。静かに二人のやり取りを見ていれば、また慌ただしい足音が聞こえてくる。今回は複数だ。
「た、たいちょ」
「足、速すぎ…」
「道細くて、馬、走らせられないんですからっ」
「てか、ほんとっ、突然何も言わずに走り出さないでくださいよ…」
たどり着いた鎧を纏った男達が口々に文句を言う。騎士団の面々だろうと鈴音は当たりをつけた。彼らは一様に疲れた様子である。
「お前ら遅いぞ。賊は全て倒した」
「ま、またですかぁ…俺らの努力」
「そもそも、なんで馬より速く走れるんですか…化け物かよ…」
(…それは、凄いな)
静かに彼らを見ながら、鈴音はなんとなく状況を理解した。恐らく誘拐されている子供ーーかなり不本意だが鈴音のことだろうーーを見つけ、スィオンは非常事態だと部下に何も告げず、行動した。そして、人間とは思えないスピードで駆けつけてくれたわけだ。鈴音にとっては、とてもありがたいことだ。うら若き乙女なら惚れ惚れしてもおかしくない状況である。だが、鈴音にそんな女子っぽい感性はなく、むしろ部下たちに同情の目を向ける。
(こういう人をなんて言ったかな?後先考えずに先人切って突っ込む…)
考えること数秒。
「ああ、そうだ。脳筋だ」
ぽんと手を打ち呟けばスィオンがピクリと肩を揺らす。そろりと顔だけで鈴音の方を振り返り、引き攣った笑みを浮かべた。
「ああ、忘れていた。それで、なんだって?」
(仮にも救出した人の存在を忘れるって、どうよ)
ぞんざいな言われように目を眇めスィオンを見上げる。無駄に背の高い男だ。
「いえ、なにも?」
先程の言葉を繰り返そうとしたが、考え直して誤魔化すことにした。さすがに失礼だと思ったのだ。
「いーや、言った。脳筋だつって言ったよな」
(聞こえてんなら聞くなよ)
という心のうちは晒さず、惚けた顔で首をかしげておく。しかし、鈴音の内心はスィオンからすればダダ漏れであった。助けた子供の生意気な態度に顔を引き攣らせる。
「あの、隊長、この子は?」
スィオンの傍らにいた青年が聞く。
(この子…この人まで子供扱い!?)
どうやら、この世界でもこの容姿は童顔に見えるようだ。地味にショックを受けつつ、心の中で大人の対応と唱える。
「初めまして、この隊長さんが先程、救出してくださったのに忘れられていた者で鈴音と申します。呼び方はスズで、どうぞ」
「は、はぁ」
「なんか、棘を感じる言い方だな…」
顔を引き攣らせたままのスィオンと気の抜けた返事をする青年、その後ろで興味津々の視線を向けてくる男たちを見据え鈴音はにっこりと笑った。
「あと、これでも満二十五歳ですので、あしからず」
部下達は目を瞬かせ、スィオンは「なんだって!!?」と失礼なほど驚きを見せた。この瞬間、鈴音の中でスィオンは律儀な人から失礼な男に降格した。
スィオンを化物だと言った騎士の気持ちを鈴音は身を持って思い知らされた。まず、馬がいる所まで急斜面を下る。それだけで、一時間近くはかかった。
(歩幅が違うからってのもあるけど、行きは登りだよね!?)
あれを駆け上がり一人で複数の盗賊を倒したことを思うと、確かにスィオンの体力は人外なのではないかと疑ってしまう。ようやく馬が歩ける場所に出ても、道が悪く馬上でバランスを取ることは難しかった。もちろん、鈴音は一般家庭の生まれで乗馬なんて優雅かつ高度なスキルを持っているはずもなく、スィオンに乗せてもらうことになった。最初は、青年ーーサニエル略称サニーと一緒にとなっていたのだが、彼はあまり二人乗りに慣れていなかったため結局スィオンと乗ることになった。
馬上で揺られること二時間ほど。縛った盗賊も連れていたため、下山は倍以上の時間がかかった。
「ぅ〜」
ようやく馬から降りることができた鈴音は腰を摩る。痛いのは腰だけではない。下半身全体的に痛い。乗っている時は気付かなかったが乗馬はかなり足の筋肉を使うようだ。降りた途端、足に力が入らずへたり込みそうになった。人前で無様な姿を見せたくなくて全力で踏ん張ったため転倒を避けられた。絶対、今夜は筋肉痛で苦しむと鈴音はうんざりとした。
「大丈夫か?」
スィオンが苦笑しながら聞いてくる。
「全然、大丈夫じゃない」
「ま、乗馬に慣れていなければ、そんなもんだよな。寝る前にしっかり体を解しとけよ」
素直に頷く鈴音の頭をスィオンがポンと撫でる。年齢を聞いた後も子供扱いをする。反論したい気持ちはあるが、疲れていて気力が湧かず結局無言で受け入れた。
「スズ、これからどうする?保護したからには最後まで面倒を見るぞ。どこに送り届ければ?」
スィオンの言葉に目を瞬かせ考える。
(ああ、いろいろあって何も考えてなかった)
だから、困った。ここは、「鈴音」にとって見知らぬ世界。知人も住む場所も、生まれた国さえない場所だ。頼る相手がいるはずもない。どうすればいいのだろうと、ぼんやりと考える。そんな彼女の様子をスィオンは、じっと見つめた後、頭をかく。
「まぁ、なんだ。理由があって帰れないんなら、しばらくは面倒を見るぞ」
スィオンの気遣う言葉に、はっとした。
(ボーとしている場合じゃない。一人ならなおさら、どうにかしないと)
瞳に力を戻した鈴音はスィオンを見上げる。
「言葉に甘えさせてもらいましょうか。どうやら、私、迷子みたいですし。当面の生活費と住む場所を提供してくれると、とても助かります」
「…やっぱり図々しいな、お前。迷子なら普通帰る方法を見つけるんじゃないのか?」
「えーと、帰る方法があればそうするんですけどね。でも、今のところは無理だと思います」
「無理って。そんなの探さなきゃ分かんないだろう。どこに帰りたい?」
「無駄だと思うんですけど…」
渋い顔で言うが、スィオンは「いいから、言え」と促す。どうやら彼は、言うまで納得しそうにない。
「はあ…じゃあ、日本って分かりますか?」
「にほん?」
「他国からはJAPANって呼ばれています」
「じゃ、ぱ…え?国なんだよな?村とかの名前でなく」
「れっきとした国ですよ」
「聞いたことないんだが…大陸のどのあたりだ?」
「島国です」
「島国?なら分からないはずがないんだが」
そりゃそうだ、と頷く。
「だって、ここにはそんな島国ないですからね」
千年前の記憶によるとこの世界は二つの大陸で成り立ち島も一応は存在する。しかし、それはどこかの国が所有しているものばかりで、島国は数える程しか存在しないはずだ。
スィオンが顔を顰める。
「からかっているのか?」
「まさか。至って真面目ですよ。ーー言ったじゃないですか、無駄だって」
肩を竦めスィオンを見ることなく言いおくと、騎士団たちの泊まっている宿屋に向かった。背に戸惑うような視線を感じたが、振り返らない。もう帰れないかもしれない。あちらの世界に残してきた可愛い小鳥は無事だろうか。家族は鈴音が消えたことを知っただろうか。ぎゅっと目を閉ざし、一歩足を前に出す頃にはまた目を開く。その瞬間には鈴音の瞳は寂しさや悲しみの色はなかった。生まれた世界に思い残すことは、たくさんある。
(だけど、今考えなきゃいけないのはこの状況をどう乗り越えるかだ)
まったく知らない世界ではないのだと自身に言い聞かせ、鈴音はあらゆる感情を心の内に封じた。