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遠乗り当日は朝から気持ちのいい晴天だった。
鈴音は乗馬のためにズボンを履いて外に出る。しかし、この国の女性はズボンは男の履物だと思っているらしくミオラとテーラは躊躇い、すれ違う女性からははしたないとばかりに顔を顰められた。ルイースは一度見ていることもあり、戸惑うことはなく、それどころか「そっちの方が機能的でいいね」と声をかけてくれた。
「スズ、こちらに来てくれるか」
ルイースに呼ばれ馬を撫でていた鈴音は、ルイースの元へと行く。ルイースの側には、まだあどけない感じの青年と美しいご令嬢がいた。
「私の後継者であるエルマ・テルナイト。兄の息子であり公爵家の人間だ。甥になる。そして、こちらがエリーゼ・フェルティアルス令嬢。フェルティアルス侯爵令嬢だ」
エルマと紹介された青年は緊張した面持ちで目礼し、エリーゼは穏やかな笑みを浮かべたまま膝を折った。二人の育ちがいいことは一目瞭然で、動作一つ一つが洗練されていた。
キラキラオーラに当てられながら鈴音はエルマとエリーゼに目を向けた。テルマは、整っているが人が好さそうな顔立ちをしており、髪は黒に近いダークブラウン、瞳は新緑を思わせる色だった。甥っ子ということであったが、あまり似ていない。エリーゼは、ローズゴールドの珍しく美しい髪を緩やかに結い、瞳は青灰色。唇は薄く慎ましく、薄らと桃色に染まっていた。妖精のお姫様がいたらこんな感じだろうなと見惚れてしまう。
(なんでだろう。この子にすごく親しみを感じる)
エリーゼとは根拠もなく仲良くなれそうだと思い、ニッコリと笑えばエリーゼも釣られるように笑みを見せてくれた。
「彼女はスズ。スズとはクイレン王国で出会って、気が合い友人となった」
ルイースの紹介に軽く頭を下げる。この二人なら、日本式の挨拶も問題ないだろう。テルマは次期国王で、ルイースはエリーゼを甥の妻にと考えているようなのだから。
「初めまして、鈴音と申します。周りの人はスズと呼びますので、お二人もそのようにお呼びください。見た目の通り異国生まれの者で、先日縁あってルイ…いえ、陛下の友人の地位を賜りました。今日は、よろしくお願いします」
二人は友人という単語に反応して戸惑いを見せた。しかし、そこは処世術が長けた二人。すぐに目元を和ませて頷いてくれた。
「私のことはエルマと呼んでください。陛下のことは普段通りに呼んでもらっても大丈夫ですよ。今日はプライベートですし、私もそうします。叔父上、それでいいでしょう?」
エルマに聞かれルイースが頷く。
(お、叔父上!?いや、確かに甥っ子だとは聞いたけども)
エルマの言葉に衝撃を受ける。絶世の美貌を誇るルイースに叔父という単語は違和感でしかない。そんな鈴音にエリーゼがくすくすと笑った。
「お気持ち察しますわ。あんな美しい方を叔父上だなんて、わたくしも最初はびっくりしましたもの。それにしても、スズさんの格好凛々しくて素敵ですわ」
お世辞でないことは無邪気に輝く目から見て取れた。
「ありがとうございます。あ、私のことは、スズと呼んでください」
「それでは、お言葉に甘えて。わたくしのことはエリィと呼んでくださいな。ルイース様のご友人でしたら、もっと親しくさせていただきたいもの」
「エリィですね。分かりました」
和やかな雰囲気で自己紹介が終わり、早速馬に乗ることになった。鈴音に用意された馬はカーザラントへの道中でもお世話になった大人しく従順な雌馬であった。信頼関係を築いているので鈴音も安心して身を任せることができる。
ゆっくりとしたペースで出発する。先導するのは護衛の騎士。王と王太子、婚約者候補の令嬢といったようにやんごとなき身分の人が三人もいるから護衛騎士の数が多い。後ろには着任したばかりのスィオンもいたが仕事中なので話かけたりはしなかった。
裏の城壁から橋を渡り城の敷地内から出る。乗馬日和の天気とはいえやや日差しが強いので、鈴音とエリーゼはツバの長い帽子を被っている。しばらく進むと木々が茂る平らな道へと差しかかる。ここから先は王族の私有地の森で許可がない者は立ち入れないらしい。
(王族の私有地ってだけあって、きちんと管理されているみたい)
暖かい時期には草が生い茂り森全体が暗くなりそうなものだが、この森はそんなことはなく見通しも良い。王族が立ち入る範囲は伐採などして整えているのだろう。さすがに森全体を整備するのは広すぎて難しそうだ。
(案外、翁が管理していたりして)
王族の私有地だというこの森には千年翁がいる。ドリアドという精霊は、力を持つと森の管理者となる。森に住む生き物を見守り、時には環境を守るために間引いたり、増やしたりする。なので鈴音の考えは決して的外れとはいえない。
緑がさらに豊かになり緩やかな斜面を登り始める。頭上から木漏れ日が降りてきて、森の道を清らかに照らす。
「一時間ほど馬を進めれば、草原に出る。そこで昼食を摂りながら、ゆっくり過ごそう」
ルイースが先に進みながら言った。それにテルマが返事し、二人は話し始める。そんな二人をなんとなく眺めているとエリーゼが馬を近くに寄せてきた。
「スズ、わたくしとお話してくださいませんか?」
「もちろん」
「よかった。ねぇ、スズはどこの国の方なの」
当然と言えば当然の質問だ。どう答えるか、しばし悩みスィオンたちにした時と同じ説明を繰り返す。
「東の果ての島国ですよ」
「まあ、やっぱり東の方でしたのね。東の果てというと、とても遠い所からいらしたのですね」
「はい、とても」
「東といえば、どのような国があるのかしら?東の方にもいくつか国があるのは知っているのですけど、距離もありますし、交易もそこまで盛んではないの。だから、知っていることはほとんどありませんわ」
「そうなんですね」
交易があまり盛んではないと知り鈴音は安堵する。彼らが東の国々を知らなければ知らないほど誤魔化しやすくなる。
「こちらとは違う独自の文化があることは知っているのですけど。もしよろしければ教えてくださいな」
「そう、ですね。他の国がどうなのかは不勉強で知りませんが、私の生まれた国は周囲の国と比べても独特な文化を持っていたかもしれません」
エリーゼが鈴音の話に目をキラキラさせている。深窓の令嬢といった見た目だが、性格はそうでもないらしい。好奇心が旺盛な表情に口元が緩む。
「まず、食文化が違います。国は海に囲まれていたので、魚介類の食べ物が多くて、主食は米と呼ばれる穀物です。あと、発酵された食べ物も多いですね。それから宗教。カーザラントやこの周辺諸国は一神教、ジャスーラ・ミンレンを信仰してますよね」
「ええ、そうですわ」
「私の生まれた国には多くの神様がいます。『八百万』とう言葉があって、様々な神様がいらっしゃり、お社も沢山…こちらでいうところの神殿ですね」
「やおよ…?」
「八百万という意味で、それほどの神様がいるということです」
「まぁ、そんなに…!でも、それですとお祈りするのが大変ですわ」
「確かに、全ての神様にお祈りするのは大変ですね」
鈴音は小さく吹き出した。
「でも、大丈夫ですよ。神様方には商売繁盛、家内安全、恋愛とかそれぞれ役割を持っていて、その時に何を祈りたいかで、神殿には行くんです。もちろん、一柱の神様がいくつもの役割を持っていたりはしますけど」
「なるほど。他の神様は、それで怒ったりはなさらないの?だって、それは…」
エリーゼがなんと話せばいいのか悩み言葉を止める。
「言いたいことは、なんとなく分かりますよ。でも、神様は心が広いので怒ったりはしません。それに、私の国の人たちは、良くも悪くも信仰に関して緩かったですから」
「緩い?」
「はい。異国の神を受け入れ、その祭事をお祭りとして祝いながらも、一年の始まりには初詣といって自国の神様に挨拶をしに行く。結婚するときも、異国の神殿ですることもあって。それなのにお葬式は、また別の宗教のやり方でしたりするんですよ」
「それは、また…信心深いのか、そうでないのか分からないですわね」
苦笑するエリーゼに「その通りだ」と頷く。
「無神教徒だと思っている人が多いんですけど、実際はどこかの宗派には属しているんですよね。普段は全く意識していないだけで。多分、お祭りや行事は、そういうものという考えで宗教だと認識する人が少ないんだと思います。日常に溶け込みすぎているんですね、きっと」
「それは、なんだか素敵ですわ。あ、こんなことを話しては、異端だと言われるかも知れませんけれど…そうではなくて、肩肘はらない信仰というのは人に優しいものに感じて。スズの国の人たちにとって信仰というものは、そっと寄り添うものなんですね」
鈴音は、エリーゼこそ優しい人だなと思った。一神教の国で育った人からすれば、日本人のような多神教は異端に感じるはずだ。それなのに受け入れ、前向きに答えてくれる。鈴音は、日本の文化を大切に思っていたから素直に嬉しかった。
「ありがとうございます。でも、それはこれまでのことがあったからだと思います」
「これまでとは、なんですの?」
「宗教による失敗です。宗教は、人を精神的な面から支えるものですが、だからこそその信仰心が争いの火種を呼ぶ場合もあります。私が幼い頃、強い信仰のせいで恐ろしい事件も起きました。だから、宗教色の強いものは、私の育った国では嫌がられることが多いんですよね。国の宗教活動は禁止されてますし。代わりに信仰の自由という法律もあって、違法行為をしない限り何を信仰してもいいんですよ」
エリーゼが目をぱちくりとさせていた。さすがに、文化が違いすぎて引かれただろうかと心配になる。
「…スズは東の国から来た旅人だと思っていたのですけど、もしかして留学生でしたの?」
エリーゼの意図が分からず首を傾げる。
「自国の宗教だけではなく歴史や法律にも詳しいご様子ですもの。見聞のために、こちらの文化を学びにいらしたのではないかと思ったのですけど…語学も堪能ですし」
苦笑して横に首を振る。日本人である鈴音にとって今の話は一般教養の範囲である。
(うーん、こっちの教育水準レベルがよく分からないなぁ。下手に話さない方がいいかもしれない)
文化の発展レベルが地球よりも劣っているのかといえば、そうではないだろうと思う。地球にはない画期的な技術もあるようだ。こちらの世界の発展が緩やかなのは科学という概念を持たないことと魔術というものが目に見える形で存在するからだと鈴音は考える。
「私が知っているのは興味がある範囲ですよ。ーーあとは、そうですね、建物もこちらとは随分と違います」
「そうですの?」
「はい。こちらは主にレンガや石材を使われてますよね。私の国では木造建築が一般的なんですよ。寺院…神殿などは木を複雑に組んで建ててます。かなり緻密な計算が必要らしいんですけど、私も詳しくは知らないんですよね」
(まぁ、今は鉄筋コンクリートの建物の方が多いんだけどね)
それは言わなくてもいい内容だろうと省く。
「と、まぁ、私の国はこんな感じです。エリィからすれば、とても風変わりに感じるのではないですか」
「風変わりというよりも、不思議だと感じますわ。同じ人間ですのに、容姿も違ければ文化も違うだなんて。とても興味深いですわ」
そう言いながらエリーゼがちらりと前に視線を向けた。ルイースの方だ。気付けば前の二人は話を止めて静かに馬を進めていた。もしかすると鈴音の話を聞いていたのかもしれない。
「ーーそろそろ、目的地だ」
少しもしないうちにルイースが言った。同時に視界が突然開ける。
「綺麗な場所…」
鈴音は目の前の光景に感嘆し呟く。
そこは木々に囲まれた広い草原であった。若々しい草が風に吹かれ波のように揺れる。所々に花が咲き、大きな水溜りみたいな泉が遠目に見える。とても心地よい場所だ。
「私のお気に入りの場所なんだが、遠くてなかなか来られないのが難点なんだ」
いつの間にか隣にいるルイースを見上げた。彼は穏やかな表情で草原を眺めている。
「確かに、少し遠いかも。でも、ルイが気に入る気持ちは、とても分かるよ」
「そうか。スズにそう言ってもらえると嬉しいな」
微笑んで鈴音を見下ろすと、すぐに視線を外し前に馬を進めた。同時に横に避けていた騎士たちも進む。スィオンが近くを通る。騎士たちのメンバーを確認したが見知った顔は彼だけであった。部下たちは連れて来なかったようだ。護衛騎士の他には数人のメイド。ステラとテーラもいることに今更気付く。彼らは少し距離を空けて移動していたのか、ここまで大所帯だとは知らなかった。
ルイースは眺めのいい場所で馬から降りると指示を出し始める。どうやらそこで昼食を摂るらしい。エルマとエリーゼに続いて鈴音もそちらの方に馬を進めた。その間に、ステラとテーラたちメイドが敷物を敷いて、日除けの傘を立てる。バスケットから簡単に食べられる食事を出して並べ、お湯を沸かし始める。至れり尽せりだ。あっという間に昼食の準備は整えられていた。まずはルイースが座り、テルマ、エリーゼ、鈴音と続いて座る。食事は、どれも美味しそうで色とりどりであった。卵とハムのサンドイッチ。爪楊枝に刺さったチーズやソーセージ。一口サイズにカットされた果物。鈴音は、ルイースとテルマが話すのをエリーゼと共に黙って聞きながら食事を楽しむ。
(そういえば、普通に楽しんでいるけど、翁にルイと話せって言われてたんだっけ)
横目でルイースを見るがテルマとの会話に集中しているようだ。
(どっちにしろ今日は無理かな。でも、今日を逃すとしばらく会えないかもしれないしなぁ)
多忙なルイースが鈴音のために何度も時間を空けるのは難しいだろう。
「もう、嫌ですわ。ルイース様もテルマ様もお仕事のお話ばかりで。大切な事だとは重々承知しておりますけど、今日は休日なのでしょう?それですのに、そんな話ばかりして。スズもそう思いますでしょう」
悩んでいると突然、エリーゼが声を上げる。可愛らしい文句の同意を求められ鈴音は困った。仕事の話とは言うが、部外者である鈴音が聞いても差し障りない話ばかりである。ルイースとエルマは目を合わせて苦笑した。
「それでは、エリィは何をご所望で?」
「食事もそろそろ終わりましたし、ボードゲームをしましょう」
エリーゼが令嬢らしくない不敵な笑みで言った。




