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あれから数日経った。ルイースからは何の連絡もないまま時が過ぎる。彼とも会っていない。聞いたところによると忙しくしているようだ。鈴音は、その事に安堵を覚えていた。恐ろしくなるような高揚感、あんな感情が自分の中にあるとは知らなかった。確かに、人よりも好戦的なところがあると自覚はしているが大人になった今はそれを抑えることを覚えた。
(あの感情を好戦的って片付けていいものか…)
好戦的と言うには激しく獰猛だった。もはや獣の類に例えた方が納得できる感情であった。自分が自分ではなくなるような強い感情。今後、そんな自分を抑えられるのか不安になってくる。元凶はルイースだと分かっている。己を守るために、ルイースから離れることがあの高揚感を生まないための一番の方法だろう。だからといって、この世界は鈴音にとって勝手の分からぬ場所。しかも身分を証明するものを何も持っていないのだ。異世界から来たのだから当然と言えば当然だ。
(スィオンを頼ろうかな…)
彼ならば、頼めば仕事と住む場所を探してくれるだろう。
そんなことを真剣に考える。しかし、結局、自らルイースと距離をとることはできないのだ。
(まぁ、言い出しっぺが先に逃げるのもね)
自分から友情を築こうとしておきながら、都合が悪くなったら逃げるなど、大袈裟かもしれないが鈴音の生き方を否定する行為なのだ。あと単純に敵前逃亡をするのは、なんだか負けた気がして悔しい。この場合の敵は言わずもがなルイースである。
黙って考え込む鈴音を気にした様子もなく、今日もミオラとテーラが仕事をこなす。
「ーースズ様」
「ふあ?」
「…」
考え込みすぎていつの間にか居眠りしていたらしい。申し訳なさそうな視線に慌てて口元の涎を拭い、姿勢を正した。
「えっと、なんでしょう?」
「陛下からの言伝を預かっております。本日の夕食をご一緒しないかとのことですが、どうなさいますか?」
陛下という言葉に肩を僅かに揺らしてしまった。テーラも気付いたはずだが、表情を変えないまま鈴音に問う。
(どうなさいますかって、ルイースの身分を考えると拒否できないよね)
断るつもりはないが、断ったらどうなるのだろうと意地の悪い好奇心がくすぐる。間違いなく、鈴音が不評を買うだけなので冗談でも実行はしないでおく。
「行きます」
「畏まりました。それでは、お時間になりましたらお迎えに参ります。ご衣装はどうなさいますか?」
「…この服装では失礼かな?」
「スズ様は、陛下のご友人です。公ならば失礼に当たりますが、プライベートならば問題ないかと思います。御髪の乱れを整えれば大丈夫かと」
「なら、服装はこのままで。髪は…」
手櫛でいいかと考えていると、テーラから訴えかける視線が送られる。鈴音の考えることはお見通しらしい。大変優秀なメイドだ。
「あー、じゃあ、お願いします?」
「畏まりました」
テーラが頭を下げて了承する。仕事に戻ったテーラから視線を外すと鈴音は窓辺に立ち、ぼんやりと美しく整えられた庭を見下ろした。あの日以来、この城の全てが冷たく感じられる。未だに胸の奥底で燻る高揚感が、ここは敵地なのだと鈴音に囁いていた。
「…スズ様、そろそろご支度を」
ミオラの声に目を瞬かせる。振り返れば、心配そうにこちらを見ているミオラと僅かに眉を寄せているテーラがいた。
「もう、そんな時間?」
「はい。スズ様、ずっとそちらに?何か面白いものでもございましたか?」
珍しくミオラが仕事以外の質問をした。食事について聞かれたのは地球の時間に当てはめるなら三時頃。外の明るさを確認すれば、現在は五時頃。もしかするとそれ以上かもしれない。その間、鈴音はずっと窓辺に立ったままでいたようだ。
(…この間のこと、思う以上に堪えているのかも)
額に手を当て気持ちを切り替える。
「ぼんやりして時間が経つのを忘れてたみたい。私の悪い癖だなぁ。それより、ルイを待たせるわけにはいかないよね。髪をお願いします」
鈴音はドレッサーの前に座る。ミオラは、それ以上口を開かず髪を整えてくれた。鈴音はその間もぼんやりとしていた。そんな彼女の様子に二人のメイドが目配せし合っていた。
食事するために用意された部屋は相変わらず上品ながら豪華だった。すでに、ルイースは席に着いており、美しい笑みを浮かべて鈴音を迎えた。
「スズ、久しぶりだね」
「…そうだね。久しぶり」
「放っておく形になってすまない。不自由は感じなかったかい?」
気遣いの言葉に笑みを浮かべて頷く。
「ミオラさんとテーラさんが良くしてくれているよ。それより、ルイも忙しくしてると聞いたけど、無理はしてない?」
「城を開けていた時間が長かったから、溜まっていた仕事を片付けていたんだよ。それも、終わる目処が着いたからスズを食事に誘えたんだ」
「そっか」
食事が運ばれてくる。ファイが食事の準備をしていた。給仕までするのかと目で追っていればスィオンが壁際に立っていることに気付いた。スィオンは鈴音を見ていたようで視線が合う。彼は「久しぶり」というように片眉を上げた。その親しげな態度に肩の力が抜ける。
ルイースが食事の前に短く祈るのに合わせて、鈴音は目を伏せる。ルイースが信心深いわけではないと知っているので、それが形式的なものであることは分かっている。祈りが終わると鈴音は『いただきます』と日本での習慣を忘れずに行った。食事中は当たり障りのない会話をする。主に、会わなかった間なにをしていたかについて聞かれたのだが、ほとんど何もしていなかった鈴音は上手く話題を提供できず困った。
「スズ」
食事の終盤。ルイースが鈴音を呼ぶ。
「遠乗りの日程が決まったよ」
鈴音は、咀嚼していたものをごくんと飲み込むと首を傾げた。
「いつ?」
「三日後だ。その頃には仕事が片付きそうでね」
「分かった」
楽しみにしていると続けようとしたがルイースの言葉がそれを遮る。
「でも、鈴音の都合が悪ければ無理にとは言わないよ」
優しい声に鈴音は意味を捉えかね眉を寄せた。鈴音は、現在この城に滞在しているだけで予定などないに等しい。そんなのルイースも知っているはずだ。そこまで考えて、鈴音はルイースの意図に気付いた。
(…逃げ道を作ってくれているのか)
あの時の鈴音の反応は怯えと取られたようだ。
(もし私が行かないと言えば距離を取られてしまうんだろうなぁ)
きっと彼は、完全に心を閉ざし鈴音を遠ざけることだろう。今この時も心を開いているわけでは無いが、この選択によってルイースとの関係が変わることは予想がついた。
(そんなことはさせないよ)
目を細めて口の端を上げる。
「ルイと遠乗りに行くの楽しみにしてたんだから、断るわけないじゃん」
(逃がさない)
逃げる獲物を見れば追いたくなる。欲しいものがあれば、手に入れるために行動する。欲深さは前世から受け継いだ業だ。
「…そうか」
ルイースが鈴音の目を見て躊躇いがちに頷く。僅かに怯えているように見えたのはきっと鈴音の気のせいだ。
「もうお腹いっぱい。眠くなってきたし、部屋に戻るね」
ルイースのことだから、この後も仕事をするのだろう。あまり鈴音に時間を取らせるわけにはいかないと自ら食事を切り上げる。
「ああ。そうだ、細かい予定は後ほどテーラに伝言しておく」
「了解。じゃあ、おやすみなさい」
「…おやすみ」
二人の様子にスィオンが戸惑いの表情を浮かべていた。ファイは相変わらず不愉快そうである。
椅子から立ち上がり、迎えに来てくれたミオラが待つ廊下へと歩いていく。部屋を出るまで三人の視線が追ってきているのは分かったが振り返らない。
「スズ様」
部屋に戻るとミオラが声を掛けてきた。
「スッキリとした表情をなさっていますね」
目を瞬かせてミオラを見る。
(見張りのためにつけられたメイドさんだけど、真面目に私の面倒を見てくれるし、基本人が好いんだろうね。味方ではないけど)
ミオラが心配しての発言だと分かり、目元を和ませる。最近の鈴音の様子を見て、何らかの思いを溜め込んでいることに気付いているのだ。その優しさが素直に嬉しい。
「うん。なんかやる気が出てきたって感じ」
「左様でございますか。悩んでいるご様子でしたので、それが解決したのでしたら良かったです」
「うん」
寝支度をした後、ミオラが退出する。鈴音は、ベッドに身を投げだし大きく息を吐いた。やってやったぞという思いでアドレナリンがいっぱい分泌されているようだ。興奮でしばらくは寝付けないだろう。今後の方針も考えたいが思考がまとまらない。どれくらいそうしていたのか。微かな声を耳で捉えて、思考の渦から抜け出し身を起こした。
「誰?」
声は室内からする。鈴音は臆すること無く声を上げた。
「王様だ」
「王様、こんばんは」
子供のような声に目を眇める。
「君たちか。何か用?」
「迎えに来たの」
「王様をお迎えに」
「お使いだよ」
きゃらきゃらと笑う光のモヤは精霊たちだ。
「迎え?どういうこと」
「翁が王様を呼んでいるの」
「王様がなかなか来れないみたいだから」
「迎えに行けって」
フワフワと漂う三つの光。話す度に明滅するようだ。
「迎えに来られても今は行けないよ。城を抜け出すわけにもいかないし、精霊の森は遠いでしょう?」
「大丈夫」
「道は開かれた」
「は?道って…もしかして、精霊の道!?」
精霊たちは独自の道を持つ。時間も距離も関係のない空間に住む彼らの世界。人は入ることも感じることも出来ない場所だ。そこに行くためには精霊たちが繋いだ道を通るしかないのだが、これも彼らの許しが無ければさ迷う羽目になる。
「そう、ボクたちの道」
「王様なら通ってもいいよ」
「いこう、翁が王様を待っているよ」
鈴音の周りを三つの光がクルクルと回り始める。それに慌てたのは鈴音一人だ。
「ちょっと、待って!まだ、行くってーー」
グラリと視界が揺れ鈴音の声が途切れる。彼女のために用意された部屋は、しんと静まり返り、部屋の主が消えたことに誰も気付かない。




