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サニーから聞いた話が衝撃的すぎて、部屋に案内されるまでの間鈴音は上の空であった。今朝、見た夢の内容が脳内にこびりついているようで苦しい。
「ーーこちらは、陛下のご友人という名の「客人」です」
やけに「客人」の部分を強調させたファイの声でようやく現実に引き戻された鈴音は目を瞬かせた。いつの間にファイと合流したのだろうか。苦手な人間に気付かないほど動揺していたようだ。
「ファイさん、やけに棘のある言い方ですね」
「気のせいでは?」
鈴音は、豪華な部屋に通されていた。ここに来るまで異国風の彫りの浅い容姿と黒髪などでかなり注目を集めたのだが、動揺していたので本人は気付いていない。目の前にいるメイドからも態度には出てないが戸惑いが目から見て取れた。ファイの微妙な紹介も困惑を深めることになったのだろう。鈴音は、小さく息を吐くと苦笑しながら二人のメイドにあいさつする。
「はじめまして、私は鈴音。どうか気軽にスズとお呼びください。ルイ…ルイース様から恐れ多くも友人という栄誉を頂き城に招かれた身ですが、盗賊に捕えられていた所を保護された一平民に過ぎません。ですので、あまり畏まらないでくださると嬉しいです。とは言っても、ここでは右も左も分からないので、いろいろと教えてくださるとありがたいです」
日本人らしく深々と頭を下げる。前世の記憶でこちらの作法をそれなりに知ってはいるが、なんせ身分と性別の違いで役に立たない。それに育ちのせいでお辞儀に慣れているのだ。夢で見ただけの作法など、土壇場で出てこない。
(しないよりはいいよね)
礼儀を重んじる国に生まれた身として礼節はしっかりとしときたい。そう思いながら姿勢を戻し、伏せていた目を上げると二人のメイドが呆気にとられた表情を浮かべている。そして、何故かさっきよりも困惑の色が濃い。
(もしかして、日本式の作法はよくなかった?)
普通に困惑されるのは仕方がない。しかし、想像よりも困らせている気がして眉尻を下げる。焦ってファイの方を見れば、彼は彼で眉間に皺を寄せてこちらを見ていた。鈴音は、失礼に当たるのかと顔を青くさせる。
「す、すみません。私、あまりこちらの文化に詳しくないので、失礼をしたのなら謝ります。…すみません」
「え、い、いえ…!」
メイドの一人が我に返って、慌てて首を振る。もう一人のメイドは、どうすればいいのか分からずファイの方を振り返る。
「…別に失礼な態度ではありませんでしたよ」
「え?」
「ただ、頭を下げる行為は誰にも彼にもしていいものではありません。陛下にでしたら問題はなかったでしょう」
ファイの口ぶりから、メイドに対するものとしては大袈裟だと言いたいのだと分かる。
「今のは、あなたの生まれた国の作法ですか?」
聞かれたことに頷く。
「私が生まれた国では日常的に使ってますね。謝意を表すときに気持ちの度合いによって頭を下げる角度が変わります。例えば、簡単な手伝いをしてもらった時は軽く頭を下げる」
ファイに分かりやすく実演する。先程よりもかなり浅く頭を下げ、腰までは曲げない。
「かなり感謝している時あるいは心から申し訳ないと思っている時などはこんな感じです」
今度は腰まで曲げて頭を下げる。先程と同じ礼だ。
「なるほど。国よって礼儀作法が異なるのは知っていましたが、東の島国ともなるとかなり特殊みたいですね。しかし、こちらに滞在するのでしたらこちらの方法に従って頂きますよ」
郷に入っては郷に従えということなのだろう。鈴音は、素直に頷く。
「慣れないうちは仕方ありませんが、メイドや従者など下の身分に頭を下げる必要はありません。こちらの国では、頭を下げる行為は、あなたに従いますという意味に取られます」
嫌っている割には丁寧に説明をしてくれるファイ。意外な気持ちで見上げていると殺意に近い冷ややかな目で睨まれてしまった。
「あなたは、陛下の意向で友人として城に滞在を許されました。私は、恐れ多くも意見を申し上げることはできても、陛下の決定を覆すことはできません」
言外に、鈴音の滞在に反対だと言っているのだ。
「普通の人間でしたら、恐れ多いと引き下がるものですけどね。いいですか、もし陛下を貶めるような行為をすれば私が許しません。言いたいこと分かりますよね?有言実行させていただきます」
冷や汗が出る。もし鈴音がルイースの足を引っ張るようなことでもしようものなら始末すると言っているのだ。
「…肝に銘じておきます」
殊勝な態度にファイが胡散臭そうな目線を向けてきた。しかし、鈴音は至って真剣である。命は惜しい。
ファイがため息を吐いてメイドの方を向く。今回は見逃してやるといった態度だ。
「あとのことは、あなた方に頼みます」
メイドたちが頭を下げるのを一瞥することなくファイは部屋を出ていく。鈴音は、不本意そうな背中を見送ったあと疲れたと肩を落とす。このまま気持ち良さそうなソファに寝そべりたいがメイドがいるので気を抜けない。
「…えーと、それで二人はなんと呼べば?」
気まずい空気を払拭する為に、鈴音は二人に名前を聞く。
「っ、し、失礼いたしました。私はミオラと申します」
「私は、テーラと申します」
ミオラと名乗ったメイドは愛らしい顔立ちをしており、淡い金髪を邪魔にならない程度に緩く結っている。年齢は鈴音よりも五歳以上は年下に見える。少し落ち着きがない雰囲気だ。それに比べ、テーラは落ち着いた女性といった印象だった。栗色の髪はしっかりと結えており、仕事ができる美人キャリアウーマンといった体である。年齢は鈴音よりも年上だろうか。もしかすると同年かもしれない。
「ミオラさんとテーラさんですね。しばらくの間、よろしくお願いします」
「スズ様、どうぞ私たちのことは呼び捨てでお呼びください。スズ様は陛下のご友人でお客様になります。お言葉も私どもには畏まらなくて大丈夫でございます」
「…」
(か、堅い…)
内心顔を引き攣らせながら鈴音は頷き返した。
「それでは、スズ様のお召し物等をご用意させていただきますので、それまでお茶をお召し上がりになってゆっくりとお過ごしくださいませ」
(堅い!)
心の中で叫びながらも顔を笑みを作る。ふかふかの椅子に腰をかけるとミオラがお茶の用意をはじめ、テーラが服を取りに行くためか退出した。鈴音は手持ち無沙汰になり、室内を観察することにした。
(アハハ…さすが王宮。豪華で広いって、肩身狭いんだけど)
前世で王様やってても、今世では平々凡々な一般女子。身分不相応過ぎて、居心地が悪かった。
「失礼いたします」
手前にそっと湯気を立てたカップを置かれた。同時に爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。
「ありがとう」
「…」
ミオラは無言で頭を下げて、鈴音の視界に入らない場所へと立つ。鈴音は、早速カップに口を付けて琥珀色のお茶を飲む。爽やかな香りとともに、優しい苦味が口に広がる。ほっと肩の力が抜けた。鈴音は、振り返るとミオラと視線がぶつかる。彼女はぴくりと肩を揺らし落ち着かない様子を見せる。
「ど、どうかなさいましたか?」
「とても美味しいです」
「…恐縮でございます」
ミオラは、戸惑いながらも頭を下げる。再び訪れる沈黙に鈴音は視線をさ迷わせ、結局、無言でお茶を飲み進めるしかなかった。
「ーー、ーー」
大人しくしているとヒソヒソとした話し声が聞こえた。もちろんミオラではない。鈴音は少し首を傾げながら、室内を見渡す。
「ーーまだ、おーーだ」
どうやら、自分の座る手前の椅子の影から声が聞こえてくることが分かった。鈴音は、ミオラに悟られないように耳を傾ける。
「王様だ、王様が帰ってきた」
「ほんとうだ、ほんとうだ」
「知らせる?知らせない?」
「王様のお帰りだ」
小さな声たちは、そんなことを言っていた。
(妖精か)
鈴音は納得すると落ち着いてお茶をまた一口含む。
魔法が実在するこの世界では、当たり前のように妖精や精霊が存在する。とはいえ、見える者と見えない者とに分かれる。鈴音は前世でも今世でも見ることができるようだ。ミオラがどうなのか分からないので、とりあえす素知らぬふりを通すことにした。しばらくして、テーラが着替えを手に戻ってきた。豪華なものではないが、かなり高級品だとわかる布地が使われた丈の長いワンピースドレスだった。簡単に着れるもので、鈴音は軽く体を拭かれたあとすぐに着替え終えてしまった。フードを取り短髪を晒した時は怪訝の中に不審げな目を向けられたが事情を説明すれば納得と哀れみの表情をされてしまった。
「他に何か御用はございませんか?」
テーラが目を伏せながら聞いてきた。
「うーん、特にはないかな。旅疲れしたから、ゆっくりと休みたいくらい」
「かしこまりました。それでは、私たちは一度下がりますので、ご用がありましたらそちらの紐を引っ張ってください」
ミオラが壁に下がる豪華な金糸の紐を指して言った。至れり尽くせりで苦笑が漏れる。
「分かりました。ありがとう」
「ーーそれでは、失礼いたします」
お手本のような礼をして下がる二人を見送った後、少し時間を空けてから鈴音は静かに立ち上がった。そして、そうっと向かい側にある椅子へと近付く。囁くような声は今も聞こえている。見えたのは淡い光の玉であった。輪郭がはっきりしない姿から妖精ではなく精霊の方だったと気付く。
「王様のご帰還だ」
「王様、王様」
「ーーねぇ、王様ってルイースのこと?」
椅子の影を覗き込みヒソヒソ話す形のないものに声をかける。
「ルイース?ルイースって、だぁれ?」
「王様は王様さ」
「王様が帰ってきたの。あれ?でも、王様は一人じゃなきゃ」
「王様が二人?おかしいな、おかしいな」
声たちはどれもとてもよく似ていたが、どうやら四人の妖精がいるようだ。鈴音は、考え込むように黙り、そしてもう一度声をかける。
「王様って、ルイースではないの?」
「蜂蜜色の王様」
「木の蜜の王様」
「それは、代理の王様さ」
「代理?」
「そうそう。王様は一人だけ。だから、甘い色の王様は本来の王様にお返しするの」
「そうか、お返しするのか」
「それなら王様は一人だけ。黒髪になった王様が王様」
精霊の言う王様が誰か悟り、鈴音は頭を抱えた。




