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鳥の鳴き声に、意識が浮上する。
室内の空気はシンとしており、カーテンの隙間から朝日が差し込む。爽やかな朝だ。ーーにも関わらず、加野 鈴音の目覚めは最悪だった。
ーー嫌な、夢を見た。
しっかりと睡眠をとったはずなのに、頭の芯が重く痛む。それも、先ほどまで見ていた夢のせいだ。数年前から突然見るようになった夢。初めて見た時から、あれが前世で経験したことなのだと自然と受け止めていた。厄介なことだ、と鈴音は痛む頭をそっと抱えた。
高校二年の時だっただろうか?なにも特別なことがあったわけではない。いつものように夜更かしをして、ようやく眠りに入ったその夜に前世を思い出した。
昔から、前兆はあったように思う。見たこともない光景が脳裏に突然浮かび上がったり、知らないはずのやり取りに懐かしさを覚えたり。そうよく考えれば、幼い頃からどこか精神的に成長が早く、周囲の空気を読むのに長けていた。
それでも、前世を思い出す前の鈴音は無邪気でしかない少女だった。
(私が、前世で王様とか)
苦笑を浮かべ、鈴音は記憶が蘇った頃のことを思い出す。
思い出した日、家族から「どうしたの?雰囲気が変わった?」と戸惑うように聞かれたことを今でも覚えている。
自分では変わっていないつもりだったけど、側にいる人たちは鈴音に違和感を覚えたのだろう。実際、友人たちも数日後には戸惑った様子を見せ始めた。
だから、鈴音は恐れた。前世でこの魂の持ち主であった者に意識を呑み込まれるのではないかと。でも、それは杞憂に過ぎなかったようだ。何日経とうと、数年経とうと鈴音は鈴音でしかなかった。確かに、記憶が蘇ったことで、多少なり性格に変化はあったが、本質は無邪気な鈴音のまま。価値観も変わらなかったように思う。
前世は、王であったこともあり傲慢で、プライドも高いところもあった。友からの裏切りにあったけど、それが今世に響いていることはない。友人は多く、社会人なった今でも親友と呼べる人が三人もいる。
〜〜♪
携帯のアラームが鳴る。
起きる時間だ。のんびりはしていられない。準備をして、出勤しなければと鈴音は身を起こした。
物が溢れ、散らかった床を慣れた様子で歩きバスタオルを手にシャワールームに向かう。
シャワーが温まるのを待ちながら、服を脱ぎ捨てる。お湯の加減を手で確認してから、頭からシャワーをかぶる。
「ほぉぅ」
芯から温まり、身体の力が抜ける。それと共に、嫌な感情も流されていくようだ。
それから、さっと頭と身体を洗う。頭を乾かしながら朝食を終え、化粧をしてショートにしたばかりの髪の毛をさっと整えるとコートを羽織る。テレビの時計で時間を確かめれば、時間に余裕があった。だから、一人暮らしの淋しさを紛らわすために飼っている小鳥の様子を見ることにした。
ガサゴソと遊んでいた小鳥が、汚れのないつぶらな瞳で鈴音を見上げ首を傾げる。その愛らしい仕草に口元が緩む。
(可愛い。)
ゲージの隙間から指ん差し入れ、小さな頬を撫でる。気持ち良さそうに目を閉じるのを見て、さらに笑みを深めた。
「可愛いなぁ、お前」
今度は声に出して、小鳥を可愛いがる。
「餌は、たっぷりあるね。これならニ、三日は持つ。…私が突然いなくなっても、大丈夫だ。出勤しなかったら会社からすぐに連絡が家族のもとにいくはずだから、長くても三日後には誰かがお前を見つけてくれるはずだよ」
だから、大丈夫だと言う。鈴音自身、変なことを言っていることは分かっていた。
(でも、ほら人生って何が起きるか分からないし。当たり前に今日が来るわけではないから)
そう考えるようになったのは、いつからだろうか。前世とは関係ないと思いたいが、恐らく影響を受けているのだろう。
「そろそろ行かないと。じゃぁ、行ってくるね!いい子にしているんだよ!!」
鈴音は最後に、そう言って玄関を開けた。
外は澄んだ冷たい空気が満ちていた。空は高く、冬の訪れを告げていた。今年もすぐに終わる。来年も当たり前のように、こんな日々を過ごすのだろうと予感させた。先ほどまで、当たり前のことはないのだと考えたのは他でもない鈴音自身だというのに。
「え!?新作でるんですか!」
仕事の終わり、一緒に職場を出た先輩の方を振り仰ぐ。
「そう、でるらしいよ。確か、日本では来年公開だったかな」
「ら、来年…待ち遠しすぎる」
人通りの多い場所で悶える動作をすると隣の先輩が苦笑した。彼とは入社当初からウマが合い、休憩時間や帰宅時間が合えばよく話す。最近の話題は、鈴音の趣味の一つである映画についてだ。
「あのシリーズ、本当に楽しいんですよね」
「俺も、あんまり映画は観ないけど、あの作品はいいね」
「そう言って貰えると勧め甲斐があります!あ、そうだ、時間が合えばまた一緒に行きません?」
「お、いいな。そうしようか」
「しましょ、しましょ」
先輩とのこの距離感が心地よく、楽しい。同僚に付き合ってるのかと勘ぐられるが、彼の存在は先輩に対して思うことではないことかもしれないが、友人みたいなものである。
冷たい風が吹き、先輩が思わずといったように肩を竦めた。
「今日も寒いですよね」
と言いつつ、あまり寒そうな様子ではない鈴音に先輩が笑った。
「あまり寒そうに見えないが」
「寒いですよー。ただ、寒さに強いだけです。そのかわり暑さにはめっぽう弱いですが」
「ああ、確かに6月から既に死にそうな顔してんもんな」
「いやー、暑いのはダメです。すべてが面倒になります」
「冬は冬で寒くて、眠いから動けないとか言ってなかったか?」
「…」
都合が悪いことには無言で返す、不精者の鈴音であった。
「あー、寒いっ、温かいものが食べたい」
「いいですねー、鍋とか良さそう。それで日本酒も付いてくれば文句なしですね!」
「それはナイスなアイデアだな。よし、今から食いに行くか!」
「はい!!と言いたいところなんですが、今月、金欠なんですよねぇ」
「毎月言ってないか?」
「…」
また、無言で流そうとする鈴音を先輩が生暖かい視線を送ってくる。さすがに居た堪れなくなり反論を試みるがそれも情けないものとなった。
「ボーナスが出た後の数ヶ月は、潤ってますよ!」
「…そうだな」
「哀れみの目を向けないでください…」
「あはははっ、よし、ここは俺の奢りだ!」
その言葉に鈴音のテンションがさらに上がった。
「え。本当に!?やった、さすが先輩!一生着いていきます」
「……お前、本当に都合の良い奴だな」
「っ!?」
ガクンと突然襲う浮遊感。先輩の驚きに満ちた顔。そして、最後に見たのは黄金色の魔法陣。
ーーほらね、当たり前のことなんて無いのだ。
そう言ったのは、誰だったか。
鈴音は、諦め苦笑して残していく人たちとペットを思いながら意識を手放した。