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鈴音は飛び起きた。走った後のように心臓が早鐘を打っている。冷や汗が首筋を伝い気持ち悪い。
「ああもう、最悪」
頭を抱えて呻く。気分は、どん底である。かなり精神を消耗させられる夢だった。トラウマになりそうだ。
「ーーおい、大丈夫か?」
テントの外からスィオンの声がした。鈴音は、緩慢な動作でテントの幕を持ち上げて顔を覗かせた。
「おはよ…どうしたの、朝早くに」
空はまだ明るくなっていないが、山の向こう側は僅かに白み始めていた。
「お前が魘されているようだったから、様子を見に」
「ごめん、もしかして煩かった?」
「いや、そういうわけではない。鍛錬ついでの見回りをしている時に偶然、気付いただけだ」
「鍛錬…」
鍛えるのが好きだなと呆れた気持ちになる。
(騎士だから必要なのかもしれないけど。いや、まだ騎士ではないんだったけ。じゃあ、騎士(仮)だな)
「怖い夢でも見たか」
どうでもいいことを考えていると心配そうに顔をのぞき込まれた。気遣う瞳に苦笑する。
「そんなとこ。でも、目が覚めてあまり覚えていないし大丈夫」
嘘をついた。内容は、はっきりと覚えている。でも、無かったことにしたくてそう告げた。
「そうか。だが、顔色が悪いぞ?」
「そう?夢の余韻を引きずっているのかも。すぐに良くなるよ」
「旅の疲れが出ているのかもしれん。体調が悪いんだったら素直に言えよ」
「うん、ありがとう」
顔に手を当てれば、確かに頬が冷たかった。少しでも血色を良くしようと擦ってみる。
「じゃあ、俺は行く。ここにいては、後で何を言われるか…」
異性のテントの前にいるのは良くないということだろう。鈴音自身は気にしないのだが、彼からするとそういうわけにはいかないのだろう。背を向けて離れていくスィオンを見送っていると先程の夢が蘇ってくる。テントの中に戻っても、また眠る気にはなれない。こんな気持ちのままでは、二度目の悪夢を見そうで怖かった。
盗賊の頭が逃亡した事件後の旅は順調そのものであった。天気や気候に恵まれ、予定よりも早く進んでいるらしい。鈴音は、ルイースとファイに極力近付かないようにした。また、ファイに因縁つけられては困るというのもあるが、もう一つ、鈴音は夢の内容をまだ引きずっていた。だから、声をかけられない限りこちらから話しかけたりはしない。
「スズ」
ルイースに呼ばれる。声はかけなくても、こうして、何かとルイースに呼ばれるので一日に何度も会話することになる。ファイの視線が痛い。
「今朝、魘されていたと聞いたが大丈夫か?」
スィオンに聞いたのだろう。振り返った鈴音をルイースが心配そうに見ていた。その顔が一瞬、夢の中の『彼』と被り、どきりとする。動揺を悟らせないために片目を掌で擦り小さく微笑む。
「ちょっと寝不足だけど、大丈夫だよ」
「旅の疲れかい?体調悪くなったら言うんだよ」
「ふふ、それスィオンにも言われた」
主従同士は似るものなのだろうか。臣下と同じことを言う。悪夢に魘されたくらいで心配してくれる二人に面映さを感じで笑ってしまった。笑ったら少し気持ちが楽になる。
「本当に大丈夫。ありがとう」
先ほどよりも声に張りがあった。
「それなら、いいが…」
鈴音の言葉に引き下がってはくれたが、納得していない顔をしている。たかが夢見が悪かったくらいで、体調が悪いのではないかと心配する二人に苦笑する。それとも、彼らにとって女性というものは繊細なものなのだろうか。ルイースは育ちが良いから紳士的なだけかもしれないが、スィオンは鈴音のことを何かと女らしくないと言う割に扱いは丁寧だ。女に慣れていないからこその行動なのかもしれない。
気持ちを持ち直した鈴音は、明るい表情でルイースを見上げた。
「ところでさ、カーザラントまであとどれくらい?」
「…とっくに入っているのだが」
「え」
目が点になる。
「い、いつ?」
「二周間前に、国境を超えたの覚えていないか?」
「二周間前…ああ!あの、高い壁のことね。大きいなぁ、とは思ったけど、あれが国境だったんだ」
気付かなかったよと照れ笑いを浮かべれば、ルーイスが柔らかく目を細めてくれる。愛想笑いかもしれないが、破壊力のある顔に心臓が止まりかける。周囲にいたスィオンの部下たちにも飛び火している。微笑み一つで、ここまでの影響力とは罪深い男だ。
気を取り直して空を見上げる。
「そうかぁ、とっくにカーザラントに入っていたのかぁ」
二週間も天気に恵まれたことに感謝しつつ、なんの感慨もなかったなぁと胸の内で呟く。カーザラントに入れば少しは懐かしさで胸が騒めくだろうと覚悟していた。しかし、見る景色はどれも新鮮で道中は楽しく、今朝、悪夢を見るまでは穏やな気持ちのまま過ぎていった。
(あー、でも、よく考えたらクイレン王国も前世では私の国だったわけだよね)
クイレン国に懐かしさを感じなかった。案外そういうものかもしれないと一人納得する。
(それにしても…)
ちらりと後方に視線を向ける。どうりでファイからの視線が痛いはずである。あの男はカーザラントまでは連れて行ってやると言った。その後はルイースに近付くなとも。あれから声をかけられることはなかったが、ファイの態度を見るにいつ背後から刺されるか分かったもんじゃない。
(こわっ)
鈴音が遠い目をしてしまうのは仕方ないだろう。怖いことは忘れるに限る。
「国境を越えた後に町を通らないけど、国境付近にはないの?」
鈴音は、気になっていたことをルイースに聞く。ルイースといる限りは刺されることはないだろう。ファイの殺意は募っていきそうだが。
「いくつかあるが、罪人を連れているからね。今回は避けている」
なるほどと頷く。先日、未遂で終わったが盗賊一人の逃亡騒ぎがあったばかり。スィオンたちは、それ以来、警戒を強めてはいるが絶対はない。また騒ぎがあれば町の人々を危険に晒すことになる。
(あとルイースのことを隠す目的もありそうだよね)
ここはルイースの国だ。よっぽどの辺境出身でなければ、自国の王様の顔を見知っているかもしれない。ただでさえ、罪人を連れての行動だ。嫌でも人の注目を集めてしまう。フードで顔を隠すとはいえ、何かの拍子で外れたりすれば気付かれる可能性が高くなる。気付かれて困るのはルイースだ。きっとお忍びで来ているに違いないのだから。
「本当は、私がカーザラントを案内したかったんだけどね」
「え、いいよ!王様に案内してもらうなんて…」
慌てて首を横に振る。命の危機を感じる。主にファイからの。
「ファイから報告を受けていたが、本当に私の正体を知っていたのか」
「ん?ーーあ」
自分の迂闊さに口を押さえた。
「えーと、知っていることを隠すつもりはなかったんだけど。私から知ってるよ、て言うのも変かなって」
それにファイから報告がいくだろうことは分かっていた。初対面で気付けるほどの重たい忠誠心を持つ男が、己の君主に隠し事をするとは思えない。報告を受ければルイースから、なんらかのアクションがあるだろうと数日構えていたのだが、彼の態度に変化はなく、かといって彼の地位についてわざわざ話題にするのも友人の立場ですることではないと考えたのだ。
ルイースが目を細めた。
「君は、最初から知っていたのか?」
鈴音には使わない威圧的な声に頬を掻く。
「さすがに最初に会った時は知らなかったよ。別の意味では驚いたけど」
「別の意味?」
「昔の知り合いに、すごく似てたから」
「ああ、そういうことか」
頷くルイースに首を傾げる。
「あの時の君は、旧知の人間に会った時のような表情をしていたからね」
言葉遣いが柔らかいものへと戻る。
(私、そんな顔していたんだ)
突然の出会いに取り繕うこともできずに動揺したのだ。不審に思われても仕方ないとは思ってはいたが、ルイースは的確に鈴音の心境を読み取っていたらしい。
「では、いつ私が王だと知ったんだ」
「あー、それは直感?」
普段のルイースには戻ったが追求する手は緩めるつもりはないようだ。鈴音は気まずい思いをしながら答える。
「スィオンとかの言動からルイースが偉い人なんだろうなって分かった。それから出身がカーザラントって知って、もしかしたらと思ってスィオンに鎌をかけてみたら予想通りだったってわけ。まぁ、あの時は半分くらい冗談のつもりだったんだけど」
スィオンには悪いが、犠牲になってもらう。あとでファイからお叱りを受けるだろうが、国王に仕える人間が小娘相手に油断するべきではないだろう。
「スィオンたちには教育が必要みたいだな」
額を押さえてルイースが言う。先導するスィオンがびくりと肩を震わせたのが見えた。この距離で鈴音たちの会話が聞こえてるはずがないので、彼の野生的直感で不穏な空気を感じ取ったのかもしれない。ご愁傷様である。
「しかし、それだけの少ない情報からよく私について導き出せたね。自分で言うことではないが、私の行動は王として相応しいとは言えない」
ルイースの話によるとスィオンたちに身分を打ち明けた時、なかなか信じてもらえなかったらしい。確かにそうだろうなと思う。鈴音だってルイースの容姿がなければ思いつきもしなかっただろう。
「それは、ほら。ルイースの容姿って他国でも有名な話だから」
嘘を吐くことに罪悪感を覚えながら説明する。まだ説得力に欠けるだろうが、他国で有名なのは真実らしくルイースが困ったように目を伏せる。
「私ってかなり怪しいよね」
ルイースの視線を感じる。
「でも、ルイースと友達になりたいってことに嘘はないからね。それでも、ルイースが信じられないなら仕方がないと思う」
「…」
何を考えているのか読み取れない目をまっすぐと見つめる。
「だから、信頼してもらえるように頑張るよ」
目を見開き言葉を失うルイースに勝気な笑みを見せる。鈴音は友達を作るのは得意な方だ。
「なぜだろうね。君と話していると時々、懐かしき感じるのは」
呟かれた言葉は鈴音には届かなかった。首を傾げているとルイースはなんでもないと首を振る。
「王都は必ず私が案内する。約束だ」
喜びがそのまま顔に出る。
「うん、楽しみにしてるね!」
満面の笑みで頷いた後、強い視線を感じはっとする。
(やばい、本気で殺されるかも…)
怖くて振り向けないが、視線の主は間違いなくファイであろう。しかし、友達を大切にする鈴音はルイースとの約束を違えるつもりはない。
「だが、今日、案内するのはさすがに難しいな。だから、今は王都の景色だけで我慢してほしい」
「え?」
「スズを驚かせようと、到着が今日であることを秘密にしておいたんだ」
緩やかな坂を登り終えたところでルイースが馬を止める。鈴音も続けて馬を止めて目を見開く。
『ーーここが俺たちの国だ』
すぐ側で懐かしい声がする。琥珀色の髪をなびかせて、朝日が登る都を見下ろした『ワタシ』。その傍らには、陽の光を受け黒髪を金色に反射させる友がいた。彼が綺麗に笑う。
『私たちが手にしたもの。さぁ、「行こう、スズ」』
懐かしい記憶と今が重なった。鈴音は、一瞬混乱してしまう。今がいつなのか、誰なのか混同して、くらりと目眩を感じた。だが、それにルイースは気付くことなく進み出す。鈴音も、唇を噛み締めて着いていく。
王都のさらに向こう側にきらりと光るものがあった。
「竜」
鱗を輝かせて力強く天空を飛ぶ姿は勇猛で美しい。周囲にいた男達が湧く。
「竜だ。珍しい、いいものが見れた」
「スズ、来て早々運がいいじゃないか。滅多に見られるもんじゃないぞ」
竜は珍しいようで興奮する男たち。その中で一人、鈴音は静かにその景色を見つめていた。




