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翌日は、生憎の雨であった。
(昨夜は、あんなに綺麗に晴れていたのに。やっぱり山の天気は変わりやすいんだな)
雨避けは一応持たされていたが旅慣れしていないという理由で鈴音は、ルイースとファイと共に馬車の中に入れられていた。昨日のこともあり、気まずい空気が車内に漂う。それに加え、馬車酔いがぶり返しそうであった。ルイースが乗ることを踏まえて用意された馬車なので、以前乗ったものよりは揺れが小さい。しかし、鈴音にとっては、ちょっとマシ程度。雨で地面がぬかるんでいるためゆっくりとした移動ではあるのだが、突然大きな揺れに見舞われることもあった。腰は打つわ、胃が揺すぶられるわでかなり辛い。取り敢えず、外の景色を眺めることで気持ち悪さを紛らわせようとしたのだが効果はなかった。鈴音は、げんなりした気持ちで目を閉じる。こういう時は寝るに限る。寝てしまえば気持ち悪さを感じずに済むし、起きた時には治まっている可能性が高い。外からこの馬車ともう一つ、盗賊団が入れられた牢馬車の音が聞こえてくる。一定の距離を空けているため離れたところから聞こえるが、鈴音が乗っている馬車よりも重い音を響かせていた。その音に集中する。単調な音が子守唄となって鈴音は、いつの間にか船を漕いでいた。
ガタンと音をたてて馬車が止まる。あまり大きい衝撃ではなかったが、目を覚ますのには充分であった。
「え、休憩?」
「にしては、まだ早いね」
「私が確認して参りますので、ルイース様はこちらでお待ちを」
ファイがさっと馬車の扉を空けて外に出る。しばらくして、戻ってきたファイの説明によると牢馬車の車輪が壊れたらしい。
「損傷自体は大したものではないらしく、持ってきているもので修理でするそうです。ただ、修理の際に盗賊たちが乗っていると作業が進まないとおっしゃっています」
「ならば、一旦彼らを下ろすしかないな。ファイ、スィオンを呼んでくれるかい。警備について話したい」
「御意」
「スズ、時間がかかりそうだ。すまないが、このまま待っていてくれ」
「うん、分かった」
大人しくしているという意味を込めて座席に深く座り込み、ルイース達を見送った。その後は、鈴音にとってかなり退屈な時間となる。
(このまま、ここで夜を迎えることになりそうだなー)
気分の悪さは無くなったが、座りっぱなしでそろそろ腰がだるい。何より、お尻が痛い。そう自覚すると立ちたくて堪らなくなる。鈴音は「少しだけ」と外の空気を吸いに出ることにした。扉を開け、足掛けは無視して飛び降りる。湿っぽい空気が体を包む。雨は止んだようだ。濡れた植物の匂いを肺いっぱいに吸い込みながらぐぐっと伸びをして凝り固まった筋肉を解す。腰や足に血液が巡り、すっきりした気分になる。
鈴音は、ルイースたちの様子を見るため後ろを振り返る。盗賊たちは手と足に枷を着けられ逃げ出さないように全員が一本のロープで繋げられていた。その周囲には逃亡者が現れないように見張りを置いて警戒している。今まで見たこともない光景に戸惑いが隠せない。見てはいけないものを見た気がして視線を壊れたという牢馬車の方に向けた。修理を行っているのはスィオンのようだ。彼は屈み込み作業をしており、近くでルイースが見ている。そんな様子をぼんやりと眺めていると突然、騒ぎが起きる。盗賊が逃げ出そうとしたのだ。周囲を囲っていたスィオンの部下たちがすぐさま取り押さえたので、大事には至らなかった。鈴音は、ほっと胸を撫で下ろすがふと視界の隅に人影が横切った気がした。振り返って見たが誰もいない。気の所為だったかな、と首を傾げて騒ぎがあった方を見る。眺めながら、やはり一人足りない気がした。
(スィオンにやられた男がいない…?)
だが、離れているので確かなことは分からない。鈴音は、念のために伝えるべきだろうとスィオンたちの方へ歩き出す。
「ーーぅぁぁぁ!」
はっとして振り返る。人影が見えたと思った方角だ。
(やっぱり逃げてる人がいる!それに、あの声…)
不穏な気配にルイースたちの方に目を向ければ、スィオンと視線が交わる。彼にも声が聞こえたようだ。
「さっき、あっちの方に盗賊の一人が逃げたと思う!」
スィオンが指さした方に顔を向けて表情を険しくさせた。
「っ」
また、声が聞こえてきた。同時に鈴音は走り出していた。条件反射だ。
「あ、おいっ、スズ!!?」
スィオンの声が背後から聞こえた気がしたが、林の奥へと既に入っていた鈴音は振り返ることなく突き進む。運動不足の体に山道は堪える。何度も躓きながら、それでも進んだ。生命に関わるような、そんな嫌な予感を覚えたのだ。
「!?」
視界が開け、足場が突然消える。そこは急斜面になっており、慌てて体勢を整えるが、そのまま滑り落ちてしまう。反射神経には自信があり、上手く受け身を取りながら下まで辿り着くことができた。
「うぅ、痛い」
大きな怪我はないが、木々や枝で体の至る所を打ち付けた。鈴音は涙目になりながら立ち上がり、目の前の光景に目を見開く。広い空間。少し前には逃げた盗賊が座り込んでいる。やはり、あの男だったが今はそれどころではない。
ーーグルルル
低い唸り声に思わず後ずさり小枝を踏んでしまう。ぴくりとそれが耳を揺らす。爛々とした光を宿す目に恐怖を覚えた。
(…森の番犬)
前世の記憶にある魔獣は、黒の強い灰色をした大型種の狼だ。頭が良く、集団で行動する。大型種だと言われているが、実際の大きさは判明していなかった。この狼は個体それぞれ大きさが異なるからだ。盗賊を挟んで威嚇する魔獣は、大型犬より一回り大きいくらい。魔獣の中では小型種に分類される大きさだったはずである。それでも鈴音からすれば十分に大きいのだが、前世で対峙した時は成人男性の身長を優に超す大きさの個体だった。そこである話を思い出し血の気が引く。森の番犬は、成獣になると自在に大きさを変えられるという噂だ。もしそれが事実なら目の前の魔獣も大きくなれるということだ。恐ろしい想像に手が震えた。
(…やけに気が立っているな)
この魔獣は賢い。攻撃をしない限りは牽制するだけで、ここまで毛を逆だたせて威嚇しなかったはずだ。人にとっては、あまり危険な存在ではないのだ。だが、目の前の狼は殺気立っている。自分たちが今、かなり危険な状況であることを感じた。
ーーキュン
小さな柔らかな声にはっと視線を転じる。
(ああ!そういうことか…)
離れたところにもう一匹の魔獣が、やはり警戒を表しながら寝そべっている。その腹の下にはコロコロとした小さな毛皮の塊。子供だろう。とても、愛らしのだが鈴音は顔を引き攣らせた。彼らは確かに人を率先して襲うことはしない。だが、例外がある。それは繁殖期の時だ。この魔獣たちは夫婦で子育てをする愛情深い生き物でもある。だから、子が生まれると外敵から守るため警戒心が強くなり、仲間以外の生き物が近付くと容赦なく攻撃してくる。しかも、ここは彼らの巣なのだろう。
(…終わった)
鈴音が遠い目をしたのも仕方ない。それくらい現状は最悪であった。鈴音が子供の存在に気付いたことで目の前の魔獣がさらに殺気立つ。ジャリっと地面に爪をくい込ませた。鈴音は体を強ばらせた一瞬後、盗賊の男を張り倒し地面に伏せた。すぐ近くで風を切る音がしてゾッとした。慌てて体勢を戻して魔獣の方を振り返るが、すでに次の攻撃が向かってきていた。
(っ!)
さすがに避けきれない。目を見開いたまま魔獣の鋭い牙を見つめることしかできなかった。
「ギャンッ」
鋭い牙が鈴音を切り裂く手前で、魔獣が横に吹っ飛ばされる。
「おいっ、無事か!?」
「…シズ」
「俺はスィオンだ。お前、この状況でも俺を揶揄うのか…。いや、それはいい。怪我はないか?」
通常運転のスィオンに鈴音は、ほっと肩の力を抜く。
「うん。この男も大丈夫だと思う、体は」
「おう、無事そうだな、体は」
恐怖のあまり地面に這いつくばって動けない男に二人は視線を向けて頷き合う。
「ねぇ、コレが本当に盗賊の頭なわけ?すっごい肝っ玉の小さい男なんだけど」
「お前が動じなさすぎるんだよ。魔獣に出会った一般人の反応はこんなもんだ」
「いや、普通にこの状況怖いからね?それと、こいつ盗賊だから一般人ではないと思う」
危機感のない応酬を繰り広げていれば、ズザザッと傾斜を滑り降りてくる音が近付いてきた。
「二人共、無事かっ」
「え、ルイ?」
「ルイース様…!?」
「無事なようだね」
急斜面から現れたルイースが安堵して息を吐く。
「なんで来たの!?」
「うん?」
「ルイは、ここに来ちゃ駄目でしょ!」
焦りから声を荒げてしまった。ルイースが眉を寄せ、鋭い目で見下ろしてくる。
「なんで君がそれを言うのかな」
冷ややかな声にたじろぐ。美人は怒っても綺麗だが怖い。しかし、鈴音の憤りは衰えなかった。
(この人、自分の立場分かっているの!?)
国王のくせに率先して危険に飛び込んでどうする。なんとなくファイやスィオンの苦労が分かった気がした。ルイースに戻るよう口にしようとした時、次に現れたサニーによって遮られてしまう。
「ちょっと、みなさん、勝手な行動は控えてくださいよ!僕がファイさんに睨まれるんですよ!?」
涙目のサニーに勢いが削がれてしまった。
「と、とにかくルイは早くここから離れて」
「ーー遅いようだ」
ルイースを安全な場所へ促そうとしたが、スィオンの声に止められた。振り返ると先ほどの魔獣が立ち上がり牙を剥いていた。
(き、気のせいかな…さっきよりも体が大きくなってない?)
ただでさえ大きいと感じた狼がさらに一回り以上大きくなっている気がして鈴音は息を呑んだ。
「ちっ、これはもう殺すしかねぇな」
スィオンの言葉に逃げ腰だった鈴音は、「駄目っ」と声を上げていた。
「ーーこの子が、こんなに殺気立っているのは子供を守るためだよ。殺してしまったら、子が親を無くしてしまう」
「死ぬかもって時に魔獣の子を気にしてどうするんだ。このままでは俺達の方が危ないんだぞ。下手すりゃ死人が出るぞ。そん時は、この男かお前だろうがな」
正論にぐっと言葉を詰まらせた。戦う術を持たず、守ってもらわなければならない鈴音に文句を言う資格はないのだ。
「まさか、ルイース様までスズと同じことをおっしゃいませんよね」
「私が、そんな甘いことを言うと思うか?」
ルイースが淡々とした声で答え、スィオンがニヤリと笑う。
「嫌な命令になるが仕方ない。スィオン、やれ」
「御意」
スィオンが臨戦態勢に入る。魔獣も警戒し、身を低くさせた。サニーはその間に盗賊の男を無理やり立たせる。
「スズ、私が合図したら逃げるんだ、いいね?」
宥めるような声に唇を噛み締めた時、腰の重さに気付く。そこには、胡椒粉爆弾を改良したものが入っている。ジャスやカールに簡単な生活魔法陣を教えてもらい作ったものだ。二人には危険なので爆弾の改良のことは隠している。
(…ああ、そうだ。これがあった)
胡椒粉爆弾の材料は、スィオンを言いくるめ集めたので六個しか作れなかった。そのうち一つは試しで使ったので手元にあるのは五個だ。あとはどうやって二人を納得させるかだ。鈴音は大きく息を吸い腹に力を込める。
「ーーさすが、カーザラント王国の騎士様とその君主。頼もしい限りだ」
イメージするのは世界を征服した男。あの人を真似て、ふてぶてしい言葉を口にするが内心では羞恥心に悶えていた。
「スズ?」
ルイースが不思議そうな顔をする。スィオンも振り向きはしないが、戸惑った様子である。
「でも、そんな気色ばまなくても良い方法があるよ」
「…良い方法だと?」
スィオンが声を低めて聞いてくる。鈴音の計算通り二人が耳を傾けてくれた。躊躇いながら提案しても二人は、特にルイースは話を聞いてくれないだろう。だから、一芝居打つのだ。
「こんな状況だというのに、嘘を言っているんじゃないだろうな?」
「ふん、私だって命は惜しい。ーーだから、嘘なんて言わない」
「スズ」
「ルイ、私を信じて」
声に力を込めて言った。出会ったばかりの女に言われても、簡単には信頼を置けるわけがない。だからこそ鈴音は堂々と言い放つ。こういう時のやり方は、前世の自分が知っている。それを真似すればいいだけだ。そして、その方法は成功していた。ここにいる者は鈴音の様子に呑まれていた。
「…いいだろう」
「ルイース様、よろしいのですか?」
「友が信じろというのだ。信じてみようか」
綺麗に微笑するルイース。実際、彼は鈴音を信じたわけではないのだろう。きっと鈴音が失敗しても切り抜けられる力があるに違いない。そうであった方がありがたい。これで思う存分に好き勝手できるわけだ。鈴音はニヤリと笑うと鞄の中に潜ませていた物を握りしめた。




