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2-3

 レオネが無事で、ラーヴ・ソルガーは始末できた。

 それだけでもありがたいと思わなければならないのだろう。

 リシュワとレオネは抱き合って、ただ見送るしかなかった。

 ノゼマは門のところで白銀の片手をあげた。

「では、これから未来を作りたまえ」

 リシュワはなんというべきか迷ったが、ただ礼を述べておくだけにした。

「ありがとう、ノゼマどの。この恩は忘れない」

 返事はなかった。三人が泥道を歩いて去っていった。


 もう朝日は輝かしく、暖かい光を降り注いでいた。

 風がそよと吹く。夏の気配を含んでいた。


 これで自由になった。

 開放された精神が、世界を新たなものとして捉えなおすかのように、新鮮な色彩が溢れた。

 この屋敷は知らずうちにかなり荒れていた。

 歩道の石畳はすきまから雑草が伸びて、緑が浸食している。

 中庭は丈の高い草に覆われ、

 枯れかけた茶色の葉と、それらの作りだす陰が、荒涼とした雰囲気を醸しだしていた。

 羽虫が多かった。

 ラーヴ・ソルガーが術に必要なかった生き物の部位を捨てていた大穴があった。虫はそこから湧いてくる。

 あたりの空気を悪臭で満たしていた。

 往時は白漆喰で美しく飾られていたであろう壁の多くはひび割れ、下のレンガがむき出しになっている。

 その可能性は低いが、ここに住み続けるのなら、多くの手入れが必要だろう。


 いっぽう、外に目を転じれば、ブナ、コナラ、楡の木が濃淡鮮やかに緑の葉を茂らせ、風に揺れていた。

 葉のさざめきがこれほど優しく聞こえるものだったのかと、改めて気づく。

 キジが甲高く鳴いていた。

 サギの声も聞こえる。

 名の判別できない小鳥たちのさえずりも賑やかだった。


 世界はいまや穏やかに、リシュワたちの門出を待っているかのようだった。

 隣でレオネの腹が鳴った。

「おなか減っちゃったよ。いろいろありすぎて」

 リシュワは笑った。

「お互い大食いになってしまったものな。食べ物は残っているのか?」

「ここを襲った人たち、食べ物には手をつけなかった。きっともっといいものを食べてるんだろうね。武器はぜんぶ持ってかれたみたい」

「食事にしよう」 


 ラーヴ・ソルガーの死体を放ったまま、ふたりは屋敷に入っていった。

 レオネが食事の準備をし、リシュワは自分のベッドを検めた。

 寝台の下に予備の剣を隠しておいたのだ。剣はあった。

 やはり剣があると安心感がちがう。これでひとここちついた。


 かび臭く、部屋の隅には蜘蛛の巣がかかっている暗い食堂で、ふたりは食事をとった。

 チーズと麦粥を口に入れ、飢えが緩和してくると、今後のことについて話しあう。

 レオネは聞いてきた。

「これからどうするの? どこかへ行くの?」

「ダクツのところへ行こう。ここでふたりして籠もっていても、じきに丸薬も尽きる。向こうには産獣師がいるはずだ」

「でも敵でしょ?」

「ラーヴ・ソルガーがいたから敵だっただけだ。いまはもうラーヴ・ソルガーはいない。あとのことを考えて余計な殺しはしていない。やつの首を持っていけば申し開きがとおるかもしれない」

「仲間にしてもらえなかったら?」

「そのときは旅に出るしかないな。新しい産獣師を求めて。そんなに遠くは行かなくて済むはずだ。コドンが居住地を遠くへ広げられるはずはないからな」

「目立つもんね。向こうのコドン、怖くない?」

「よくわからない。ラーヴ・ソルガーとダクツたちがどういう理由で敵対していたのかも、はっきりしないからな。なんらかの派閥の違いが原因らしいけど。わたしたちはいまの世界を知らなすぎる」


 食事が終わると、ふたりは産獣術で作られた丸薬を飲んだ。

 黒い豆粒のようなそれは、リシュワたち新鬼人の体調を整えるために必要なものだった。

 リシュワはラーヴ・ソルガーへの反感から、この丸薬を一週間飲まなかったことがある。

 その結果、一日中頭痛と腹痛、吐き気がおさまらない状態になり、しだいに毛穴から血がにじむようになった。

 そのときは恐怖にかられて急いで丸薬を飲んだ。

 新鬼人には、施術した産獣師の丸薬が必要なのだった。


 丸薬は三日に一粒飲むことになっているが、あと一ヶ月分は残っていた。

 新しい産獣師を見つけられるかは、コドンの人口密度にもよるが、それほど慌てなくてもいいように思えた。


 リシュワたちは旅立ちの準備をした。背嚢に詰めるのは食料のみ。

 だがレオネはお気に入りの小さな人形を、背嚢の外へ吊るした。


 あとは手土産だ。

 リシュワは剣を振るって、ラーヴ・ソルガーの首を切り落とした。

 それを麻袋に入れる。切り口から血がにじんで、麻袋の底を黒く染めた。

 不気味な献上品だが、持っていかないわけにはいかない。

 身体のほうは無造作に、ゴミ穴へ捨てた。

 産獣術に使われて残った生き物たちの部位とともに、

 ラーヴ・ソルガーの身体は穴のそこでゆっくり腐っていくことだろう。


 ダクツたちの仲間に入れてもらえなくとも、首は置いてくるつもりだった。

 そうすれば少なくとも、ダクツたちから襲われる理由はなくなる。


 リシュワは背嚢を背負い、産獣師の首を肩に担いで、屋敷の門を出た。

 うしろにはレオネが続く。やはり食料の詰まった背嚢を背負い、肩には弓をかけていた。 

 ふたりは半年間を過ごした屋敷を振り返った。

 屋敷は住人を失って暗く、そのまま緑の森に消化されていきそうな趣があった。


 レオネが言った。

「もうここに戻ってこなくていいんだね」

 リシュワは歩きはじめた。

「いい思い出があるわけでもないしな」

 


 屋敷を出たときはまだ朝のうちだった。ふたりはのどかな森のなかを、自然を堪能しながら歩いた。

 楡の木の梢にはリスが走り、ヒースの茂みにはウズラが巣を作っていた。

 森の濃い陰のなかにも、新鬼人を脅かすものはない。


 半日ほど歩いて、ふたりはダクツのいる砦へ着いた。

 ブナの木立を抜けてしまえば、あとは岩場になる。

 その先に砦の門が立っていた。陽は沈みかけ、門には松明が燃え盛って明かりを灯していた。


 リシュワとレオネは森を抜け、岩場の道を登っていった。向こうからはすぐ発見されるだろう。

 リシュワたちはまっすぐ進む。

 門衛は槍を手にとって、待ち構えていた。

「旅人たちよ、ここは宿ではない。来た道を引き返してゆけ。そこらで寝るのは勝手だが、少なくともなかには入れん」

 松明の明かりが届く距離にくると、リシュワはフードをあげて顔を晒した。

「わたしだ」

「お、おまえは!?」

 門衛は慌てて笛を取りだし、ピーピー吹きはじめた。

 リシュワたちは泰然として近づいていった。

「このまえはすまなかったな。だが、傷つけなかったことを思い出してもらいたい。わたしにも選択肢がなかったのだから」

「うるせぇ、鬼女! そこで止まれ!」

「いいだろう、待つさ。ダクツを呼んでくれ。そっちは好きなように態勢を整えるといい」


 足音が聞こえ、武器の鳴るガチャガチャいう音と、呼び合う声が響いた。

 門から人間の一隊が出てくる。新鬼人もコドンもいない。

 リシュワは剣も抜かない。レオネは柄に手をやって警戒していた。

 しかし、戦いを始めるような雰囲気は出さなかった。


 兵のひとりが門衛に聞いた。

「この女がなんだってんだ?」

「産獣師を連れて逃げた新鬼人だよ、こいつは」

 兵がリシュワに鋭い視線を飛ばす。

「仕返しにきたのか、たったふたりで」

 リシュワは手のひらを上に向けた。

「敵意はない。戦うつもりはない。投降だ。ダクツを呼んでくれ。彼なら事情がわかる」

「いま来たぜ。通してくれ」

 人垣を抜けてダクツが姿を現した。 

 逆だった髪、両性具有の浮き彫りがされた鎧、冷え固まった溶岩のような右腕。昨晩と変わりない。

「リシュワ、逃げてきたのか。ラーヴ・ソルガーはいまどこだ?」

「ラーヴ・ソルガーはここだ」

 麻袋を開けて、中身を転がし落とす。

 そこには表情のない禿げた生首が、松明を見あげていた。


 ダクツは生身である左手であごを撫でた。

「殺しちまったか。殺せないんじゃなかったのか」

「事情が変わった。考える暇もないチャンスが与えられた。そのへんの事情も話せればと思う」

「まあいいさ。そっちのは?」

「妹のレオネだ。こっちも新鬼人だ。力になれるだろう」

 ダクツを両腕をあげた。

「ようし! 兵たち、持ち場に戻れ! こいつらは客だ。俺が案内する。首はゲデ・スオーンの工房へ運んどいてくれ」

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