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2-2

 空が灰色になるころ、工房の付近まで帰りついた。

 泥道が続いている。あとはここを進めばいいだけだった。

 走るのをやめて、歩きに変える。リシュワは額の汗を拭った。

 後ろではラーヴ・ソルガーがぜいぜいと息を切らして屈んでいた。


「ここで待っていろ、ラーヴ・ソルガー。敵が潜んでいないか確かめてくる」

 リシュワは産獣師を置いて、忍び足で進んでいった。

 コドン式の鎧は肌に密着していて、関節部分の守りはないので、大きな音はしなかった。


 門まで行って、なかの様子を窺う。 

 薄明のなかで、屋敷は静まり返っていた。

 ひとけはないように見える。

 しかし早朝のことだからして、寝静まっていても不思議じゃない。もっとよく確かめないといけないだろう。


 リシュワは身を屈めて中庭に入っていった。居間へ続く扉をそっと開ける。

 人が寝ていた。

 布をかけてまっすぐ寝ているのがひとり、灰色のローブにくるまってうずくまっているのがひとり。

 そしてもうひとりぶんの寝ていた気配。抜け殻のような布だけが残っている。


 気づいたときには完全に背後をとられていた。

 生身の右腕がひねりあげられ、激痛が走る。

 寄生腕の左手で突き刺してやろうとする前に、リシュワの喉元が薄く切りつけられた。金色の鋭い爪だった。

 背後で女の声がした。 

「あなたの身体、ガヤガヤうるさいわ。すぐ気づく」

「新鬼人か。ダクツの配下か」

「誰それ?」


 居間のなかで男のあくびがした。寝ていた人影がもぞもぞと起きあがる。

「お客か。あいかわらずウェルネッタは鋭いなぁ。もう捕まえてるんだからな。俺なんかやっと起きたところなのに」

 その男の異様な姿に目を瞠る。

 シルエットこそ人間の男らしいが、その表面はたえず揺れ動いていて細部がわからない。

 ずっと溶け流れているように見えた。顔はいっさいのパーツがない。


 男は片手をあげ、口もないのに声をだした。

「こっちが裸だからってそんなに熱くみつめるなよ。すぐ慣れる。俺はフィスマ。神柱マスターピラーノゼマの新鬼人だ」


 どう動いたのか察知できなかったが、ローブの人物も、すぐ隣に来ていた。ローブの人物はフードを脱ぐ。

「わたしはノゼマ。もとは人間の魔導師だったもの」

 頭髪のない六十くらいの男だった。

 目が白濁していて盲目かもしれない。ノゼマは続けた。

「きみはリシュワくんかな。レオネくんから聞いている。われわれはきみに危害を加えない。まずわたしの正体をあきらかにしておこう」

 ノゼマはローブを脱いだ。リシュワはまたも異様な姿を目にして息をのむ。

 ノゼマの四肢は白銀で不可思議な文様が流れるように浮いていた。

 胴体はなく、体の中心に太陽のような輝きがある。

 輝きから炎の帯が伸びて四肢と首につながっていた。

 人間とはかけ離れていて、それどころか生物でさえありえないような姿だった。

 神々しい。

 リシュワの脳裏をその言葉がかすめた。


 ノゼマは言った。

「わたしは魔導師として、自らの身体に産獣術を施した。このような状態のものを神柱というのだそうだ。古の淵源が教えてくれた」

「レオネはどこにいる? 無事か?」

「だいじょうぶだ。呼んであげよう」

 ノゼマは不可思議なほどよく通る声でレオネを呼んだ。

「レオネくん、こちらへきたまえ。姉上がご到着だ」

 リシュワの背後で腕が開放された。

 ウェルネッタと呼ばれた女が言った。

「抵抗しないで。殺しにきたんじゃないの。どちらかといえば、わたしたちは味方」

 リシュワはウェルネッタへ振り返った。

 肌の白い整った顔立ちの女だったが、輪郭が金色の外骨格で覆われている。

 新鬼人だとすると、珍しく美しい姿だった。


 足音が聞こえて、レオネが飛びついてきた。

「姉さん!」

 リシュワもレオネを抱きしめた。

「レオネ、無事か。彼らとはどういう関係だ?」

 レオネは顔をあげた。

「逃げてるときに山のなかで出会ったの、唐突に。ウェルネッタに簡単に捕まっちゃって。話したら味方になってくれるみたいで、ここに連れてきた。ラーヴ・ソルガーのことも、レジレスのことも、あたしたちの置かれた状況をぜんぶ話した」

 フィスマが言った。

「それじゃあおまえたちの産獣師にもご登場願うか。なかよしお仲間スタイルを見せつけてな。さあ、並んで立ってスマイルだ」


 レオネが無事なら、まずはいい。リシュワはフィスマに従った。五人全員が、屋敷の戸口に並んで立つ。


 リシュワは自分の産獣師を呼んだ。

「ラーヴ・ソルガー、危険はない。彼らは味方だ。出てこい」

 門の陰から、ラーヴ・ソルガーがのっそりと姿を現した。漆黒の身体で影のようにゆっくり近づいてくる。

「われの屋敷でなにをしておる。揃いも揃って珍奇な身なりで」

 ノゼマに目を向けて、惑うように続ける。

「その姿……、まさか……、地上の魔術と産獣術を融合させたか……、もしや神柱なのか……?」

 ノゼマは答えた。

「さよう。わたしは神柱ノゼマ。そなたのいうとおりの者だ」

「おおお! そんな!」

 ラーヴ・ソルガーは走ってきて、ノゼマの前へ跪いた。リシュワたちなど目に入っていない様子だった。

「おおお、それこそわれの求めていた道! ぜひ! ぜひにわれにもその道を手解いていただきたい! そなたを師とあおぎ、われに与えられるものすべてを与えよう!」


 リシュワはラーヴ・ソルガーがこんなに謙っているのを初めて見た。内心、驚愕する。

 ラーヴ・ソルガーはノゼマを崇めるばかりに、祈るような姿勢となっていた。

「これぞ、これぞ天佑……、われの求め探していた道がこのうような形で見つかるとは。師よ、どうかわれを導いてくだされ」

 ノゼマは不動、無表情で、誰にも目を向けずに言った。

「いまはまだ神柱を増やすべきときではない。自らたどりついてしまった者のみの道であろう。わたしがここに参った目的はほかにある」

「なんだと、しかし、われは……」

 ラーヴ・ソルガーの訴えを無視して、ノゼマは続けた。 

「わたしは不当に抑圧されている新鬼人を開放して回っている。今回もその例になるだろう。しかし物事はいつも運しだい。適切な者が、的確にこのメッセージを理解できるかどうか、わたしにはわからない。わたしはただ好機を与えよう。自由への可能性を。ただし、その時間は刹那。いまより。三、二……」


 リシュワの脳裏を電撃的な理解が疾走った。

 ノゼマはラーヴ・ソルガーを殺せと言っているのだった。事情を知ったうえで。

 レジレスの軛をきっと無いものにしてくれる。

 しかし、その時間はわずか。

 リシュワの理解が誤解だったとしたら、

 ラーヴ・ソルガーを殺した瞬間、レジレスの作用によってリシュワとレオネも死ぬ。

 だが迷っている時間などなかった。リシュワはチャンスに賭けた。動く。

「一」

 ノゼマが言うよりも早く、リシュワは左腕の鉤爪で、ラーヴ・ソルガーの喉を引き裂いていた。

「ぐはぁ……!」

 ラーヴ・ソルガーは赤い血を吹きだして倒れた。その背中を、心臓めがけて鉤爪を突き刺す。


 びくりと痙攣して、ラーヴ・ソルガーは絶命した。

 みなが動きを止めていた。ノゼマもウェルネッタも、フィスマもレオネも動かない。

 どこかで鳥が甲高い、長く引く鳴き声をあげた。

 鳴き声が消えたあとも、リシュワとレオネは死んでなかった。


 レジレスの道連れは妨げられていた。


 緊張が解ける。

「はぁ……っ!」

 リシュワは喘いで膝をついた。

 鼓動が早鐘を打ち、身体に力が入らない。細かく震えていた。


「姉さん!」

 レオネが抱きついてくる。抱擁を返しながらリシュワはノゼマに目を向けた。

「これで、よかったのだろう、ノゼマどの。あなたがくれた好機、逃さずつかんだ」

 ノゼマは無言でただ、大きく頷いただけだった。居間のなかへ戻っていき、脱いだ着衣を拾う。

 ノゼマは灰色のローブを着こんで、体の中心の光を隠す。そうするとただの老人に見えた。


 リシュワはまだ震える声で尋ねた。

「わたしたちも連れていってくれるのか?」

 ノゼマは首を横に振った。

「きみたちはきみたち自身の面倒を見なければならないだろう。それが自由だ。自由といっても新鬼人は産獣師の丸薬を服用せねばならず、産獣術のケアも必要になる。だが、きみたちはこれから仕える者を選ぶことができる。どのような信条にしたがって、どのような道をたどるのか、それはわたしの関知するところではない。運が巡れば、ふたたび会うこともあるかもしれないが、そのときまではわかるまい」

 顔も口もないフィスマが笑った。

「俺としちゃあ女の連れが多くなるのは歓迎なんだが、師がこう言うんじゃしかなたない。短いあいだだったが、おさらばだ、レオネ、リシュワ。追ってくるなよ。お互いのためだ」

 フィスマはローブを着こんで背嚢を背負った。


 リシュワはこの三人ともう少し話しをしたかった。

 世界情勢について多くを教えてもらう必要がある。ラーヴ・ソルガーの遺体を傍らに、リシュワは言った。

「食事もしていかないのか」

 ノゼマはフードを目深にかぶって顔を隠した。

「わたしは食事することもできるが、もう必要はない」

 フィスマは言った。

「俺は食事ができない。もはやほとんど魔法生物だからな」

 最後にウェルネッタが言った。

「わたしは古いタイプの新鬼人だから食事はいる。でもふたりに合わせて歩きながら食べる。わたしの荷物はほとんど自分の食料だけ」

 とりつく島もない。

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