弑する夜明け
息を整えているとラーヴ・ソルガーが鉄格子を揺すった。
「さあ早くわれも出せ! なにをグズグズしている!」
リシュワは周囲を見回した。
新鬼人に改造されてから夜目が効くようになっている。
牢屋は六房あった。急ごしらえではない。古いものだった。
ここはどこか?
「少し待っていろ、ラーヴ・ソルガー。見張りがいたら倒さねばならない」
リシュワはゆっくりと牢獄の扉へ近づき、耳を当ててみた。
静かだった。話し声は聞こえない。
分厚い木の扉だった。ゆっくり押してみると鍵はかかってない。明かりは灯っていた。
扉の隙間から外を覗く。
脇に粗末なテーブルと椅子、壁にはたいまつ。
椅子には軽装の男が座り、壁にもたれて眠っていた。酒瓶がテーブルに置かれていて、中身はほとんどない。
素早く行動したほうがよさそうだった。
リシュワは扉を出た。足元は砂利で思わぬ大きな音を立てた。
男が目を覚ます。事態が飲み込めない様子でリシュワを見た。
「おめぇは……?」
リシュワは平然とした様子で近づいていった。
「ちょっと聞きたいことがあるんだが」
男はここで状況を悟ったらしかった。目を見開いて笛に手を伸ばす。
しかしもう手の届く距離だった。リシュワは男の腹に拳を打ち込む。
「ぐふっ!」
男が身を屈めたところへ、首に腕を回し吊りあげるように締めあげた。
共和国の兵役中に、よく訓練した技だった。
男の動脈を締めあげると、瞬時に気絶する。
リシュワは男のシャツを脱がせて腕を縛り、猿轡を噛ませた。
殺さずに済んだ。
リシュワはほっと一息ついた。
できればここへ戻ってきたかった。
レオネの命がかかっていなければ、脱出などしたくない。
どうにかラーヴ・ソルガーと決別できれば、ダクツたちに加わりたかった。
余計な殺生は避けるべきだった。
空気が頬を撫でたので、そちらを向く。
扉のない出入り口があり、その先は夜の屋外だった。
幸運なことに、この牢獄は建物の内部に作られたものではなかった。すぐ外へ通じている。
テーブルの上に鍵束があった。牢屋の鍵だろう。
リシュワはそれを持って中へ戻り、鍵を開けてラーヴ・ソルガーを連れだした。
明かりのもとで見ると、ラーヴ・ソルガーの顔はひどく腫れていて、乾いた血がこびりついていた。
リシュワは内心で笑った。
こんなやつ、顔面が潰れるほど殴ってやればいいのだ。
死ぬほどやると、リシュワとレオネも道連れになってしまうが。
ラーヴ・ソルガーはテーブルの上にあった酒瓶を手にとり、一気に飲み干した。
「まったくクソどもめ。やりたいほうだいしおって。王がいればこんな混ぜクソ軍団などひねり潰して……」
リシュワはその愚痴を遮った。
「外へ出るぞ、ラーヴ・ソルガー。身を低くしろ」
リシュワは屈んだ姿勢で出入り口から外を窺った。
途端に郷愁が胸を射抜く。
左手、敷地内中央の建物には、共和国の紋章が浮き彫りになっていた。
ここは滅んだ共和国で使われていた、砦のひとつだったのだ。
リシュワ自身がこの砦に勤めたことはなかったが、これでおおよその位置がつかめた。
そんなに遠くへ来たはずはないと思っていた。
ラーヴ・ソルガーの工房までは歩いていける。夜明け前には着くだろう。
工房の場所はすでに知られていて危険だが、レオネが戻っているかもしれなかった。少し寄る必要があった。
リシュワは首を巡らせた。
主棟には衛兵がいない。
まっすぐ前には厩があり、番がひとりいた。
砦は丸太を組んだ高い塀で囲われていて、出入り口になる門は扉がない。門衛がひとり。
全体的に緊張感を欠く配置だった。敵となる相手は近くにいないのだろう。
そもそもここがグループの本拠というわけではなさそうだった。出張所のようなものかもしれない。
馬を奪うか、しばし迷う。
しかし馬は通れる場所が限られる。
隠れながら逃げるのだから徒歩のほうがいいかもしれない。
それに軍馬となれば一財産なのだから、管理も厳しいかもしれない。
リシュワは徒歩を選択した。
なにか役に立つものはないかと、牢獄のなかを見回す。厚手のフード付きマントがあった。
それに金属製の手枷があった。
「これを使うぞ。ダメ元だ」
リシュワはマントを被って顔を隠した。ついで、ラーヴ・ソルガーに手枷をつけようとする。
「愚図め、われがそんなものつけるか!」
「つけておけ、鍵は締めない。取るときは一瞬だ。おまえは身を隠しようがないんだからな」
「クソめ!」
ラーヴ・ソルガーに手枷をつけさせると、先に立って牢獄を出た。
「ついてこい、囚人移送を装う」
「やつらは油断しておる、殺してやればよいではないか」
「殺せばそれだけ執念深く追われる。わたしに任せておけ」
リシュワたちはまっすぐ門へ向かった。遮るものはない。門の衛兵が遠くから騒がなければいいが。
リシュワが近づくと、門の衛兵がこちらを向いた。片手をあげて挨拶してくる。
新鬼人の寄生四肢をまだ見せたくなかったので、リシュワは大きく頷いて済ませた。そのまま近づいていく。
門に達した。門番は槍を斜に掲げた。
「そいつ囚人だろ、今日捕らえた産獣師の」
リシュワはしかたなく声を出した。
「至急に移送することになった。ダクツの命令だ」
門番は驚いた顔をした。
「おまえ女か! 女ひとりでコドンを移送だと……」
門番が近づいてリシュワの顔を覗きこもうとしてくる。リシュワは門番の肩に腕を回すことができた。
「ちょっと話しがあるんだが……」
「女の新鬼人!? おまえ……」
じゅうぶん接近した。リシュワは素早く動いて、腕で門番の動脈を締める。
「ぐふっ!」
門番は抵抗する余裕もなく気を失った。
リシュワはゆっくりと門番の身体をおろした。
兜を目深にかぶせ、門に寄りかかって眠りこけているふうを装わせる。
なかの建物からは直接見えない角度に、寝かせた。
リシュワたちは門を抜ける。まだ誰にも気づかれていない。
「手枷を外せ、ラーヴ・ソルガー。走るぞ」
「どこへ向かう?」
「まずはおまえの工房へ行く。そのあとアテはないのか」
「むろんあるに決まっておろう。われは友と合流する」
「工房まで行かないと方角がわからないだろう」
「残念ながらそうだな。キサマに従うしかあるまい」
「走れ、こっちだ」
リシュワは走りだした。ラーヴ・ソルガーがついてこられる速度に注意する。
そしてふたりは門の明かりを離れて闇に紛れこんでいった。
藪をかきわけて、七分ていどの力で走る。ラーヴ・ソルガーは遅れずについてきた。
戦士ではない術師だが、コドンだけあって体力には優れていた。
リシュワのような施術された新鬼人も、コドンたちも夜目は利く。
星あかりがあれば、山道のでこぼこも苦ではなかった。
産獣師の息遣いがついてきているのに気をつけながら、リシュワは聞いた。
「ラーヴ・ソルガー、おまえはなんで仲間であるコドンたちに襲われるんだ。おまえはいったいなにをしようとしている?」
荒い息をつきながらコドンは答えた。
「仲間ではないわ。地上人と手を組んだ、薄汚い廃人どもよ。われの仲間ではない」
「仲間じゃないコドンに追われる理由はなんだ」
「愚図の知ったことではない。おまえはわれの命令に従っておればいいのだ。われは食事と産獣術をきさまに与える。きさまはわれを守って戦う。それだけのことをしておればよい」
リシュワは口を閉じた。
もともと期待して始めた会話ではなかった。
答えが得られなくても、そんなものだろうと諦める。
リシュワは暗い山道を走り続けた。