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 目を覚ました。

 黴の臭いと生物的な汚れの臭いが鼻孔を突き刺してくる。

 身を起こして、周囲を確認した。

 湿っぽい石造りの牢屋のなかだった。

 鉄格子がはまっている。

 リシュワは藁の上に寝ていた。


 高い位置に窓があるので明かりに不足はない。排便用の桶と、パンの載った器、それに水が置いてあった。

 装備は取られていなかった。

 寄生肢も揃っているし、鎧も着たまま。剣がないだけだった。


 ひどく殴られた顔面を右手で撫でてみる。 

 腫れはほとんどなかった。

 乾いた血がぽろぽろと数片落ちる。

 新鬼人の代謝能力で傷を治すのに、エネルギーを多く使ったことだろう。強烈な空腹感があった。

 リシュワは迷うことなく、パンをちぎって口へ入れた。 

 量はたっぷりある。腹いっぱいにできるだろう。

 

 敵の正体はわからないが、新鬼人に対して同情的なところがある。戦いの最中からわかっていた。

 このパンも、新鬼人の代謝を考慮して置いてくれたものかもしれない。

 パンを食べ切り、水をごくごくと飲む。満腹になった。頭の靄が急速に腫れていく。

 自分の状況は、それほど絶望的なものではない。


 リシュワは遠隔通話を試みた。

(レオネ、どこにいる? わたしは無事だ。レオネ)

 しばらく待ったが、返答はなかった。

 距離が離れすぎているのだろう。

 たぶんラーヴ・ソルガーとは連絡をとれるだろうが、そっちとは話したくなかった。

 

 寄生肢が揃っていれば、この先なんとかなるだろう。あの麻酔アナスにさえ気をつければいい。

 リシュワは身体を伸ばして足を組んだ。気持ちを落ちつけて、事態の推移を待ち受ける。

 

 暇はそれほど長く続かなかった。

 左手で扉の開く音がした。具足を着けたものの足音が続く。

 鉄格子の向こうに男が姿を現した。

 髪を逆立てた男、黒い溶岩のような腕を持つ新鬼人、ダクツだった。


 ダクツは両性具有を浮き彫りにしてある胸甲をそらし、リシュワを見下ろしてきた。

「落ちついてるな、リシュワ。クソ度胸がある」

 リシュワは寝そべったまま答えた。

「おまえたちは新鬼人に甘いようだからな。パンはうまかったよ」

「そりゃよかったな。ところでおまえの産獣師、なんて名前だ?」

「ラーヴ・ソルガー」

「素直に言うな。悪くないぜ。あいつ、クズだろ」

「無能ではないが、ゴミだな」

「そんなゴミによく仕えていられるな」

「おまえたちの言葉でいう新鬼人は産獣師の助けがないと生きられない。わたしたちは孤立していたしな」

「忠誠心があるわけでもないってところか。ラーヴ・ソルガーはなにをしていた? そんな孤立した状況で?」

「残念だけど、それはわたしたちにもよくわからない。産獣術の研究には熱心だったようだが。わたしたちは産獣術に使う獣を狩ってラーヴ・ソルガーに渡し、不用意に近づいてくる人間やコドンを始末していた。そんな機会は多くなかったが」

「おれたちに加われよ。ラーヴ・ソルガーは邪悪な組織の一員だ」

「正直、そうしたいが、簡単にはいかない事情がある」

「話してみろ」

 リシュワは用心深く聞いた。

「ラーヴ・ソルガーはどこにいる?」

「尋問されている。この牢屋にはいないぜ」

 リシュワはすべてを話してもいいと判断した。

「わたしとレオネの脳にはレジレスという寄生虫が埋め込まれている。産獣術の最終段階で卵を入れられたらしいんだが……」


 リシュワはレジレスについて知っていることを話した。

 レジレスを入れた者同士は遠隔通話ができること、

 ラーヴ・ソルガーのものが親で、子を入れられているリシュワやレオネには苦痛を与えることが自在で、死に至らしめることも可能であるらしいことも。


 ダクツはあごに左手を当て、眉をしかめた。

「初めて聞いたぜ、そんなエグいもの。だが、おまえたちを殺せるかどうかは確実なのか?」

「わからない。レジレスを入れられて殺された者を見たことはないからな。産獣術を施されて生き残ったのはわたしとレオネだけだった。しかし、身動きできなくなるほどの苦痛を与えられるのは確かだ」

「ふむ。それじゃおまえにはこのまま牢屋に残ってもらって、尋問が済んだらおまえに会わせることなくラーヴ・ソルガーを殺せるよう打診してみるか。それで助かるだろう?」

「いや、それもまずい。それができるならわたしたちでやつを殺している。ラーヴ・ソルガーが死ぬと、レジレスはわたしたちを殺す。そう教えられてる」

「それくらい当たり前だったか。よし、わかった。なにか手を考えてみよう。こちらの産獣師に話してみる。返事を待っていてくれ」

 ダクツは背中を向けかけた。そこへリシュワが声をかける。

「敵だった捕虜に対してずいぶん親切だな。不自然なほどだ」

 ダクツは向きなおった。

「産獣術を施されて生き残る者は少ない。もともとが、たいていはひどい重傷を負ってたりするからな。新鬼人は貴重な戦力なのさ。コドンも強いし、新鬼人はさらに強い。おれたちは分散しているが、もはや国家を凌ぐほどの暴力機構なのさ。それでいて敵も大きい。保守的な人間国家と、ラーヴ・ソルガーのような貴族派が敵だ。味方にできそうなものは粗末にしない」

「貴族派ってういうのはなんなんだ?」

「それについてはあとでゆっくり話そう。いまは情報を持っていって、検討することがだいじだ」

「感謝する」

「恩を売っておくぜ。その気持ちを忘れないで欲しいね」

 ダクツは出ていった。


 リシュワは藁の上に寝そべってリラックスする。

 囚われの身ではあったが、差し迫った危険はないように思われた。

 もともと身内であるはずのラーヴ・ソルガーがいちばん危険なくらいだった。

 ダクツたちが良い手をみつけてくれるといいが。


 日は翳り、牢屋のなかは真っ暗になった。

 ランタンを手にした普通の女が、パンとスープを持ってきてくれた。 

 女は小間使いといった感じで、とても戦えるような人間ではなかった。

 自分は安全と思われているらしい。

 そのとおり、リシュワは反抗する気も起こらなかった。

 このままラーヴ・ソルガーの手を逃れられたら、次はレオネを探して……。などと希望も募ってくる。


 だが、それも長くは続かなかった。

 離れたところの扉が開いた。ごそごそもぞもぞしたあと、鉄格子の閉まるガチャンという音がした。

 声が聞こえる。

「命があるだけありがたいと思え。メシを食って寝ろ。明日も朝から尋問する」

「われの知っていることはもう話した。開放せよ野ブタどもめ」

「十分かどうかはこちらが決める。図に乗るな」


 ラーヴ・ソルガーが近くの牢屋へ入れられたのだった。足音が去っていき静かになった。

 ラーヴ・ソルガーのしわがれ声が、リシュワの胃を締めつけた。

「リシュワ、いるのか」

 リシュワは息を詰めて無視した。続いて頭のなかに声が響く。

(リシュワ、どこにいる。近くなのはわかっておる。応えよ、リシュワ、リシュワ)

 しかたなくリシュワは応えた。

(われわれはもう終わりだ、ラーヴ・ソルガー。諦めろ)

(われを連れて脱出するのだ、リシュワ。クソ漏らしでもそれぐらいのことはできよう。さあこちらへ来い)

 リシュワは嘘をついた。

(寄生肢を奪われて寝っ転がってる。残念ながらわたしは無力だ)

(嘘をつくな。寄生肢の臭いがする。おまえは近くにいて、四肢も揃っている。さあ出てこい怠け者!)

(敵にはコドン、魔道士、新鬼人が揃っている。脱出できないだろう。無駄だ)

(いいからやれ。殺すぞ)

(わたしはもう疲れた。ここで死ねばきっと埋葬はしてもらえるだろう)

(レオネをな)

 リシュワは瞬時に手の先が冷たくなるのを感じた。

(レオネは近くにいるのか)

(知らん。だが殺害はできる距離だ。われにはそれがわかる)

(いままで我慢してきたが、おまえは本物のクズだな)

(だが、おまえの主よ。さあ立ち上がれ、妹を殺されたくなければな)


 リシュワは闇のなかで唸った。

 レオネの命がかかっていてはやるしかない。

 リシュワは立ちあがった。鎧が擦れて音が鳴る。

 ラーヴ・ソルガーが声を出した。

「そんなに近くにいたのか。まったく怠け豚が!」

「無駄口を叩くな、ラーヴ・ソルガー。脱出したいならな」


 牢屋の鉄格子は人間用の細いものだった。

 リシュワは鉄格子に手をかけ、力をこめて引っ張る。

 唸り声をあげるほど思い切り引くと、金属は軋みをあげてたわんでいった。

 ほんの数秒のことで、牢屋の扉は開いてしまった。

 リシュワは荒くなった息を整えるため、しばし佇んでいた。

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