1-4
「く、くそ……」
レオネは目尻に浮かんだ涙を拭う。部屋の隅にかけてあった弓と箙を手にとった。
リシュワは左手が鉤爪なので、弓をうまく扱えない。投げ槍を手にとった。
「二階へ出ようレオネ。どうせ隠れても意味はない」
リシュワとレオネは階段をあがり、二階のベランダへ出た。
身を低くして様子を伺う。
もう犬の吠え声は間近だった。
間近どころか視界に入ってくる。紐に繋がれた三頭の犬が吠えて跳ねていた。
革鎧を来た軽武装の男が犬を引き連れていた。
そのほかに魔道士らしき人間ふたり、コドン戦士三人。
そして歪な身体のシルエットをした異形の戦士がふたり。新鬼人だ。
リシュワもレオネも自分たち以外の新鬼人を見るのは初めてだった。
人数からしても、これは一筋縄ではいかない相手だと知れた。
昨日の戦いで得た装備品からの匂いをたどって、ここまで追ってきたらしかった。
指揮をとっているのは白い短髪が逆だっている男のようだった。
固まった溶岩のような右腕をしていて、分厚いコドン式の胸甲をつけている。
人間とコドンの合いの子、新鬼人に間違いない。
もういっぽうの新鬼人は長い金髪をしていて、一見すると男か女かわからない。
鎧は薄手のプレートメイルだが、四肢が太く、それぞれ先が鋭い爪になっていた。
髪を逆立てた右腕の黒い男は、素早く指示を出した。リシュワたちの屋敷の前で、部隊を展開させる。
ただ犬の吠え声ばかりがけたたましい。
髪を逆立てた男は腕を振るって犬番に合図した。
犬番がなだめて犬が徐々に鎮まる。
部隊は身を隠すつもりもないようだった。こちらが少人数だと知っているのかもしれない。
髪を逆立てた男は屋敷の正面に立ち、大きな声で呼びかけてきた。
「出てこい、貴族派! おまえたちは包囲されている! 逃げ道はないぞ!」
リシュワとレオネはベランダに伏せたまま目配せした。お互い冷や汗を浮かべている。
『貴族派』というのが自分たちのことだとはわかる。
相手は自分たちをそのように呼んでいることを初めて知った。
出ていって戦っても勝ち目は薄い。
屋敷のなかへ誘いこんで少しずつ倒していくしか生き残る道はなさそうだった。
レオネは素早く身を起こして、矢を放った。
狙いは髪を逆立てた男だ。コドンの鎧は射抜けない。それも承知の挑発だった。
しかし髪を逆立てた男は、黒い右腕で矢を叩き落としてしまった。愉快そうに笑う。
「ハッハッハッ、新鬼人に矢なんか効かねえぜ、ちびっちゃいの! 無駄な抵抗はするな、降伏しろ、悪いようにはしねえ」
リシュワは頭だけあげて言い返した。
「わたしたちを捕らえたくば、こちらへ来ることだな! それだけの度胸があるとも思えないが!」
髪を逆立てた男は口をつぐんだ。長い金髪の新鬼人が口笛を吹く。
髪を逆立てた男は頭をかいた。
「女か。知ってるか、新鬼人てのは女のほうが施術に生き残りやすいんだってよ。女は殺したくない。いや、新鬼人は殺したくないんだよ、こっちは。さあ、とっとと出てこい」
「おまえらが来いよ、出来損ない!」
身を低くしたままレオネが叫ぶ。
ふたりの新鬼人は顔を見合わせ、ほかの兵士たちもざわつきはじめた。
髪を逆立てた男が言う。
「女に子供か。どうやらおまえたちの産獣師はろくでなしということがわかった。若い女や子供を容赦なく施術するんだからな。恩があって仕えてるわけじゃないだろう? 弱みを握られてるんだったら言ってみろ、対処してやる」
ベランダの手すりの陰で、今度はリシュワとレオネが顔を見合わせた。声を出さずに会話する。
(姉さん、どうする? 賭けてみる?)
リシュワは眉根を寄せた。
(罠かもしれない。わたしたちを簡単に始末するための)
(でも、このままじゃとても勝てそうにないよ。あとは逃げるしかないけど……)
(ラーヴ・ソルガーがどこにいるかだな。わたしたちを置いて逃げ去ってくれていれば、そのほうがありがたいが)
(いま、ここからレジレスのこと話してみる?)
(それはだめだ。ラーヴ・ソルガーに聞こえたら殺されてしまう)
(それじゃ……)
そこで野太いが女の声が下から聞こえた。
「メダ・ポルスを殺したのは誰だ?」
コドン戦士のひとりが女だった。
リシュワは頭をあげずに答える。
「昨日のコドン戦士なら、わたしが殺した!」
コドンの女戦士は自らの分厚い斧を掲げた。
「おまえは殺す! わが愛人の名にかけて!」
下にいる女は、昨日殺したコドン戦士の恋人だったらしい。
状況が変わってしまった。これでは捕まったらただで済むはずがない。
リシュワの脳裏にいっそう陰が差す。
(どうやら捕まるわけにはいかないようだ。逃走一択だな)
(姉さんがそういうなら、それでいい)
下では髪を逆立てた男がコドン戦士を説得しようとしていた。
「落ち着け、ヘズル・デンス。戦士なればこそ、戦いで死ぬこともある。メダ・ポルスを殺したのは貴族派の産獣師だ。手下を責めてもしかたない」
コドンの女戦士は唸る。
「そうはいうがな……」
下の敵部隊はいましがたとは違う緊張感に包まれていた。
戦いを始めるための緊迫から、仲間割れを恐れる緊張感に変わっている。
チャンスはいまかもしれない。リシュワは指示を出した。
(レオネ、敵とは反対側へ飛んで逃げろ! いまだ!)
リシュワとレオネは飛び起きた。
レオネは弓矢を捨て、敵部隊から右手へ跳ぶ。
だが、リシュワは真正面に向かって跳んでいた。
レオネが驚く。
(姉さん!)
(逃げろレオネ、わたしが時間を稼ぐ!)
「うぉおおおおおッ!」
リシュワは雄叫びをあげた。
寄生肢の強化された脚力で二階から飛び降り、たった二跳びで敵の輪のなかへ突入した。
まずはコドンの女戦士、ヘズル・デンスを倒さねばならない。
リシュワは剣を振りあげて、巨体の女戦士へ向かった。
「なんてやつだ、この馬鹿!」
髪を逆立てた男が振りかぶった。
次の瞬間、リシュワの鎧の表面でなにかが弾けた。
黄色い粉塵と、スパイスのようなにおいが広がる。
突然、左足、寄生脚の力が抜けた。
バランスを崩して倒れかける。
手をつこうとしたが、左腕、寄生腕のも力なく肘が曲がる。
寄生肢が麻痺していた。
リシュワは剣を手放し、右の腕と足の力で身体を支えようとした。
そこへヘズル・デンスが斧を振るった。
リシュワはあごを弾き飛ばされた。
斧の腹による一撃だったので負傷はしない。しかし、衝撃で視界が定まらなくなった。
仰向けに倒れたリシュワの耳にヘズル・デンスの声が聞こえた。
「勇猛さは間違いない。メダ・ポルスは勇敢に戦って死んだとわかった。命は預けておこう」
ぶれる視界のなかで、金髪長髪の男がへたりこんでいた。四肢が弛緩しているようだった。
金髪は情けない声をあげていた。
「かんべんしてくださいよ、ダクツ。至近距離で麻酔を使うなんて。すっかり巻き添えじゃないですか」
髪を逆立てた男が言った。
「俺だってこんなんなっちまった。まあ、代償ってやつだよ。俺たちは無傷の新鬼人を捕らえたわけだしな」
髪を逆立てた男、ダクツの黒い溶岩のような右腕がだらんと垂れ下がっていた。
ダクツはリシュワを見下ろした。
「ちびっこを逃したのか。寄生肢もつけてねえのにたいした跳躍力だ。猿みたいに飛んでたぜ。しかたねえからほうっておくけどよ」
離れたところから声があがった。
「産獣師を捕らえた。裏口から逃げようとしたが、すぐ追いついた」
ラーヴ・ソルガーが喚いた。
「離せ! 誤解だ! われは単なる研究の徒よ! そこに転がってる木偶がわれの静止を振り切ってそなたたちを襲った! ぜんぶそいつのせいよ!」
この期に及んで、ラーヴ・ソルガーの下手くそな保身に呆れる。
ダクツが言った。
「産獣師、おまえも殺さず済んでうまくいったよ。サイテーな野郎だが、聞きたいことは山ほどあるんでな。口がきけりゃいいんだ、おとなしくしてたほうが身のためだぞ」
ラーヴ・ソルガーは往生際悪く言い放った。
「リシュワ、なんとかせい! 殺すぞ!」
ダクツが顔を綻ばせる。
「あんた、リシュワっていうのか。いい名だな」
リシュワは唸った。
敵に囲まれて泥道の上に倒れ、リシュワは無力だった。
だが、まだ右半身は生きている。無力なりに抵抗を試みようとした。右足の力だけで跳ねるように起きあがる。
ヘズル・デンスが素早く動いて、リシュワの髪をつかんだ。大人と子どもほどの身長差がある。
その高みから、拳が振り下ろされた。
「命はとらないと言ったが、仕返ししないとは言ってない」
コドンの重い拳が二度、三度と叩きつけてくる。
目に閃光が走り、視界が白く閉ざされる。
最後にあごを殴り抜けられた。
リシュワはそこで意識を失った。