6-2
空が白み、星々の輝きが薄れるころ、ラーヴ・ソルガーのもと工房へ着いた。
邸は薄闇のなかに屍のごとく佇んでいる。
明かりはなく、人の気配もない。しかしまだ離れている。
リシュワたちは木の陰に背嚢を下ろした。
「ここからは慎重にいくぞ」
「うん」
リシュワは剣を抜き、レオネは弓に矢をつがえた。
姿勢を低くして、足音を立てないように近づいていく。
崩れた門に達し、中庭を覗く。
草がほうぼうへ伸び放題で、荒廃の度を増していた。
開け放たれたままの扉まで行き、耳を澄ませる。
コトリとも音はしない。虫の声と、木々のざわめきだけ。
リシュワたちの緊迫感だけが、空気を硬くしていた。
リシュワは囁いた。
「レオネは二階を。わたしは処置室を調べる」
ふたりは別れた。そして捜索の結果、緊張を解いた。
ここにフリックはいない。少なくともいまは。
リシュワは剣を納めた。
「砦に戻ったところで騒がしいだろうし、ここで休もう。あとでフリックが来ないとも限らないしな」
ふたりは背嚢をとってきて居間へ運びこみ、旅の残りの糧食で腹を満たした。
食事が終わるとレオネは大きなあくびをした。
「もう眠いよ。ずっと歩きっぱなしだったし」
「ここで寝ていこう。ソルナルの宿のあとだと辛い小汚さだが、半年もここで寝てたんだしな」
「寝れればどこでもいいよ、もう」
ふたりは以前の寝室へ行き、鎧を着たまま寝た。
新鬼人の鋭い感覚をあてにして、眠りに入る。
フリックが近づいてくれば目覚めるはずだった。
どれほど眠ったものか、ふたりは振動で目を覚まされた。
邸が地の底からくるような振動に震えていた。
地震とは違う。
地震とは違うが、なにか巨大な力を感じさせる。
リシュワは飛び起き、反射的に剣を抜く。レオネも態勢を低くして弓矢を構える。
「姉さん、なにこれ!」
「油断するな! なにか異常だ!」
壁の漆喰にひびが入り、パラパラと剥がれ堕ちる。
ベッドもガタガタ揺れた。
ぶんぶんという音が耳を聾する。
「外に出よう、姉さん!」
「慌てるな! 気をつけて外に……」
そのとき窓から白光が飛びこんできた。強烈な光量で目を射抜く。
ふたりの寝室は昼間より明るくなった。
窓の外、白い人影が空中に浮いていた。
それを認めた直後、リシュワとレオネは別の空間に運ばれていた。
わけがわからず周囲を見回す。
目を灼くほどの明るさではないが、白一色で果てがわからない。
足で踏みしめている床がしっかりしているのがありがたかった。
声がした。
「ようこそ、われわれのコスモへ」
そこにはフリックが立っていた。
おなじみの魔道士の装束を着て、穏やかな目をしていた。
さらに隣りには安楽椅子が出現し、そこに奇怪なものが腰かけていた。
ラーヴ・ソルガーの頭を持ったなにかだった。
ラーヴ・ソルガーはリシュワが貫いたときの傷もそのままに、崩れた頭をしていた。
首から下は木の根のようなものに支えられている。どうも神経線維だけで身体が構成されているらしい。
ラーヴ・ソルガーは裂けた唇でにやりと笑った。
「おまえたちとはレジレスでつながっておるからな。この会合を設けるのは容易であった」
向こうが圧倒的な優位にあることは感じられた。
リシュワの身内を痺れるような恐怖が流れる。
レオネは弓矢を手放していないが、完全に腰が引けていた。怯えている。
「いったいこれはどういうことだ、ラーヴ・ソルガー。おまえはわたしが殺したはずだ」
リシュワは気迫を呼び起こして口にしたが、その声は意に反してかすれてしまっていた。
フリックとラーヴ・ソルガーはともに含み笑いを漏らした。まるで一心同体かのように。
フリックは言った。
「俺は知ったよ。些細な死と、重篤な深淵への死があるとね。きみがやったのは些細なことだった」
腰かけたまま、ラーヴ・ソルガーもにこやかに口を開いた。
「おまえのやったことはもはや問わん。いまとなってはすべて些細なことよ。これからのことを話し合おうではないか」
レオネは震え声で尋ねた。
「ゲデ・スオーンを殺したの?」
フリックが頷いた。
「そうだよ」
「どうして?」
フリックは肩をすくめた。
「非協力的だったからさ。俺とゲデ・スオーンは道をみつけた。神柱への道を。その道はノゼマが記したものだったけど、辿れるのは人間のみ。コドンの道じゃなかった。しかしコドンによる産獣術で肉体を改造してもらう必要があった。ゲデ・スオーンは拒否したのさ」
神経叢の腕をあげてラーヴ・ソルガーは言った。
「だが、われは密かに協力を約束した。プネウマの注入によって死から目覚め、明瞭となっていく意識のなかでな」
フリックは頷いた。
「でも、それもゲデ・スオーンに勘づかれた。彼女はラーヴ・ソルガーを始末しようとした。俺は逃げられればそれでよかったんだが、ゲデ・スオーンは俺が教えた攻撃法を使ってきた。身を守るためには反撃するしかなかったのさ。そしてゲデ・スオーンは死んだ。俺たちは逃げた」
リシュワはいつでも攻撃できるよう構えながら訊いた。
「それがなぜここにいる? どうしてわざわざわたしたちを巻きこみに来た?」
「それはきみたちがちょうどいいところにいたからさ」
ラーヴ・ソルガーは含み笑いを漏らした。
「われらはずっとここにいたのだよ。お前たちの足元深くにな」
リシュワは睨みつけた。
「意味がわからない。わかるように言え」
ラーヴ・ソルガーが言った。
「この工房、いやこの邸宅にはもともと地下があったのよ。おまえたちには教えていない。いざというときに備えてな。それがやっといま役に立ったというわけだ。地下にはドラゴンの死骸も保存してあった。それを素材に、この男はわれの手引で自らの肉体を調整したのよ。新たな旅路に耐えられる器を手に入れるためにな。その過程で、われとこの男は一体と化した」
フリックが腕組みした。
「俺たちはいましがた生まれ直したばかりなのさ。神柱として」
ラーヴ・ソルガーが続けた。
「神柱には雑事を行う配下がいたほうがよい。それでおまえたちにその栄光を与えてやろうというのだ。よしみでな」
レオネが叫んだ。
「脅しじゃない! 嫌だっていったら殺すんでしょう、レジレスで!」
ラーヴ・ソルガーは笑った。
「おまえたちを始末するのはたやすい。それは変わらぬが、レジレスによってではない。もともとレジレスにはおまえたちを殺すだけの力はないのだよ。苦痛を与えることはできるがな。おまえたちを従わせるための方便よ。安心したか、レオネ。われわれは新たな立場から、おまえたちに忠誠を求める。それは栄華に燃えあがる道となるであろう。悪い話ではないのだ」
フリックは顎をあげ、尊大に見下ろしてきた。
「レジレスの接続があればこの先もなにかと都合がいいだろう。だから接続を利用してこの場を設けた。そうでなければいきなり戦うことになったかもしれないからね。きみたちは脆弱だけど役に立つ。過去の遺恨は水に流そう。友達をひとり殺されたくらい、もうどうでもいい。リシュワ、レオネ……」
フリックとラーヴ・ソルガーの声が重なった。
「われらと来い」
黒い衝撃波が突き抜ける。
そこには圧倒的な威圧があった。
高次の存在が慰みにお情けをかけている。
その実感はリシュワもはっきりと感じとった。
戦ったところで勝てるかどうか。
戦いにさえならないかもしれない。
質量があるかのような恐怖。
だがこのフリックとラーヴ・ソルガーの配下となってしまったら、それこそ自分たちのすべてが書き換えられてしまうだろう。
自分だけならともかく、レオネをそんな目に合わせられない。
歯が鳴るような恐ろしさを突き破って、リシュワは叫んだ。
「断るッ!」
声をあげると同時に剣を構え突進する。フリックへ体ごとぶち当たっていった。
切っ先はフリックの身体を貫いていた。
しかし流血もなく、フリックは眉ひとつ動かさない。
リシュワの肩に両手をかけ、心底呆れたように言う。
「がっかりだよ。せっかくの好機を無駄にするなんて。決裂。交渉は決裂」




