深淵へのいざない
ウェルネッタはフード付きのマントを着込んでいたが、腕をあげたので素肌が見えた。
白い肌を金色の外骨格が包んでおり、そのほかはほぼ裸同然らしかった。
レオネのすぐ近くに立っていたので、リシュワは妹の手を引いて自分へ引き寄せた。
警戒の眼差しをウェルネッタへ向ける。
「ひさしぶりだな、ウェルネッタ。こんなところでなにをしている」
ウェルネッタは赤い唇で微笑んだ。
「誰かの後始末。殺すだけ殺して死体もほっぽりだして行っちゃうなんてねぇ」
リシュワが答えようとしたところ、ゲデ・スオーンが口を挟んだ。
「知り合いか、リシュワ? こんなに美しい新鬼人がいるとは」
ゲデ・スオーンの目は黒一色なので瞳の動きが見えないが、ウェルネッタを熱心に観察しているらしかった。
リシュワは紹介した。
「ウェルネッタだ。ノゼマの新鬼人」
ゲデ・スオーンは驚愕していた。
「ノゼマ! 神柱ノゼマの配下か! ノゼマもここに来ているのか」
ウェルネッタが面白そうに聞いてきた。
「そっちは誰なの」
リシュワはしばし迷ったが、本当のことを教えた。
「こちらはゲデ・スオーン。わたしが世話になっているジェントル・オーダーのリーダーだ」
話していると、背後からくぐもった爆発音が届いた。二度、三度。
振り返る。
寺院の本堂が炎をあげていた。
新たにふたりの人物が登場した。
背の低いマント姿と、背の高いマント姿。
ノゼマとフィスマだった。
炎を吹きだす本堂とリシュワたちのあいだにある、異形の死骸になんらかの液体をふりかけている。
ゲデ・スオーンは腕を振りあげて駆けだした。
「なにをする貴様ら! 燃やすなど!」
ウェルネッタが素早く走り寄り、ゲデ・スオーンに足払いを食らわせた。産獣師は勢いよく転んだ。
リシュワはウェルネッタの速さに、まったくついていけなかった。レオネも呆然としている。
ウェルネッタは微笑みながら言った。
「危ないから、ね。離れてて」
ノゼマが片手を振ると、ぼんという音とともに火の手があがり、異形の死骸も烈火の炎に包まれた。
リシュワが助け起こすと、ゲデ・スオーンはよろよろと立ちあがった。顔に苦渋の表情がある。
「お、おまえたちはこの標本の貴重さがわからないのか。神柱に達した者だというのに。わからないわけはないだろう……」
黒い煙をあげる炎を背景に、ノゼマとフィスマが歩み寄ってきた。
あいかわらずノゼマの目は白濁していたし、フィスマの顔は流動していて溶け流れていた。
火が燃えるごうごういう音があっても、ノゼマの声はよく通る。
「わたしたちはよくわかってるよ、ゲデ・スオーン。ここでなにが起きたか。そして、ここでこんな形の知識を得てしまうことの危険さを」
ゲデ・スオーンは身体を強張らせた。
「そなたがノゼマどのか。自ら神柱に達したという。それは本当か」
「本当だったら、わたしの忠告を聞き入れてくれるか、ゲデ・スオーン」
ノゼマはローブを脱ぎはじめた。
白銀の四肢と、透明な身体、体躯の中心で輝く太陽のような輝きがあらわになる。
「この身体をもって証明としたい。新鬼人にもおらぬだろう、このような姿は」
ゲデ・スオーンはつばを飲みこんだ。
緊張しているのか、感銘を受けたのか、しばらく無言のあと、かすれ声をだした。
「確かに、特異な姿、しかと拝見した……」
ノゼマはローブを着直しながら言った。
「特異な姿、もしくは異形ということもできよう。異形だよ、ゲデ・スオーンどの。わたしといま炎に包まれているこの異形とは、地続きなのだよ」
ゲデ・スオーンは察しがいい。
「つまり、この異形は神柱の顕現のひとつだったというのか。強大だったらしいが、われらの手勢で倒せた。神柱とはそのようなものとは思えん」
ノゼマの表情は読めなかった。ただ、つぶやくように言う。
「神柱ではない。同じ道を辿ろうとしながら分岐を間違ってしまった存在だ。そなたたちの貴族のほうに近い。しかも精神を侵されてしまったそうだな。神柱への道は昏く、陥穽が多い。そこにはまってしまった者の末路よ。ここで知識を得ると道を誤る可能性が高くなるだろう」
ゲデ・スオーンは食い下がった。
「しかし、神柱への道はすべての産獣師の悲願。諦めるわけにはいかぬ」
「やめておけ。もしかしたらコドンにはこの道が開かれておらぬのかもしれん。わたしは最近そう思うようになってきた。そして人間の魔道士は道へ入ることはできても迷い、堕ちる。魔道士イゼルは異形となり果ててしまった」
リシュワは割って入った。
「それがあの異形の名か。やはりもとは人間だったのだな」
ノゼマは頷いた。
「そうだ。この場の遺留品を調べさせてもらった。魔道士イゼルは産獣師とともに学び、道をみつけたが、足を踏み外してしまった」
ゲデ・スオーンは両の拳を握りしめた。
「しかし! われらは神への道を諦めはしない! 敵がおるのだ! 強大な敵が!」
ノゼマの表情が柔和なものになった。
「おのれたちで見つけるのだな。決してこの場のような誤った道を手本にしてはいけない。わたしがこの道をみつけたために、コドンの淵源が変化してしまった。これから先、このような事例は増えるだろう。神柱もあとに続くといいのだが」
そこで言葉を切って続ける。
「ゲデ・スオーン、そなたがいま行っていることは立派だと思う。ジェントル・オーダーといったか。わたしはその道を素直に進むのがいちばんだと思う。人間とコドン、ともに和平の道を歩むのは素晴らしい事業だ」
ゲデ・スオーンは顔を引き締めていた。
「われわれは諦めない」
ノゼマは片手をあげて会釈してきた。
「わたしたちはもう去ろう。ジェントル・オーダーの仕事はわたしたちの仕事とも重なる部分が多い。また会うこともあるかもしれぬ」
ノゼマは歩み去ろうとした。
フィスマがゲデ・スオーンの前に立ち、定かではない身体で肩をすくめた。
「悔しけりゃ俺を殴って気晴らししてもいいぜ、おばさん」
「ふん!」
ゲデ・スオーンは即座に乗った。
思い切り拳を打ち下ろす。
拳はフィスマの顔面にめり込んだ。
しかし、ダメージは特にないらしかった。フィスマは笑う。
「ハハハ、ほんとに殴ってくるとはね。度胸は一流だな」
「不気味な……」
ゲデ・スオーンは引き抜いた拳とフィスマの顔面を交互に見やった。
フィスマはリシュワの横を通りすがら肩を叩いてきた。
「コドンてのは気難しいが、まあまあいいやつらだと思うぜ」
「どうだろうな」
リシュワは肩をすくめた。
ゲデ・スオーンが振り返り、思い出したように言った。
「ノゼマどの、あなたはわれわれの敵か味方か?」
ノゼマは歩みを止めてこちらを向いた。
「そなたたちがいまの道を歩むかぎり、味方であろう。わたしたちの敵はいまのところほとんどが王侯派産獣師のもとで生まれる」
ゲデ・スオーンは期待もしていないという表情で続けた。
「ノゼマどの、われわれとともに砦へ来ていただけないか。腰を据えて話し合うべきことがらが多いように思う」
ノゼマは迷いもしなかった。
「遠慮しておこう。わたしが興味をもてない。そなたたちとわたしたちは同じ敵を別の道から打つのがいちばんだろう」
「そうか。さらば」
「さらば」
ノゼマとその一行は寺院の門を過ぎ、歩み去った。
その姿が見えなくなるまで、リシュワたちは見送った。




