◇誘われる
「杏花、最近元気ないじゃん?」
「そんなことないよー」
食堂でりっちゃんはそんなことを切り出した。
りっちゃんこと、里佳子は学部と陸上部で一緒になった女の子だ。
黒髪ショートが似合う体育会系女子。
わたしが陸上を続けていたらこんな感じだろうなとぼんやり思う。
「ちょっと元気ないかなって思ってたんだけど」
「ううう。失恋したといえば失恋したし、失恋してないといえば失恋してないし、微妙な感じというか」
「きゃーなにそれ!詳しく!」
「ヤダ、りっちゃん、なんで楽しそうなの」
「だってー」
りっちゃんは楽しそうにきゃっきゃと笑っている。
「杏花ちゃん、里佳子ちゃん」
「槙野先輩、こんにちは」
槙野先輩は、陸上部の2年生の先輩だ。
学部も同じだから、レポートや試験のことなどよく相談に乗ってもらっていた。
「なんの話してたの?」
「杏花の恋バナですよー」
「ちょっとりっちゃん!!」
わたしは慌てて立ち上がって、向かい側に座るりっちゃんの口を手で押さえる。
「へー…杏花ちゃん好きな人いるんだ?」
「う…」
「微妙に失恋したらしいですよー」
わたしの手をするりと交わしたりっちゃんは、
「槙野先輩、癒してあげてください」
と、爆弾を投下した。
「もーー!りっちゃんやめてってばーーー!」
どんと椅子に勢いよく座って、両手で顔を覆った。
きっと顔が真っ赤で、顔が上げられない。
そっか、とポツリと呟いたのは槙野先輩。
「じゃあさ、今度デートしよう」
「で、でーと!?」
癒しになるかわからないけど、と、先輩は続ける。
「えーっと、ほら、来週末、社会人の陸上大会!近くであるって言ってたじゃない、あれとか」
わたしが行きたいなーって言ってた大会だ。
「覚えてくれたんですか」
「あっ、や、嫌ならいいんだけど。部活の奴ら呼んでもいいし。ね!里佳子ちゃん!」
「あたしは行かないですー」
「ええ」
慌てて付け加えた槙野先輩にりっちゃんは即答。
考えておいてって言い残して、槙野先輩は友達の元へ帰って行った。
「槙野先輩ってほんと杏花のこと好きだよねー」
「え、そうかな。」
「さっきのだって、杏花がいたから声かけてきたんじゃん」
言われてみれば。
可愛がられてる気がする。
きっと他の1年生より。
「その微妙な人やめて、槙野先輩と付き合うのはどう?」
「好きな人いるのに失礼かなって」
「彼氏なら失礼だけど、別に付き合ってないんでしょ?好きな人いることはさっきので先輩も知ってるわけだし」
ううーん?そういうもんなのか?
わからない。
恋バナもあまりしたことがないし、恋愛なんて進みも戻りもしない、和也くんへの片想いだけで。
「適当なこと言ってるんじゃないよ。そんな凹んでるなら、他の人に目を向けるのも手じゃないかなって思ってね」
「…考えたこともなかった」
ずっと和也くんだけ追いかけてた。
「そうだね。いいかもね。」
うんうん、いいかも。
だって和也くんは振り向いてくれないし。
せっかく頑張って大学生になったんだから、キャンパスライフを謳歌しなきゃ。
わたしは心に決めて、グッと手を握り締めた。