◆手懐けた
親が離婚して、母親と今のマンションに引っ越したのが小学2年生のとき。
隣に幼稚園の女の子が住んでいたのは知っていた。
冷めた小学生だったし、一人っ子で年下の面倒を見るほど面倒見もよくない。
でも何の因果なのか、学校から帰ってくるとマンションのすぐ外で転んでびぇびぇと泣いているガキと、ばっちり目が合ってしまった。
「かずやくん」
ぼろぼろ泣いていたのはその隣に住んでいた女の子で、名前を呼ばれたのに無視もできず、泣くなと袖でゴシゴシと涙を拭いて、立たせてやった。
部屋の前まで手を引いてやっただけなのに何故か懐かれたらしく、学校帰りのオレを見つけるとにこにこ寄ってきたり、遊ぼうと呼びに来たりした。
もちろん、オレにも友達がいたし、そっちと遊ぶ方が楽しかった。
なのに杏花ときたら友達と遊ぶからって冷たくあしらっても、次の日にはまたにこにこと寄って来るのだ。
面倒くさがっていたはずなのに、いつの間にかテレビゲームをしてるオレの横におとなしく座って見てるのが常になった。人形遊びには付き合わなかったが、外で野球やサッカーの真似事はやった気がする。
そうしているうちに、母子家庭でお袋の帰りが遅いのを知った杏花のママが夕飯を食べにおいでと言ってくれるようになった。
杏花が小学生になれば学校まで連れて行ったし、宿題が終わらないと言えば付き合い、夏休みの宿題もとっとと終えせさせた。
杏花のママはお袋の代わりにマナーやら常識やらを教え込んで、悪いことは悪いと言う。杏花に対してと同じように優しくも厳しかった。
その当時は単身赴任ではなく一緒に住んでいた杏花のパパも同じで、よく杏花と2人でいろいろなところへ連れて行ってくれた。
面倒を見てくれてありがとうねと杏花のママは言うが、杏花と杏花の両親がいなかったら、温かい家庭に身を置かせてもらえなかったら、お袋とも上手くいってなかったんじゃないかと思う。
「あのね、杏花ね、運動会でリレーの選手になったの!」
「和也くんお誕生日おめでとう!じゃーん!プレゼント!開けて開けて!」
「ばれんたいんって、女の子が好きな男の子にチョコあげるんだって!ママと作ったんだよ〜!」
「和也くん、和也くん!今日ね今日ね、」
母親のいない時間の寂しさを埋めたのは、どうにもならない苛立ちを癒したのは、紛れもなく杏花だった。
思春期や部活や何やで頻繁にご飯を食べに行ったりはなくなったものの、会えば話すし、母親経由で今どうしているかは知っていた。
感覚で言えば兄妹。
それが変わったのが、あの事故のときだった。
お袋から連絡をもらって血の気が引いて、慌てて見舞いに行ったら、弱りきった杏花がベッドに横になっていた。
年頃の女の子だし、小さい頃から知ってるとはいえ年の近い男があんまり長居するのもよくない気がして、黙って果物を剥いて食べさせて出てきた。
無事ならいいと言い聞かせて、見舞いはその一度きり。
杏花の退院には、荷物持ちとして呼ばれて行った。
1人にしておくわけにはいかないと、夕飯の恩のあるお袋は杏花のママが退院するまで面倒を見ると言った。
とはいえ、帰りの遅いお袋は杏花と一緒にいてやれる時間は少ない。
部屋で顔を合わせても気まずいだろうと思い帰りをお袋より遅くしていたが、それはどうやら間違いだったようで、お袋の前で笑っていた杏花からは想像できないくらい弱って、滅入っていた。
何考えてんだ、当たり前だろ。あんなことあって平気なわけがない。
自分の認識の甘さに腹が立った。
いつになってもオレの中で妹分は妹分で、それを知って放っておけるほどオレも冷酷じゃなかったらしい。
小さい頃から変わらないまっさらな瞳に焦がれながら、彼女の世界にいることが擽ったくて後ろめたくて、それでいて嬉しくもあった。
弱っている杏花を構って連れ回して、そうしているうちにオレに対する感情が色を変えて行くのも、その瞬間もしっかり見てきた。
それがわかっていて尚優しくしたのは、それがよくある“年上への憧れ”であるとわかっていたからだ。いつかは消える一時の感情。
消えるとわかっていて心地良いと思ったのは、長年培われた愛着のせいで。