◇甘やかされた
退院をした。
まだちょっと学校には行けなくて、和也くんのおうちのリビングでぼーっとテレビをつけて、おばさんが帰ってくるのを待っていること数日。
和也くんは…いつもおばさんより帰ってくるのが遅いみたい。
◇◆◇
ーーーあ、ダメだ。
頭の奥の方はどこか冷静なのに。
身体が小刻みに震えて、手先がスッと冷たくなっていく。
息が、できない。
怖い。
堕ちて行く感覚。抵抗しても何処までも引き摺り込まれて行く。
怖い。
ドアが開く音がして、足音がした。
和也くんが帰って来たのだろう。
和也くんに迷惑かけないようにしなくちゃと、遠退いて行く意識の中思って、自分を自分で抱き締めるように身を縮めた。
いつもみたいに和也くんが部屋に直行してくれれば、見つかることはないと思った。
どうか、こっちに来ませんようにって祈った。
それなのになんで、こういうとき和也くんは必ず気付くんだろう。
「杏花?」
なんでもないよって、笑って見せなきゃいけないのに。
「おい、大丈夫か?杏花」
首を振るが和也くんはそれをどう取ったのか、の背中をゆっくり撫ぜた。
「どこが痛い?」
焦った声音でそう訊くから、わたしは首を振った。
「…ひっ……」
ごめんなさいと言いたいのに言葉も上手く吐き出せなくて、喋らなきゃと思えば思うほど息が吸えなくなる。
「杏花」
和也くんは感覚のなくなりかけたわたしの手を握る。ここにいるとでも言うように。
わたしは触れた熱に安堵を覚えて縋るように和也くんの手を握り返していた。
「ゆっくり吸って、吐いて…吸う、吐く」
優しい声色で、誘導されるままにわたしは呼吸をしていた。
「そう、上手。そのペースだ」
和也くんは小さい子供に話しかけるようにそう言って、わたしが落ち着くまで背中を撫でていてくれた。
「…かっ…かずや、く…」
「ん、怖かったな」
気が付いたらわたしは和也くんにしがみ付くように背中に腕を回していた。
和也くんが抱きしめるようにわたしの頭を撫でたから、もう少しだけ甘えさせてもらうことにした。
安心したのだ。
「いつも一人で我慢してたの」
「……」
「責めてるんじゃねぇよ。」
一人でいたくなくて、でも和也くんはおばさんに言われて仕方なしに家にいることを了承したような言い方だったから。
「和也く…たし、わたし、ね!…ひっ…」
「落ち着けって。オレはちゃんと聞いてるから。ゆっくり話してみな?」
和也くんは、しがみつくわたしに、子どもにするようにとんとんした。
「きゅ…きゅうしゃ、通って」
「救急車?」
「ん、こわく、て」
「ああ」
舌がもつれて上手く話せない。
「きょ、お母さんとこ、行って」
「うん」
「まだ、起き上がれなくて」
「うん」
「お母さん、歩けるようになるかもわからないのに、わたしにごめんね、て…っ」
話しているうちにボロボロと涙が出て来て、和也くんのシャツを濡らす。気にしなくていいとでも言うように、わたしの頭を自分の胸に押し付けた。
「大会の前、なのに、練習にも行けなくて!友達もよそよそしい、し」
「ああ」
「わた、わたし…お医者さんはもう走れないって!!」
中学の頃からずっと短距離の選手として部活を頑張ってきたわたしに、お医者さんは無情に宣告したのだ。
「痕も、残るって」
「そっか」
「歩けるだけでも運が良かったって、でも…っ」
「うん」
何を言っているのかもう自分でもわからなかったのに、和也くんはずっとそのまま胸を貸して、相槌を打って聞いてくれていた。
1人でよく頑張ったなと和也くんは頭を撫でてくれた。
◆◇◆
気が付いたらソファに寝かされていて、ブランケットまでかけてあって、泣きながら寝てしまったのだと申し訳なさで飛び起きた。
「おーおはよ。何か食う?おかゆあるけど」
「お腹…」
「つーか、わざわざオレが作ってやったんだから無理してでも食え。いいな」
強引とも言える和也くんは、コトンとテーブルに器を置いた。
置かれたおかゆは暖かそうに湯気を上げている。
わたしは渋々その椅子に座ってスプーンを手に取る。
「残してもいいから食べれるくらいは口に入れろ。…今に倒れるぞ」
控え目に一口食べると、温かさが広がった。
そこで初めて、自分が空腹だったことに気が付いた。
「…おいしい…」
薄味で、米粒があまり見えなくて、しっかり煮込んであることがわかる。
「…おいしい…!」
和也くんが気を遣ってくれたのが嬉しくて、またじわりと涙が出てきた。
「たりめーだ」
そう素っ気なく言った和也くんは、何処か安心したような表情でもあって、わたしは泣きながらおかゆを平らげたのだった。