◇提案された
あの日も、夏の夕方だった。
背中に乗ったら余計に暑いのに、文句も言わなかった。
「ご、ごめんね、和也くん」
「ん、喋んなくていいから」
夏祭りの喧騒の中、和也くんにおんぶされて人の流れに逆行する。
久しぶりの人の多い場所で、人酔いしてしまったのだ。
ぐるぐると視界が歪んで行く中、和也くんがおんぶして人の少ないところまで連れてきてくれた。
ピンクのふわふわのブラウスにデニムのパンツスタイルだった。
浴衣じゃなくて、よかったかもしれない。
人の目が気になりはするけど、動けないから仕方ない。
それより、和也くんに申し訳ない。
花火も、楽しみにしてたのにな。
「何も考えなくていいから、目閉じとけ。」
ゆっくりゆっくり人のいない方に進んで行きながら、和也くんは心を読んだかのようにそう言った。
ぎゅっと、腕に力を入れる。
◆◇◆
やっぱり、浴衣着たら、傷痕が目立つ。
ワンピースも着られない。
冬ならタイツを穿けばいいけど、真夏はそんなわけにいかない。
夏休み、一緒に夏祭りに行く約束をした。和也くんと一緒に行くのは小学生以来かもしれない。
浴衣を服の上から合わせてみたけど、ダメだ。いくら長くしても裾がヒラヒラしてしまう。
「何、浴衣着るの」
「ひゃあ!か、和也くん、もうお風呂上がったの」
タオルでわしゃわしゃ頭を拭きながらリビングに戻ってきた和也くん。
心臓がバクバクいっている。
「杏花のママのお下がりだっけ。可愛いじゃん」
「うん、お見舞いに行ったときに、和也くんと夏祭り行くって言ったら浴衣の場所教えてくれたから出してみたんだけど」
和也くんは、わたしのお母さんを『杏花のママ』と呼ぶ。わたしが中学生くらいまで『ママ』と呼んでいた名残で、和也くんだけが今も『ママ』と呼ぶ。不思議な感じだ。
ちなみに、お父さんのことは『杏花のパパ』だ。
「でもほら…あんまり足、出せないし」
「ふーん、じゃあズボンでいいじゃん。浴衣着崩れてもオレ直せないし。」
「そうだけど。浴衣着たいんだもん。可愛くして出かけたいんだもん。」
「浴衣着たいなら着ればいいし」
…そういうの、何も考えずにできるのが、いいんだもん。
ちょっと泣きそう。
「買い物行くか。」
鼻の奥がツーンとしかけたのに、和也くんはソファに座りながら提案した。
「長いズボンでもおしゃれなの探せばあるだろ。」
「う、うん…」
「杏花のパパから生活費として預かってるの余ってるし、服買っても文句言われないだろ」
「でも」
「オレ一緒じゃなくてもいいけど」
「む」
「祭りの日に美容院行って髪切って、ついでにセットもしてもらえば?言えばやってくれるっしょ」
ぽかんとしていると、和也くんは笑った。
「いっ、いつ行ける?買い物」
すごいな。
言っても仕方ないことを言うと、今できることを考えて、そこに目をむけさせてくれる。
「んー、日曜かな」
おしゃれをしたい気持ちも悲しみも傷跡も、無神経に、いい加減に扱われてるわけじゃない。
だって、退院した後、学校に行きたくないと渋るわたしのために、担任の先生に連絡して、制服じゃなくてジャージで登校していいかと交渉したのは和也くんだ。
元々あまり校則が厳しくないこともあって、ジャージも、夏でもスカートの中にタイツなど履いてもいいと許可された。
体育は全部見学でいいとも。
終業式も立ってるのがつらいなら、保健室にいてもいいことになった。
さらに、登校を始めてしばらくは送り迎えしてくれたし、通院にも付き添ってくれた。
「う、ううぅ…」
「げ、今泣く要素なかったんだけど」
「わーー和也くんこれ髪拭いたやつ!ビシャビシャだよ!」
「うるせぇ、涙で濡れたら同じだ」
ゴシゴシと髪を拭いてたタオルで涙を拭かれて、わたしは泣きながら笑った。
自分のことでいっぱいだったけど、授業大丈夫だったんだろうか。
不真面目そうにしていて、学校は絶対サボらないし、成績もいいらしいのに。
◇◆◇
「…お祭り楽しみにしてたのに…」
「はは、これで我慢しなー」
公園のベンチにわたしを座らせて、ピンクの水ヨーヨーとイチゴ練乳のかき氷とわたあめを買ってきた。
う。食べたかったのなんでわかったの。
ポンポン跳ねさせてみた水ヨーヨーも好きな色。
「…ヨーヨー、1人で釣ったの?」
「まさか。妹が泣いてるからくださいって言って金払ってもらってきたよ。」
「な、泣いてない!ちっちゃい子みたいに言わないで!」
「ははは」
ヨーヨーを和也くんにペチペチぶつけると、和也くんは楽しそうに笑った。
「落ち着いた?」
「ん」
「暑かった?」
「ん。最近、外にいなかったから」
「ああ、部活行ってないんだっけ」
「うん…だって、走れない、し…」
言いながら、気分が落ち込んだ。
すぐ溶けていくかき氷をジャクジャクかき混ぜる。
「マネージャーやるとか?」
「ん?」
「杏花、走るのもだけど、部活好きだろ。友達多いし」
「…なんで知ってるの」
「お兄ちゃんは何でも知ってるのぉ」
和也くんは、ゴクゴク麦茶を飲みながら、そんなことを言った。
「まあ、行きづらいよな」
「うん」
「走ってる友達見てつらくなるならわざわざ行かなくていいと思うけど」
「うん」
「家で勉強してるより、気晴らしになるならいいんじゃないっていうジャストアイデア」
何とも返せなくて、わたしはかき氷を大きく一口食べた。
頭がキーンとする。
「ほら、花火。小さいけど見えてよかった。ちっちゃい頃から好きだったよな」
パンパンと音がして、和也くんが会場の方の方を指さす。
なにも考えてないようで、わたしのことをわたしより考えてくれる。
「…うん、すき」
すきだ。
和也くんが。
バカだな。
和也くんにはきっと綺麗な彼女もいて、わたしは近所の世話のやける妹分でしかなくて。
気まぐれで面倒みただけの子ども、で、恋愛対象の外で。
気づいたときにはもう、戻れないところにいた。
進みもできないのに。
「きれい」
マネージャー、やってみようかな。夏休み終わったら。
細かいことは得意じゃないけど、タイムとったりやり方はわかるし。備品も大体わかるし。
家で塞ぎ込んでたら、和也くんは構ってくれるけど。
甘えちゃうもん。
甘やかしてくれるの、嬉しいけど、切ない。
小さく上がる花火を見ながら、自立しなきゃなとぼんやり考えていた。