◆蓋をした
毎日授業が終わると同時に家に帰って、毎日できる限り多くの時間を杏花と過ごしていた頃。
日課になりつつあった勉強の途中、杏花はペンを持ったまま瞼を下ろしかけては首を振るというのを繰り返していた。
「眠い?」
「眠い」
「夜眠れてないのか?」
「ん…1人だとあんまり寝れなくて…あ、最近は少しマシになったけど!」
お袋の部屋で一緒に寝ている杏花は、どうやらお袋が手を繋いでやったり抱きしめて背中を撫でてやったりしているらしい。
うなされたらすぐ起こしてくれると。
「最近お袋夜勤続きだもんな。今寝れるなら寝とけよ。夕飯になったら起こすから」
うん、と頷いた杏花は、何を思ったかオレの後ろに回って、
「……はっ?」
「ちょっと、背中貸してほしいの」
膝を抱えてオレの背中に頭をぴとりとくっつけた。
「お前な」
「邪魔?」
「……寝れるんならいいんじゃない」
「ありがとう。すごく、おちつく…」
眠たそうにそう言って、すぐに杏花は寝息を立て始めた。相当疲れていたのだろう。
しばらくそのままにしていたが、力が抜けて来たのか体温がずるずると滑り落ちていく。
「ちょ……バランスくらい考えろ馬鹿」
ごつんと頭が床にぶつかる前に、オレは杏花の腕を掴んで抱きとめた。
馬鹿、と言われた本人は少し無理な体勢でオレの胸に凭れてすうすう言っている。
ソファにでも寝かせようかと思ったが、
『1人だとあんまり寝れなくて』
膝を貸すことにした。
少し無理な体勢のような気もしたが、苦しそうな顔はしないから、まあ大丈夫だろう。
「……起きたとき首痛くても知らねえ」
心地よさそうに、寝息を立てる杏花。
青白い頬に触れると、ふにっとした柔らかい感触。
「ん…かずやく…」
手に擦り寄ってくる杏花があまりに幸せそうに眠っているから、ソファに置いてあったブランケットで顔まで覆ってやった。
◇◆◇
思えば全部そう。
そのあと、ラーメン食べたいなんて言ってラーメン屋に連れ出したのも、1日中顔を合わせることになる休日に買い物に付き合わせたのも、このまま2人きりでいたら取り返しがつかなくなると警鐘が鳴ったからだったんだろう。
杏花はオレを異性として意識してはいても、“異性として適切な距離”をとってはくれない。麻痺しているんだろう。近過ぎたから。
自分の行動の理由に気付いてしまえば、全てがそう思えてくる。
「…馬鹿か、オレは」
今更気付いたところで、どのツラ下げて杏花に会うっていうんだ。
あんなに傷つけて。
頭を抱えてテーブルに突っ伏す。
「いつから気付いてた?」
「うーん。中学で杏花ちゃんと一緒にいるのを嫌がった彼女と別れたときから好なんだろうなあって思ったけど、まあ全体的に?」
「うわ…」
「小学生の杏花ちゃんと付き合いたかったわけではないだろうから、恋というより、愛だよねえ」
「………」
「このタイミングで俺を呼び出すあたり、そういうことだと思うよ」
「…もうヤメテ…」
健太郎に言えば、的確で手厳しいことを言われるのはわかりすぎるくらい、わかり切っている。
具体的な改善策が欲しいから、健太郎に連絡したということだ。無意識に。
「…ダサ…」
「杏花ちゃんは別に和也のことかっこいいなんて思ってないから安心しろって」
「おい、フォローになってねーぞ」
「あははは」
楽しそうに笑う健太郎を見ながら、オレは恨めしい思いでぬるいビールを一気に煽った。
「自覚したようだし、俺は行くよ。和也は?」
「おー、もう少しいる。」
「あ、金は」
「いいよ、激励金」
財布を取り出した健太郎は、大体の値段の当たりをつけて数枚のお札を机に置いた。
「上手くいったら奢ってくれれば。」
「……男前だよな、お前」
「どーもー」
「優ちゃんのお迎え?」
「うん、ちょうどいいくらい」
「仲良しですこと」
「まあねー和也より器用に生きてますんで」
「おま」
とんでもない奴に借りを作ってしまったなとため息を吐きながら、健太郎を見送る。
「憧れてたのは、オレの方、か…」
さて、どうしたものか。
あまり、後回しにするのは好きじゃない。