◇褒められる
「おはようございます!」
「おはよう」
「槙野先輩、早いですね。まだ待ち合わせ時間前なのに」
「杏花ちゃんも。待ち合わせより早いよ」
駅の待ち合わせ場所に行けば、槙野先輩はもうそこにいた。
「会場行ったことある?」
「ありますよー大会でよく使いました」
「えーっと、じゃあ、いこっか」
いいな、和也くんみたいに女慣れしてないし。
って。違う違う。
和也くんと比べたら失礼だ。
「杏花ちゃん、特に見たい種目ある?」
「そうですねぇ、短距離の決勝は見たいんです。先輩はやっぱり長距離ですか?」
「うん、男子の10000メートルは見たいかな。」
どういう風に回ろうか、あれ見たい、これ見たいとタイムテーブルと2人で睨めっこする。
ああでもない、こうでもないと計画を立てる。
大会が始まってしまえば、あっという間だった。
あちこちで歓声が上がり、たくさんのストーリーができていく。
巻き起こってスタジアムの中を渦巻いて。
そうそう、この感じ。
肌で感じる、熱。
「杏花ちゃん、次こっち行ってみよう。あ、飲み物大丈夫?」
「飲みますー!自販機寄りましょ」
いいな。楽しいな。
陸上の話ができるし、和也くんみたいに勝手にいろいろ決めないでわたしの観たいもの聞いてくれるし、和也くんみたいに食べるもの勝手に決めないし。
すぐ、和也くんみたいに、って、比べてしまっては、何度振り払う。
忘れるために、来たのに。
ふと、気づいてしまった。
普通の男の人と隣を歩くと、こんなに距離があるんだなって。
和也くんと歩く時ってもっと近い。
それが、なんか悲しかった。
「杏花ちゃんって、走ってる選手以外ばっか見てるね」
「えっ、すごい選手がどうアップしてるのかとか気になっちゃって」
「そこ見てるんだ」
「あと予選で思わしくない結果だったら、コーチはどうやってメンタル持ち直してるんだろうとか」
「あはは、マネージャーだ」
「職業病ですかねぇ」
「収穫はあった?」
楽しい。
こういう発見があったとか、あの選手はどうとか、優勝予想をしたりとか。
「うーん、やっぱり好きだなあ」
「えっ!?」
「陸上」
「ああ、うん」
「どうかしました?」
槙野先輩は慌てて首を振った。
「杏花ちゃんってさ、なんでマネージャーやってるの?」
「なんで?」
「うん、陸上やってたんでしょ?これだけ好きなのに、走りたくならないのかなって思って」
そんなの、なる。なるに決まってるよ。
槙野先輩の質問に、深い意味はないんだろう。
でも、ちょっとだけ息苦しくなった。
みんなが楽しそうに走ってるのを見るたび、いい成績を出せるのを一緒に喜ぶたび、お風呂で自分の足を見るたび。
いつもいつも、なんでわたしは走れないのって。
「…マネージャーが、楽しいんです」
半分ほんと。半分は、飲み込んだ。
だって、話す勇気がまだない。
あの、同情される空気は、何度味わってもいい気持ちにならない。
◇◆◇
ファミレスで陸上談義をして、槙野先輩は家の近くまで送ってくれた。
「杏花ちゃんって、いいマネージャーだよね」
「ふぇ!?ありがとうございます。」
「うちの陸上部って強いから、興味本位というか騒ぎたいだけのマネージャー希望とかも多いじゃない」
「ああ。はい」
それで、コーチに追い出されたり、本入部後に厳しくて辞めるマネージャーがたくさんいる。
「杏花ちゃんは最初から違ったんだよね。テキパキ動くし、選手がしてほしいことに気が付いてくれるじゃない。それがいいなあって」
「え」
「もうバレてると思うけど、好きなんだ」
と、真剣な顔をした先輩。
はっきり言葉にされると、とても照れる。
「今日も、とっても楽しかった。杏花ちゃん、好きな人いるって言ってたけど…考えてくれない?」
少し頬を赤くしてそういう槙野先輩につられて、わたしも赤くなって、頷いた。
先輩の後ろ姿が小さくなっていくのを、見送りながらぼんやり考える。
槙野先輩といるのは楽しかった。
選手として走れないならせめて、マネージャーとしてできることをやってきた。
それを認めてもらえていることはとても嬉しい。
でも、付き合う?
…本心も言えないのに?
和也くんには言えるのに。
「陸上やめたくなかった」って。
「足の傷が痛々しいから、遠征で大浴場使えないの」も。素足で家の中を歩いて傷痕を見られても平気なのに。
心配させるからお父さんとお母さんにも言えないけど、和也くんなら「ふーん、そぉ。」って興味なさそうに言って、ただ隣にいてくれるから。
何でも話せる人が、いつか、現れるのかな。わたしに。