因縁
しーん、と静まり返った中で、暫くしてから、岐顕が、嘘やろ、と言った。
「…戦前に亡くなった筈の…?そんな…。男系の直系じゃないか。正式な長候補だ…。如何いう事?行方不明の筈の巫女さんの子孫が大企業の重役になってて、居ない筈の、長の直系の子孫が、東京に住んでるって…?」
トップシークレットだって自分で言ったでしょ、と、向子が囁いた。
顕彦が、無理も無ぇ、と言ってから、丁寧に一礼した。
「我が実方家は、苗の神教の儀式の楽を奏す家柄。実方本家当主、実方顕彦。此方が娘で、巫女の向子。曾孫の岐顕で御座います」
向子が一礼すると、岐顕が慌てた様に一礼してから言った。
「…うちの隠れ里じゃ、宗教的価値の計り知れない人達じゃないか…。そりゃ、口が堅い自信は有るけど、こんなの、誰に言えっての」
ごめんな、と言って、顕彦は、岐顕の肩をポン、と叩いた。
「一回、会わせてやりたかったんだよ、御前に。平にそっくりだろ?」
そうだね、と言って。岐顕は静かに泣き始めた。
「令一にも、似てるっちゃ似てるけど…。令一は、何か違うんだよな」
似てる、という言葉を敏感に聞き取ったらしい綜一は、如何いう事、と問うた。
「そう言えば『そっくり』とか、先刻も言っていたね?…先刻は聞き流したけど…『俺みたいな顔の人間が居る』って事?」
燐子はハッとした。
顕彦は、おお、と言った。
「此の子の二卵性の双子の兄が夭折してな。顕平って名前だったんだが。令一っていうのが、こいつの同い年の従弟だが、今は、そいつが瀬原集落の長で、御字名教の現当主、瀬原令一だな」
「…待って。…二卵性?『俺に似た顔の方』の、君の双子の片割れは『死んだ』の…?」
怯えた顔をする綜一に対して、紘一は偶然だよ、とキッパリ言った。
「何でも結び付けたらいけないよ、周ちゃん。不安になるだけだよ。第一、令一君の方は生きてるんだから」
そうだろうけど、と言ってから、綜一は、ハッとした様子で言った。
「其の…令一という人の生年月日は?」
不思議そうな顔で、岐顕は答えた。
「一九七四年の十二月十日ですよ。正午ピッタリに生まれた、とか自慢してましたが」
ちょっとアイツ苦手なんですよね、と岐顕は言い難そうに言った。
「前の長が早くに亡くなったから、俺と同い年でも、もう長だし、敬うべきだとは思うんですが。…顔の造作は似てると思うんですけど…。アイツの方は、平に、いや、俺の兄に似ているとは、あんまり思えなくて。親しみが持ちにくいっていうか。あれ?」
如何しました、と問う岐顕の視線の先を見た燐子は、凍り付いた。
綜一も紅子も、玖一までもが、真っ青な顔をして押し黙ってしまっていたのである。
ああ、と言って紅子が、泣きながら飛鳥を抱き締めた。
飛鳥は、何時の間にか眠ってしまっていて、スース―と寝息を立てていた。
私、と言って紅子は立ち上がった。
「ごめんなさい、意気地が無くて。此れ以上伺うのが怖いのです。倫子ちゃん、私、此の子を見てるから。寝かして来るわ。御乳の時間に呼んでも構わない?」
燐子が、ええ、と返事をし終えないうちに、紅子は目頭を押さえながら、失礼致します、と言って、飛鳥と一緒に仏間を出て行ってしまった。
顕彦が、そうか、と言った。
「…令一の生まれた日に、勇二君が亡くなったのか」
燐子もハッとした。
そんな、と綜一は言った。
「…勇二の死んだ日に、『勇二と同じ顔の子が生まれた』の?俺の故郷の里で。紘、そうなの?知ってて、俺に黙ってたの?」
顔面蒼白の綜一に対して、そういうわけじゃないよ、と紘一は困った様に言った。
「関連付けて考えてみた事が無かっただけだよ。だから報告の必要性も感じてなかった。此の子と同じ年の従弟が新しい長になったのは知ってたけど、誕生日も、顔立ちも、何も情報は無かった。俺も、今知った事だよ」
そんな、と岐顕は言った。
「…そんな、似てないですって。少なくとも俺は、そう思います。誰も令一みたいじゃないし。アイツに似てる人間には会った事無いですもん」
あんたねぇ、と向子は言った。
「何時も、そう言うわね。平と令一は似てないって。正直、里で其れ言ってるの、あんただけよ?同い年の従兄弟同士なんだから、あんたとだって、何処かは似ても変じゃないでしょうに」
何か有るのか?と、顕彦が問うた。
「岐、御前、理由を聞くと何時も口を噤むよな?小学校に上がってからは滅多に令一と話さないし。年の近い坂元本家の治一とは親友のくせに、令一だけ仲間外れかい?」
「いや、そうじゃないよ。アイツには取り巻きが沢山出来たから、一緒に遊ばなくなっただけで…。いいや、此の際だから白状するよ。言っても信じてもらえないと思ってさ」
観念した様に、岐顕は続けた。
「小さい時からなんだけど、一緒に遊んでると、令一から時々、黒い靄みたいなのが出るんだよ。あれが、薄気味悪くてさ。…何か苦手で」
今度ばかりは、仏間全体の空気が凍り付いた。
岐顕は、其れには気付かぬ様子で話し続けた。
「うんと小さい時だったかなぁ、其れが、平に纏わり付きそうになっちゃって、俺、怖くて大泣きしちゃったんだよ。後は覚えて無いけど…。いや、やっぱ忘れて。ほら、こんな家に生まれたのに、俺、霊感みたいなのは無いし、見間違えかなって思ってはいるんだけど。兎に角、あんなもんが体から出てくる人間、他に居ないからさ。俺、如何しても、此の人や平と、令一が似てるとは思えないんだ」
おい、と、青褪めた顔で顕彦が言った。
「顕平は乳児突然死で、二歳で亡くなってるんだぞ。…御前、其れ、何時見た?」
顕彦の言葉に、岐顕が、あ、と言って青褪めた。
「…何時見たんだ?…俺…」
多分其の後に亡くなったんだね、と、悲しそうに紘一が言った。
そんな、と岐顕は言った。
綜一が、慌てた様子で、顕平という子の生年月日は?と言った。
「一九七四年の四月二日です、俺と同じ。亡くなったのは一九七六年の五月四日ですが」
綜一と紘一は、え?と言って、互いの顔を見た。
紘一は、そんな、と言った。
「四月二日?…第十一代御字名教当主、瀬原修一と同じ日に生まれたのか?」
紘一の言葉に、顕彦は顔を伏せ、向子は驚きに目を見開いた。
綜一は、そんな、と言って、岐顕に駆け寄ると、ああ、と言って、岐顕を抱き締めて泣いた。
「此の子は、『此の顔じゃなかったから見逃してもらえた』んだ。ああ、もう、如何か、御許しください。せめて此の子は御助けください…」
岐顕は、そんな、と言った。
「顔って、如何いう事です?其の顔に似ると、何が有るんですか?何もしてない人間が、二歳で死ななきゃいけない様な、何が有るって言うんです?俺は、そんな事認めない」
綜一は、泣き顔を上げて、紘一の方を見た。
紘一は、もう話しても良いんじゃない、と言った。
顕彦は、止めておけよ、と言った。
「関係者は死んでるんだ。もう墓まで持っていけ、御前達も」
だからこそ言っても良いんじゃないでしょうか、と紘一は言った。
「此の部分の説明を省いてしまうと、あの黒い塊について説明が出来ない。…周ちゃんが、『自分の顔を怖がっている理由』も、キチンと伝わらないでしょう」
紘一は、立ち上がると、綜一の手を取って立たせ、自分の傍に座らせた。
「岐顕君。俺と周ちゃんは従弟同士なんだ」
岐顕は、キョトン、として両者の顔を見詰めた。
「…でも…。周二さんは、瀬原本家の人ですよね?紘一さんは坂元家の子孫でしょう?」
吉野綜一こと瀬原周二は、本当だよ、と言った。
「十代目の長、瀬原重蔵の遺言で、当時、宗教儀式の補佐をしてくれていた家柄の、『坂元家の長男』を、極秘で瀬原本家の養子に出したんだ。重蔵という人には子供が居なかったそうだから。だから、此処に居る、紘一の御母さん、苗の神教の巫女だった富さんは、俺の父親、瀬原修一の妹なのさ」
まさか、と岐顕は目を見開いて言った。
「其れが本当なら…。苗の神教は、もう何代も、坂元本家の男系の直系が継いでる事になるじゃないですか」
大スキャンダルですよ、と岐顕は言った。
仕方なかったんだよ、と顕彦が言った。
「重蔵という人に子供が居れば別の話だが、事実居なかったし、御本人も大正三年の桜島大噴火の時に、大勢の巫女さんと一緒に亡くなってしまって、もう他の子孫を残す事は不可能になったんだ。辛うじて残っていた宗教関係の伝承も其の時一旦途絶えたらしくてな。幼くして残された十一代目を、周りの大人が必死になって養育したらしい。其の時、残された大人が頭を寄せ合って何とか繋いだのが、今の、残り滓みたいな教義さ。事情を知っている人間は必死だった。だが、噴火の被害も甚大で、長が亡くなった後の大混乱の里で、こんな事知られてみろ。宗教儀式の補佐役だった坂元家が里で権力を握る為の越権行為だって、口汚く言われただろうさ。最悪、一族郎党殺されてたと思うぞ。あの頃は、秘密にするしかなかったわけだ。実際は、其の、坂元本家の長男だった十一代目が優秀過ぎたから、其の男系の血に価値が出ちまったのが皮肉な話だが」
若いと知らんだろうが、と顕彦は続けた。
「瀬原集落の長である瀬原本家当主が、苗の神教の教祖を継ぐ、というルールも、長が世襲制になったの自体も、かなり最近の話なんだよ。教義が薄れるくらい続いている古い宗教の筈なのに、歴代当主が十何人しか続いてないなんざ、如何考えても少な過ぎるだろ。本来はスキャンダルでも何でも無かった」
でも、と綜一は言った。
「擁立された十一代目は、傀儡状態を嫌がって、宗教儀式の補佐をしていた坂元本家が疎ましくなったのか、…坂元本家の人間を陥れたんだ」
嘘よ、と成子が言った。
「長は…清廉な方だったわ?私、随分良くして頂いて…。私は坂元本家の人間よ?」
成ちゃん、と紘一は言った。
「もう終わった話だから。大正末の話だよ。周ちゃんも、陥れた、って言うのは言い過ぎなんじゃないの?亡くなった人の意図なんて、もう分からない。覆水盆に返らず、だよ。自分の御父さんの事なんだから…」
「紘。でも、実際、父上が、…俺の父親が紘の御両親を里から追い出したから、あの黒い塊が出る様になっちゃったんだよ?」
成子と玖一と燐子と岐顕は、揃って、え?と言った。
綜一は続ける。
「『あれ』は、苗の神教の御祓いで払ってきた悪いものの残り滓なんだ。毎年、豊穣祭で巫女舞を奉納していたから現世には現れなかった存在なんだよ。自分の妹だった巫女さんを、御婿さん毎、瀬原集落から追い出しちゃう原因を作った。其れが、俺の父親の罪だよ。以降、豊穣祭で巫女舞が行われる事は無くなったんだ。だから、黒いものは、『俺の父親の顔』を追い掛けて来るんだ。何故か次々生まれる、そっくりな子孫のところに現れる。勇二も、顕平君も死んだ。其の、令一君とやらに今は…」
―そういう事か。其れで、自分に似ていない「普通」が幸せだって…。
燐子が納得しかけたところに、成子が泣き崩れた。
「馬鹿だった、私。巫女になっておけば良かった。そんな大切なものなんて思わなかった。眉唾の、迷信だと思っていたの。まさか周兄ちゃんの子が死んじゃうなんて…」
泣くな、と、穏やかな声で顕彦が言った。
「元々、巫女は廃止予定だったんだよ。誰も、継続していた儀式を省略したら、こんな事になる、とは思っていなかった。誰も、娘を巫女にしたい家は無かったしな」
成子姉のせいじゃないわ、と向子も、穏やかに言った。
「私は秘密裏に、自主的に巫女になったけど。もう駄目なのよ。手遅れなの。大正末に既に『あれ』を怒らせてしまっていたのよ。今から何を私がしても消えない。今までは、由里さんが押さえてくれていたけれど、由里さんも、もう居ない。此れから遣る儀式でも、『あれ』の力を弱めて、せめて、御米くらいは次の年からは収穫出来る様にするくらい」
あの、と、玖一が言った。
「苗の神教の話は分かりました。うちの祖父の因縁みたいなもので、あの黒い塊が出る様になった、というのも分かりました。でも、日本の米が如何の、という話とまで繋がるとは、少々考え難いのですが…」
違うんですよ、と紘一が言った。
「五年前に日本の結界が弱まる様な事が起きた。其処で、五年経った今、結界の一部が破られた。だから悪いものも力を得る、という事です。順序としては逆なんですよ。だから、今は大した事は出来ない。いや、元々人間には大した事は出来ない。ですが、出来る限りの事をしよう、という集まりだったのですが。少々事情が変わった」
そうだね、と綜一は言った。
「多分、今回儀式をすれば、以降、此の周辺で黒いものが出る事は無い。でも、多分、此処で弾いた『あれ』は、令一君の方に行くだろう」
一回整理させてください、と岐顕が言った。
「俺は、あんなもののせいで自分の兄が亡くなったなんて信じませんが、其れが本当なら、貴方と令一が生きているのは何故なんです?確かに短命な長が続いては居ますよ?でも、皆子孫を残せるくらいまでは生きられた。全部『あれ』のせい、ってのは如何なんですか」
紘一が、前の長が亡くなったのは五年前じゃなかったかい、と言うと岐顕は、ハッとして、そんな、と言った。
「…黒いものが力を得始めた時期だって言いたいんですか?前の長は…確かに、親戚かな、程度には似てたけど、別に、うちの兄そっくり、って程じゃ」
止めなさい、と向子が言った。
「紘一さんらしくないわね。亡くなった人の事を言って、うちの大甥を怯えさせないの。覆水盆に返らず、よ。今更そうだったのか、と後悔しても遅いわ。何か出来なかったかと考えても無駄よ。此れからの事を考えなくちゃ。結局、瀬原本家直系に澱の様に貯まっていた悪いものが溢れ出して、傍流に迷惑掛けてるって話なのよ。周二さんは前の長の存命中に勇二さんを残せたから、黒いものが其方に行ったのよ。前の長の由一は其れ程まで似た顔じゃなかったから、思ったよりは長生き出来た。でも結局、由里さんが押さえてくれていた、という事でしょうね。其れと、由一の存在が重しになっていた。其れに、一九七四年には天に千三百近くもの風穴が空いたからね。あれも結界を壊す契機にはなったのかも。気象も変だったわよ、東北は豪雪だし。色々な事が起きた結果が一九七四年の十二月の出来事だと思うしかないのよ。過ぎた事なんだから。で、今は令一が重しなわけよ。あの子が今後如何なるかは分からないわよ?早死にするか、最悪子孫が残せない、くらいの事は有るかもしれないけど」
紘一さん、何を気にしているの、と向子は続けた。
「瀬原集落の被害が大きくなるぞって事でしょ?だから儀式を続行しない、って。其れで良いの?御米が此の先日本で獲れなくても?此の家に黒い塊が出続けても?天には穴が開き、地の軛は緩んでいる。何時地震が起きたっておかしくないわ。其方は何も出来ないけど、せめて、微力でも、何か出来る事をしないと」
「だからって、俺達の独断で、君達の所に、『あれ』を追い遣る儀式をしても良いのかい?令一君が死んでも?」
人間は何時か死ぬのよ、と向子は言った。
「其れに、自分が何か御呪いしたせいで人間が死ぬ、何ていう様な発想は思い上がりよ。私達には其れ程の力は無いでしょう?『あれ』を押さえる事も出来ない。真名が分かったって、黒いものは祓えても、日本全体を救えるわけでもない。救える範囲の事しか出来ない」
そうだけど、と、珍しく口籠る紘一に、向子は言った。
「令一なら、もう駄目よ。手遅れ」
岐顕が、サキ、と、咎める様に言った。
分かるのよ、と向子は言った。
「令一だけじゃない。真っ当で居られたのは由一だけ。先々代の永一も腐ってたわよ。あんたの御祖父さんを悪く言うのは良くない事だけど、薄々分かってるでしょ?特に令一は、早死にするとしたら、多分に本人の責任も有るでしょうね。遅かれ早かれ、里には、何時か悪い事が起きる事は決定しているの。神様を怒らせるって、そういう事よ。手心を加えてはくれない。私達が罪を犯した張本人じゃない、と言っても無駄。時間の概念も関係無い相手よ。忘れた頃に来る。七代祟るとか言うでしょ」
決めて、と向子は言った。
「日本の米を取るか、うちの里を取るか。米が獲れなくなったら、どの道うちの里も困るけど。重ねて言っておくけど、うちの里に悪い事が起きても、今日の儀式のせいだけではないからね。遅いか早いかだけの違いだから。…何方を選んでも多分私達は後悔する。でも、今日を逃したら、御米は助けられない」
もうやめてよサキ、と岐顕は言った。
「今年は御米が獲れないとか、梅雨の先は夏すっ飛ばして、木の葉が散る様な秋になっちゃうくらい寒いとか、年明けた頃から妙な事ばっかり言って、本当なの?此処で他人に二択を迫る様な重大な事が、本当に起きるわけ?サキや俺達が。そんな事背負えるの?」
「まぁ、如何なるかは見てたらいいわよ。でも、今言える事は、今日の機会を逃したら米は手遅れって事よ。…迷ってるわね、周二さん。…紘一さんは決めたわね?」
其の場に居た全員が紘一の顔を見た。
「向子さんには御見通しか」
紘?と言って、綜一は紘一の顔を見詰めた。
随分前に家業を織機から自動車に鞍替えしちゃったからね、と紘一は言った。
「自分が売ってる物が世界の大気に与えている影響には自覚的だよ。良い事も悪い事もね。其れでも今更会社を無くす事は出来ない。そうやって、より利益の有る方を選んで生きて来た。今回も、より被害の少ない方を選択する。決めた。今日、義式をしよう。何か起きたら責任は俺に有る。怨んでくれて構わないし、被害に対する助力は惜しまないから」
そんなの、と綜一は言った。
「あの場所から、画家になりたいって逃げ出した俺を助けてくれた人間にだけ、今更罪を被せない。今日の決断は俺の責任でもある」
怨むなら俺を、と綜一は続けた。
「…父親が、紘の両親に、あんな事をしたのに…紘達は俺を庇って、家族にしてくれた。俺が残って里を継いでいたら、俺が引き受けられたかもしれないのに、のうのうと生きて…孫まで生まれて、幸せに暮らしてる」
幸せなんだ、と言って、綜一は泣いた。
「里を置いて逃げて、…此処で幸せなんだ。…ごめん、ごめん、岐顕君。其れでまた、あの黒いものを里に追い遣ろうとしている。君達が、どんな目に遭うか…」
岐顕は、やめてください、と言った。
「其れは…貴方は良い長になったかもしれないけど。自分が幸せな事を謝る必要は無いですよ。其れに、俺だって今まで、母親は死ぬわ、兄貴は死ぬわ、嫌な目に遭わなかったとは言いませんが、別に不幸じゃない。辛い事が有ったなりに、親戚全体で賑やかに育てられたし、未だ父親は生きてるから家族も居て、友達も居て、其れなりに楽しく暮らしてきたんだ。此れからだって、何か楽しい事を見付け続けて生きて見せる。里で俺達が此れから不幸になるって決め付けないでくださいよ」
遣りましょう、儀式、と岐顕は言った。
「別に俺は、此れから起きる不幸を、此の儀式のせいだとは思わない。其れに、令一が今後如何なるのかは知らないけど、サキの話を信じるなら、其れは令一の問題って事でしょう。先代は賢君で、尊敬出来る叔父でしたよ。不幸の全てが、そんな、何だかよく分からない黒い塊からくる災いのせいだとも、俺は信じない」
―そうね、何が起きたって、家族を捨てて出て行っていいわけじゃない。何でも、宗教や呪いで解決しようとするのは違う。悪い事を因縁のせいだと決め付ける前に、仕事して、子供を育てないと。其れは、確かに、そうだわ。
燐子は、岐顕の主張に同感だった。
其の時、飛鳥の泣く声がした。
全員、ハッとして黙った。
中座します、と燐子は言った。
仕切り直そう、と顕彦も言った。
「何にせよ、儀式遣るなら着替えだ、向子。成子も立った、立った。さ、玖一さん、部屋を借りますよ」
はい、と言って、玖一も、案内の為に立ち上がった。




