出産
御産が、こんなに大変だとは思わなかった。
頑張った、と、燐子は、心から思った。
女の子だ、という自分の子供を見せられた瞬間、燐子は、娘に向かって、思わず、御疲れ様でした、と呟いてしまった。
―あんたも、御疲れ様でしたねぇ。
あんな狭いところを、長い時間掛けて出て来て、と燐子は思った。
娘は、黒い円い瞳で、燐子をジッと見ている。
産湯を使いに、娘が連れて行かれてから、凄く遅れて、燐子は、あ、可愛かった、と思った。
―今の赤ちゃん、可愛かった。
頭が、全く、自分が出産した、という事実に追いついていなかったらしかった。
玖一の事は言えない。
産まれるのを、一晩中、まんじりともせず、病室の外で待っていた玖一と綜一と紅子は、泣いて喜んだ。
「御疲れ様。有難う」
感激した玖一が、泣き過ぎていて、燐子が聞き取れたのは其れだけだった。
しかし、兎に角良かった、と思って、燐子は、ホッとして、玖一に微笑みかけた。
出産してから、其の翌日まで、燐子は、歩く時、膝が閉じなかった。
会陰切開の際の傷の痛みで、ロボットみたいな動きでしか歩けなかった。
トイレに行くのも、悪露の確認をされに移動するのも、しんどかった。
でも、終わった、と燐子は思った。
実際は、其れが始まりだったのだが。
医師に言わせると安産だったそうだが、産後間も無くから容赦なく始まった三時間おきの授乳は、燐子を疲弊させた。
しかし、生後三日目、娘に黄疸が出た、と言って、治療の為に保育器に入れられて、一日中会えなかったのは悲しかった。
新生児には、よく有る事で、治療も一日で終わる、との話だったが、燐子は、不安を誤魔化す為に、沢山寝た。
「御正月を外して生まれてくるなんて、よく出来た子だねぇ。気遣い屋さんの、良い子だなぁ。良い子良い子」
病室に会いに来てくれた綜一は、一月十一日に生を受けた、早生まれの、初の内孫に、何度も、良い子良い子、と言った。
誕生日さえ褒められるとは、今から相当甘やかされている、と思い、燐子は笑った。
紅子は、美人になるわよぉ、と言った。
三千グラム越えの、元気な女の子は、御乳を飲むのが下手だった。吸わせると乳首が切れる。暫くは、吸われる度にチクチク痛んだ。授乳する側も、される側も下手くそなのだ。しんどいが、如何にも新米同士、という感じがした。しかし、授乳に関しては、三ヶ月経っても、やっと、慣れたかな?という程度で、上達したか如何か、燐子には分からなかった。何しろ初めての子で、全てが手探りなのである。兎に角元気に育って、と燐子は念じた。
産後一週間後、燐子は退院した。
一週間で、娘は体重が増えて、顔も浮腫みが取れて、どんどん赤ちゃんらしくなってきた。
紅子が、白いベビードレスを贈ってくれた。
小さくて、何処もかしこも、フリフリのレースや、艶々のシルクに相応しくて、燐子は、こんな可愛い存在を見た事が無い、と思った。
家に帰ってから、玖一が、名前を飛鳥にすると告げると、綜一は、冷やかす様に、ヒュウ、と言った。
「わー、新婚旅行先ぃ?奈良だったしねー。わー、仲良いー。良かったねー、両親仲睦まじくて、飛鳥ちゃん」
綜一の言い方が、あまりにも御道化ていたからか、紅子が吹き出した。
燐子も笑った。
「…父さん、子供の名前言って、こんなに親に冷やかされるって思いませんでした。とことんまで他人事ですね?」
玖一も、最早、少し笑ってしまいながら、そう言った。
「いやま、自分以外の人は他人よ、そりゃ。でも、自分の子供の名前なんて、大事な事、自分で決めなさいって話。だから口出さないし、決まったら、其れが一番良い名前なの。自分で決めて偉かったじゃないの、玖一」
綜一が、ニカッと笑って、そう言うと、玖一は、はい、と言って泣いた。
嬉しいよねぇ、と綜一は言った。
「俺も、上の男の子二人は、自分で名前考えさせてくれてさ、御舅さんが。娘二人は、御舅さんが名前を付けてくれたけど、其れも、良い名前だったって思うよ。名前って愛情だよ。貰った時は、子供には分かんないかもしれないけど」
燐子は、ずっと微笑みながら綜一と玖一の話を聞いている紅子に、飛鳥を抱かせた。
紅子は、フワフワだわ、と感激した様に言った。
「あー、小さいわねぇ。こんなに、小さかったかしら、赤ちゃんって。飛鳥ちゃん、飛鳥ちゃん。可愛いわねぇ」
ああ、嬉しいな、と燐子は思った。
燐子は、此の家に、とても帰って来たかったのである。
燐子は幸福だった。
三十七歳で初めて授かった愛娘に、玖一はメロメロだった。
また、飛鳥は燐子に、よく似た顔の娘だった。
ちょっと、ツン、とした、其の生意気そうな雰囲気の顔を見て、時々、燐子は、鏡を見ている様だ、と思う。そして、燐子より、少し人形じみた顔の造作をしているところは、少々綜一を思わせもした。御人形みたい、と他所の人から、よく言われて、玖一は嬉しそうで、得意そうだった。




