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エチカ 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第二章 平成四年
19/43

引っ越し

 養子縁組の手続きが進んだら、善は急げ、と、二月中に、アパートを引き払う事になった。


 冷蔵庫と黒電話とエアコンと卓袱台(ちゃぶだい)をリサイクル業者に出し、衣装ケースに入った服や下着を処分すると、家と土地を売った時に、大分所持品を手放していた伊蔵の遺品は、本当に、古びた数冊のアルバム以外、(ほとん)ど残っていなかった。


 二束三文でも、仏壇さえ、値が付く大体の物は、売って、御金に換えて、そうして育ててくれた、という事を、燐子は再認識した。


 そして、業者が去った後、室内を片付けるのは、其れ程時間が掛からず、燐子は、伽藍(がらん)(どう)になった安アパートの床を、泣きながら掃除した。


 もう、此処に来る事は無いのだ。


 三年にも満たない期間だったが、伊蔵と最後に過ごせた場所だった。

 決して気に入ってはいない粗末な居住空間だったが、二LDKで、自室も一応在り、燐子なりに掃除して、大事に住んでいた。

 去年の春、契約を更新したばかりだった。

 今年出て行くとは、本当に、思っても見なかった。


 如何(どう)してこうなったのかな、と燐子は思った。


 此処に越して来たばかりの時は大変だった。

 無人の期間に、換気扇に鳥が巣を作ってしまっていたらしく、気付かぬ(まま)揚げ物をしたら、熱気で雛が死んでしまい、表に死骸がボトボト落ちていて、御近所を巻き込んで大騒ぎになった。


 夏に暑いから、と、アルミサッシを開け放っていると、(たま)に野良猫が飛び込んできて、パニックになって、卓袱台の周りをグルグル回って、大騒ぎになった。


 雛の死骸を片付けてくれたのも、猫を誘導して逃がしてくれたのも伊蔵だった。


 楽しい思い出は少なかったと思う部屋なのに、伊蔵との思い出が詰まっていて、出るとなると、如何(どう)して此処に伊蔵と住み続けられなかったのだろう、と思ってしまう。


―あと、ほんの二年だったのに。おじいちゃん。あと二年待ってくれたら、二年生きてくれていたら。働いて、一緒に御酒だって飲めて。


 泣きながら、燐子は、我武者羅(がむしゃら)に掃除をした。


 電話もガスも水道も電気も止めると、燐子と伊蔵が過ごした空間は益々(ますます)、ただの箱の様に思えた。


 急に、自分の家であった場所の様子が変わってしまい、燐子は其処が、生活する者を拒む様な無機質な雰囲気になってしまった様な気がした。


 契約で、退去時は自腹で畳が総取り換えで、十二万くらい支払わねばならなかったのは痛かったが、何と無く、手切れ金、という気がしたので、燐子は、黙って支払った。

 こんな安アパートでも、伊蔵との思い出の場所だった。其れが決まりならキチンと守りたい、と思ったのである。


 其れに、彼是(あれこれ)伊蔵の所持金を全て掻き集めると、大体十六万くらいで、燐子は、再び、此の為の御金だったか、と思いながら、十二万は畳の為に使い、残りは紅子に渡した。


―手切れ金か。此れで、更に卒業までしたら、此れまでの生活とは全て縁が切れる。良い縁も、悪い縁も。


 世話になった伊蔵の友人達に、吉野教諭と一緒に挨拶をして回り、少ないながらも伊蔵の物を彼等に形見分けして、安アパートを去ると、手元に残ったのは、思いがけず、担任との同居という縁だった。


 縁の切れ方があまりにも不可逆で、燐子は、()だ実感が無い(まま)、新居に移り住んだ。

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