勇二
綜一と燐子がアトリエを出ると、庭に、玖一が立って、待っていた。
綜一は、二人共、もう御休み、と言った。
吉野教諭は燐子と、食卓の椅子に向かい合って座るなり、ごめん、と言った。
「こんな、変な家で、ごめん。教えないで養子縁組するより良いと思うけど…」
いえ、と燐子は言った。
「教えてほしいです、『あれ』の事。抑『あれ』は何なのか」
「え?」
「御先祖からの因縁、っていうのは分かりました。でも、其れが創子さん一人にだけ現れる事の説明にはなってない。創子さんが『本当に』勇二さんを好きだったから、あの黒い塊に付け込まれた、って聞きましたけど、其の事自体の説明は、してもらってない。…聞いて良いか分からないですけど」
「…君、結構鋭いよね」
誰にも言わないでね、と吉野教諭は言った。
曰く、吉野勇二は、其れは美しい若者だった。
其の美しさと清廉さは、時に妬み嫉み等の負の感情をも引き寄せた。
「多分ね、バイク事故は偶然じゃない」
「え?」
「バイクに二人乗りして事故に遭った時、運転していた子の方も亡くなったけど…状況からして多分、心中だったから。見ていた人が沢山居てね。農道をぶっ放してて軽トラにバイクがぶつかる時…一度も、運転していた子は、速度を弱める事もしなければ、ブレーキを掛ける事もしなかったって」
「其れって…事故?」
「今となっては、何も分からないけど…兎に角、そうして弟は、バイク事故で死んでしまって…あれ以降、創子と周子が、あんな風になった。勇二が生きていた時は、本当に、普通の妹だったのに。…今じゃ、信じられないでしょう。周子は、殆ど表情が無くなって、創子に言われた通りの事しかしなくなってしまって。創子は、半狂乱になって…高校を出ると、フラフラ遊び回る様になって、伊豆の海水浴先で出会った人と衝動的に結婚して、周子も連れて行っちゃった。そして、夫だという人の親戚に嫁がせた」
「…そんな事が?」
「いや、ああ見えてね、此の家に近付かない時は、至って普通の妹達で。…信じられないでしょう。伊豆で偶然出会ったら、多分別人だよ…。創子にとってはね、俺は、勇二が亡くなった時に千葉に居て、傍に居てくれなかった人間だから。一番苦しい時に、創子の傍に居られなかった俺は、創子の中では、家族じゃなくなった」
そういう事には覚えが有る燐子である。
しかし、何か、其れだけでは説明しきれない違和感が拭い去れないでいた。
「創子は俺が許せない。勇二が死んだ事も。勇二が受け取るべきだった遺産を、俺が僅かでも受け取る事も。俺にだけ子孫が出来る可能性が残っていて、勇二に子孫が居ない事も」
此の家は、未だに、勇二という存在を中心に回っているのだ、という事を、燐子は知ってしまった。
其の人物に、其の人物の死に、未だに人々は捕らわれていて、抜け出せないのだ。
違和感の正体を掴み切れない儘、燐子は、途方も無い気持ちを抱えた。
「俺にとっても…妹だけど、何時の間にか、やって来ては母さんを泣かせる『妹』っていう現象みたいになっちゃった」
ごめん、と、吉野教諭は、もう一度燐子に謝った。
「こんな、変な家に」
「もう謝らないでください。…皆で一緒だったら、何だって、きっと大丈夫」
此の家の子になります、と言う燐子に、吉野教諭は、悲しそうに微笑んで、今夜は、もう休もう、と言った。




