第一章〜運命の歯車は動き出す〜
東の空がうっすらと白く色づき始めた頃、マナの意識は悪夢から逃れるように覚醒した。
(あの時の夢なんていつぶりだろう)
あまり思い出したくない幼少期の記憶。ここ数年は思い出すこともなく、忘れ去ったつもりでいた。
そんなつもりでいる時点で、まだ過去に縛られているのだろうが……
気持ちを切り替えるようにぐっと伸びをして、大きく息を吸い込むと、縮んでいた肺が広がる感覚とは対照的に、先ほどまで胸の奥につかえていた不安が小さくなっていく。
「よし」
マナは自分を鼓舞するように頬を両手でピシリとうつと、ベッドに残る温もりに後ろ髪をひかれながらも朝の支度を始めた。
手早く寝癖を整え、着替を終えると自室を後にする。廊下に出るが同居人の気配はない。どうやら昨晩は帰らなかったらしい。
念のため隣の部屋を確認するが、中は昨日と変わらず、そこに養父の姿はなかった。
(私の分だけなら今朝はアレ、出しちゃおう)
マナは一階にある倉庫に向かうと、吊るされていた羊の腸詰を燻製にしたものを2本切り取る。パンは少し厚めにスライス。後は新鮮な野菜もあれば言うことなしなのだが……
パンは少し硬くなっていたが、腸詰と一緒に食べると口の中で腸詰の油分と合わさり幾分かマシになった。今更ながら空腹を訴え始めたお腹を黙らすようにパンに食らいつく。養父が見たら厳しい顔をさらに顰められるだろうが、今はいないのだ気にしても仕方がない。パンの香ばしい麦の香りと、腸詰のちょうどいい塩加減を味わっているうちに、気づけば少し豪華な朝食は全てマナの胃袋に収まってしまった。
「ごちそうさまでした」
食べ終えた頃には窓から朝日が差しこみ始め、外からぽつぽつと人の声が聞こえ始める。職場までの距離を考えるとそろそろ家を出た方がいいだろう。
玄関脇の棚から革製の肘当てと膝当てを取り出し装着する。最後に、棚の脇に立てかけられていた金属製の胸当てを手に取った。
いくつもの細かい傷が目立つそれは決して上等なものとは言えぬが、この数年を共に過ごした大切な相棒だ。支給された頃には大きく重く感じられたそれも、今ではまるで最初からマナのために作られたもののように体に馴染んでいた。とはいえ、後数年もすれば体格も変わり、この愛しい相棒との別れの時も来るのだろう。来るはず。来て欲しい……
何故だろうか。そう思うとこの相棒が途端に憎らしく思えてくる。もう十五にもなったというのに、未だにマナの体には女らしさの一つも現れていない。
いや、まだまだ成長の余地はあると意気込みながら胸当てを鎧う。
「行ってきます!」
頭をよぎる変な思考を振り払うように、マナは無駄に大きな声で出立を告げた。
家を出ると、先ほどのマナの声が聞こえていたのか、近所に住む何人かがマナを見とめて挨拶してくれる。それらに返事を返しながら、マナは街の中央、広大なドーラ王国を統治する王が住まう城。つまりは自分の職場へと向け足を進めた。
大陸の中央にあり随一の領土を誇るドーラ王国。その王が住む城となると北方三国や、東の神聖帝国などの僻地とは比べ物にならない大きさを誇る。とマナは聞いている。無論、マナはそれらの国を訪れたことはないし、ましてや城など見たこともない。それでも、その話を聞き、実際にこのハーケイン城を見た時はこの城に勝る建物などこの世界に存在しないだろうと納得してしまった。
まず、何よりも大きさだ。王都のどこからでも見えるその威容。塔は天を突かんとばかりに伸び、街一番の教会をさらに一回り大きくしたかのような居館は、言外に王の威厳を讃えている。それだけで巨大でありながら、白磁出てきたかのように真っ白で、虫一匹付いただけでも目立ってしまうのではないかと思えてくる。
白い。大きい。その二言で表せてしまうのに、そのシンプルさが寧ろ城全体に神聖な空気を醸し出していた。
出勤したマナが向かったのはそんな城の外壁、十二ある城壁塔の一つである。
「お、今日も早いなマナ坊」
職場に着くと酒臭い匂いと共に声をかけられた。
声をかけてきたのは背の高い中年男性。身なりに気を使えばそこそこ格好がつきそうなものだが、穏和そうに見える垂れ目を酒でさらに下げ、油っぽい髪を無造作に後ろで束ねているその姿はただの酔っ払いだ。
「おはようございます。ロドリクさん。今日もお仕事熱心なようで何よりです」
ロドリクは今日も安物の蜂蜜酒片手に夜勤に励んでいたようで、その顔は朱に染まっている。
そんな様子を見て、マナは語気を強めて皮肉気に言った。
「まぁそんな怖い顔すんなよ。昨日も平和、今日も平和、明日も明後日もその次も、何事もなく平和が一番ってぇもんだ」
マナはこのロドリクという人物がどうしても好きになれない。仮にも灰の騎士団で十二塔付きの副長であるというのに、騎士としての矜持もない。ロドリク自身は自分は部下に好かれてるなんて嘯いているし、実際部下との関係は悪くはないようだが、この美しい城には彼のような汚点は要らないとマナは思っている。
「その平和を守るのが我々の職務です。そんな様子じゃ、有事の際にどうします」
マナは朱に染まったロドリクの顔を指して言うが、当のロドリクは子供の駄々を聞く親のような顔でマナを見返す。
「へっそん時ゃそん時よ。何があっても臨機応変、その場でできることをやるまでさ。張り詰めた糸なんてのは簡単に切れちまうからな。案外団長もその辺をマナ坊に教えたくてココに配置したのかもな」
今度はマナの方が赤くなった。
「とうさ……団長のお考えは関係ありません!私は一衛兵としての矜持を問うているのです!」
捲し立てるマナの様子にロドリクは何かを察したようにぼりぼりと頭を掻く。
「へいへい。分かりましたよ。おいミシェル」
ロドリクは塔の淵で街を見回している一人に声をかけると蜂蜜酒の入った瓶を投げやった。
ミシェルと呼ばれたマナとそう年の変わらぬ青年が慌ててその瓶をキャッチする。落として割れようものなら一日酒臭い職場で勤務することになるところであった。
二人のやりとりをマナはじとっとした目で見ている。
そんなマナの様子にロドリクはやれやれと肩をすくめると、早口に申し送りを始める。
昨日は何事もなかったが、最近宮中の様子が不穏だから侵入者には用心しろとか、今日は十日市の日だからそちらにも目を配っておけとか、午後には大事な来客があるらしいとか、最近新しく召し抱えられた使用人はなかなかスタイルがいいだとか。
最後のはともかくとして、意外にも真面目な話であった。
と言っても、ロドリクはいつもこんな感じである。のらりくらりと生きているようで、これで意外と仕事は真面目にこなす。マナに言わせれば職務中の飲酒はご法度だが、それを理由にロドリクがヘマをしたと言う話は聞いたことがない。
だから、好きにはなれないが嫌いにもなれない。
「分かりました。お勤めご苦労様です以後は自分が引き継ぎます」
「ん。じゃあお疲れさんっと」
ロドリクは後ろ手に手を振りながら階下へと姿を消した。
マナは未だに残る酒の匂いから逃れるように、塔の淵へと向かい、そこから街の大通りの方へと目をやった。そこでは先程ロドリクが言っていた十日市が開かれていた。
まだ早朝だと言うのに市の辺りは人通りが多く、距離があると言うのに喧騒が聞こえてくるような錯覚を覚える。
自分はロドリクのようにはなるまいと心に誓いつつ、異常はないかと目を細めて市を見回す。
一番多いのはやはり旅人の姿か。文字通り物流の中心であり、何か物珍しいものはないかと物見遊山に耽る人々の姿は多い。その中には緑の肌の者や青白い鰭の生えた者といった人ならざる者の姿も混じっていた。
彼ら亜人種との確執があったのは十年前のこと。今では王都にもチラホラと亜人種の出す店の姿が見える。とはいえ強靭な肉体や超常の力を持つ彼らが暴れた時の被害は人の比ではない。そういった者に自然と目がいってしまう。
そのおかげか、マナはそれを見つけることができた。
いや、仮に亜人種に注目していなくともそれを見つけることは容易かっただろう。
それだけその姿は異様だった。
巨人種ほどではないにせよ、大柄な亜人種と比較してもひとまわり大きな巨躯。全身に纏った襤褸のせいで、特徴らしい特徴は掴めない。ただの浮浪者か、そう思いつつも街道のど真ん中を堂々と歩く姿にはどこかの王族のような威厳すら覚える。
マナが襤褸の男を眺めながら、「あの不審者が何も問題を起こさなければ良いんだけど……」と、そう呟いたまさにその時、その巨漢は立ち止まって、マナのいる方向へと顔を向けた。
まるで胸を思いっきり突かれたような衝撃が体を走り、額には嫌な汗が一筋流れる。
マナはこの時初めて、蛇に睨まれたカエルの気持ちを知った。
いつでも体を全力で動かせるようにと、心臓が早鐘を打って全身に血液を送る。塔と男との間には十分な距離があるにも関わらず、恐怖からかマナの体は逃げ出したいという欲求に支配されかけていた。
しかし、その衝動を留めたのもまた、恐怖心からであった。『アレ』を城内に入れてはならないという、衛兵としての勘が、彼女をその場に縫い付けていたのだ。
私が守らなければ!そう決意すると、マナは一度大きく息を吸い、心を整えて男の方を睨み返す。
男が顔を上げていたことで、鼻から下の半分が日の下に晒されているのが見えた。
その赤黒い肌は日に照らされてか、まるで燃えているかのようにさえ見える。
(鬼人だ!)
マナは驚きに大きく目を見開く。
鬼人とは、赤い肌の逞しい肉体と、男性ならば二本、女性ならば一本の立派な角を持つ有角の亜人種である。その多くは類い稀な鍛造術を持っており、彼等の作る逸品を求める人類とも古くから交流を持っているため、数は少ないとはいえ、王都のような大きな街でならばその姿を見ることは決して珍しいことではない。
しかし、彼等はその鍛治の腕と同じくらいに、好戦的であることでも有名なのだ。その上あの鬼人は顔を隠すようなフードを被っている。わざわざ顔を隠すのは、人間にしろ鬼人にしろ何かしら後ろ暗いものがあるからだろう。
男の一挙手一投足をも見逃さぬという意気込みで、精神を研ぎ澄ませていたせいか、その声が聞こえた時は飛び上がりそうなほどに驚いた。
「何か、面白いものでも見えるのか?」
抑揚に欠けた低い声はマナの緊張感を瞬時に解いてしまう。
反射的に振り返ったマナの目に映ったのは、いつも通りの無表情がはりつく赤ら顔。いや、朱を帯びたと言うにはその肌は赤すぎた。
マナは彼を見るたびに、加工するために熱した鋼のようだと思う。
赤白く輝き、近寄りがたい。
違いは、彼はどれだけ叩かれても決して曲がることがない点だろう。
灼熱している。それでいて完成した一振りの剣。
触れれば切れるどころか、寧ろ火傷で止血すらしそうなそれは、しかし、仲間の前では大人しく鞘に収まっており、むしろ太陽にも似たぬくもりを振りまいている。
それが目の前の人物、即ちグァロムである。
彼はマナにとっての上司であり父親代わり。命を救ってくれた恩人にして、最も尊敬する――――鬼人であった。
「い、いえ。少し気になる事がありまして……」
言い淀んだのは、その『気になる』対象がグァロムと同じ鬼人だったからだ。
鬼人だから不審者と疑ったわけではないが、件の男を見る目がマナが嫌悪する貴族たちのグァロムを見る目と同じだったのではないかという思いがマナの心に暗い影を落とす。
「なんだその歯切れの悪い物言いは。お前らしくもない」
グァロムの目が真っ直ぐにマナを捉える。その目を前に隠しても無駄、いやそもそも不審者の情報を上官に報告しないのは衛兵としてどうなのだ。
「はっ!報告が遅れ申し訳ありません。少々怪しい人物を正門通り、丁度十日市が開かれている付近にて発見したため監視しておりました。一瞬見えた肌の色は鬼人種に酷似。されど決定的な特徴、角等は確認されず。よって性別も不明でありますが体格からは男性と推定されます」
「そうか。そんなタイミングで来た鬼人も悪かったな」
「いえ、決してそのようなことは……」
マナがやり場に困った眼をグァロムの背後に向けると、同僚たちが心配そうにマナの方を見ている。
どうやらマナが叱られていると思ったようだ。
無論、グァロムがその程度で怒りを露わにするような狭量な人物でないとマナは知っているが、彼等にとっては怖い上司でしかないのだから致し方ないだろう。
「冗談だ。それで、その鬼人とやらはどいつだ」
グァロムは口の端を僅かに上げ微笑んで見せる。そこにはマナのよく知る養父の姿があった。
「先程までは丁度バナーズビアーの辺りに……あれ?」
振り返ったマナが見た街道にそれらしい姿はない。
「バナーズビアーといえばあれか、この前お前が言ってたところか。旨かったのか?」
「それはもう!流石は大通りに店を構えるだけあってスペアリブの特製ソースがピリッと甘辛でおいしい……ってそうじゃなくて!」
つい素で答えてしまったことに気付きグァロムの方を見ると、にやりと人の悪い笑みを浮かべていた。
彼は時たまこうして家にいる時のようにマナを扱う。仕事中はやめて欲しいと何度か言っているのだが、聞いてくれる様子はない。
マナは諦めて真面目な様子で通りに目を戻した。
「確かにいたはずなのですが……どこか横道に入られたかもしれません」
「そうか……あの辺りの道は入り組んでいるうえに、建物が密集しているからな。ここからではもう見つかるまい」
どうやらグァロムもこれ以上ふざける気はないらしい。
「それはそうと」とグァロムは何かを思い出したように縁に背を預け、腕組みしてマナの方を向く。
「ここに来たのはお前に用があってのことなのだ」
「自分にですか?」
まず頭をよぎったのは自分が何かやらかしたのだろうかということだ。大した用事でもなければ王直属の『灰の騎士団』を預かる身であるグァロムが直接マナの元を訪ねることはない。本来なら平時は執務室で書類の山と格闘している身なのだ。まぁ仕事を部下に任せ見回りと称して雑談しにくることはよくあるが……
「王国騎士団長から直々のご指名だ。なんでも近々やってくる冒険者の出迎えをやってほしいらしい」
「冒険者、ですか?」
冒険者相手に出迎えとはいささか大仰である。どこぞの貴族の子息か何かが、遊び半分で冒険者などと名乗ってでもいるのだろうか?
マナがそう思っていると、グァロムの口から
「なんでもアミュ・アーガマイト殿の御子息だとか」
「アミュ様の御子息!」
マナは興奮気味に食いつく。
それもそのはず、アミュ・アーガマイトと言えば先の魔人大戦で活躍した英勇の一人。魔族という共通の敵がありながらも互いへの牽制を続けていた亜人種と人類の仲を取り持ち、数人の仲間と共に魔人の王が住む居城に突入。最後には単身魔人の王を仕留め数十年に及ぶ戦争に終止符を打った大英勇なのだ。
この大陸に住む者ならば物心ついたばかりの幼児さえその名前を知っていると言っても過言ではない。
しかし、息子がいるという話をマナは聞いたことがなかった筈だが……
「なんでも最近冒険者になったばかりだそうでな。都を訪れたというのを陛下がお耳に挟んだようで、謁見の場を設けるそうだ」
確かに、あのアミュ・アーガマイトの子息ともなればそこいらの貴族連中の道楽息子とは扱いが違う。救国、いや救世の勇者の息子なのだ。一国の王が直々に謁見するのも頷ける。
しかし、となると今度はなぜ自分がその場に呼び出されるのかという疑問が浮かんでくる。
やもすれば王国騎士団長が案内役となってもなんら不思議ではない相手なのである。
その疑問を感じ取ってか、グァロムが言葉を続ける。
「が、御子息もまだ若い。陛下や貴族連中を前に緊張もあろう。そこで、年の近いお前に案内役になってもらい、少しでも緊張感を解して貰いたい。それが陛下からの要望だ」
他でもない国王陛下の言である、受けぬ道理はないはずなのだが、何故かグァロムは渋い顔である。
まだ世間もよく知らない小娘であるマナでは想像だにもしないことだが、王宮勤めのグァロムであればいやでも城内の権謀術数張り巡らされる企の話はよく耳にする。
グァロムが纏める灰の騎士団は王の懐刀。とは言えその構成員はグァロムが直接採用した平民上がりが殆どだ。かく言うグァロム自身、見た目の通り、騎士でありながら貴族階級とは名ばかりで、その政治的発言権は無いと言っても等しい。
そこに英雄の息子が城を訪れるという話が舞い込んできた。なんとか彼を抱き込めればグァロムの力も増す。ひいては王自らの戦力が補強されると言うことだ。
簡単に言えば、王はアミュの息子とマナを引っ付けたいのだろう、と。
「嫌ならば、断ってもいいと陛下は仰っていた」
本当はそんなことは言っていない。しかし、マナが断るようならば他の者をつける言い分は幾らでもある。
「騎士団長様のご命令ですよね?断る理由があるのですか?」
グァロムは逡巡する。その顔はどこか悲し気であった。
「すまない」
父のそんな姿を見るのは初めてだった。珍しいものが見れた、とマナは微笑ましく思う。
「分かりました。拝命致します」
マナは右手を胸に、左手を腰の後ろに当てて頭を下げる。騎士の礼だ。
「では、昼食を取った後、俺の執務室に来い。以後のことは、追って伝える」
感情を取り去った平坦な声が頭の上を通りすぎ、グァロムが振り返る音が聞こえた。要件が終わったので帰るのだろう。
マナはそのままの姿勢でグァロムが去るのを送った。




