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その翼は誰がために Rites of Maiden  作者: 雨宮 桜花
1章 羽振の乙女達
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4.天駆ける白

 顔には出ていないかも知れなかったが、志沢悧奈は悩んでいた。困り果てていたとも言って良かった。悧奈は羽振で魔術というものに触れてからまだ半年にもならなかったし、自分がどこまで理解できているのかも自信がない。

 それに自慢でもないが、学院としての伝統だとしても誰かにものを教えるのは不得手だった。実質的に数合わせで指導する側へ回る羽目になったかと思うと、それだけで何とも言えない気分になる。

 幸い籤の引きまでは運に見放されなかったようで、ペアを組む尾崎栞奈は良く付き合ってくれた。同じ年頃にしては屈託のなさ過ぎる彼女は、自分を擦れた性格だと自認している悧奈には素直さが眩しすぎる嫌いはあったが、地味な練習をする分には有難かった。

 実技と言えば聞こえはいいが、最初に行う離着陸の練習は単調だった。それに個人差はあるにしても、まるきり初めての場合は脚を地面から離すだけでも時間がかかるものだった。栞奈からすれば足踏みを繰り返しているようにしか思えなかっただろうし、悧奈もあえて十五回目から向こうは数えなかったが、ようやく彼女の努力が報われた。

「お、おぉ……!? 浮いてる、浮いてるよ! りなちゃんっ!」

「ええ、うまくいったから。落ち着いて」

 よほどこの授業を楽しみにしていたのか、地味な作業にも熱心だった栞奈のテンションは、ここに至って最高潮といった様子だった。悧奈の記憶からしても無理もないことだが、しかし彼女をうまく地面に降ろさなくてはならない。それを思うと、安堵するにはまだほど遠かった。

「ええと、尾崎さん」

 しかし、声をかけてみても、栞奈の意識はどこか上の空のようだった。いつしか視線も自分の足許や悧奈の方ではなく、遙かな空へと向いている。どうしたのかと訝しんだのもつかの間、栞奈は視線を向けていた空を指さした。

「……ね、りなちゃん」

「尾崎、さん……?」

 悧奈もつられて見上げると、二人の人影が空を舞っているのが見えた。距離もあって、先頭を飛ぶのが誰なのかまでは判然としなかったが、その斜め後ろで白銀の髪を靡かせて続く少女の姿は、悧奈にも栞奈にも明らかだった。

「あれ、さ。ゆきちゃんだよね……?」

「え、ええ……」

 栞奈の言うとおり、見間違いようがなかった。あれだけ目立つ髪は学院中を探しても、雪華一人だけだろう。呆然と栞奈と顔を見合わせると、彼女も困惑と隠しきれない興奮がない交ぜになったまま呟いた。

「すごい、ねえ……」

 それについては、悧奈も全くの同意見だった。二人はこれからやろうとしていたことも忘れて、しばらく空を見上げていた。

 正確な高度は悧奈にも見当がつかなかったが、校舎の倍近く、二十から三十メートルほどだろうか。最初のうちは先頭を飛ぶ少女が左右に緩く旋回して、少し離れて背中を追う雪華になぞらせているようだった。彼女がこうした飛行に慣れているとは思えなかったが、意外にも危なげなく、ぴったりと追随していた。

 それを先導する方も把握しているのか、悧奈が見ているうちにも左右へ旋回の半径は小さくなり、時折上下方向へ進路を取ることもあるのだが、雪華はそれもうまく捌いて背中に張り付く。特に最後の水平面での旋回半径は小さく、ほとんど急旋回と言って良かった。

 これだけ自在に動き回ると、広大なグラウンドの敷地すら狭苦しく見えた。あれだけ素早く激しい機動なのだから、先頭を取る少女はかなり手練れているはずだった。それに雪華はよくついて行けると、悧奈は思う。

 飛んでいる方も一応は気を遣っているのか、ほとんど一周しながら旋回を終えた少女がグラウンドの境界を越えることはしなかったものの、代わりとばかりに大きくループを描いて高度を稼ぎ始める。

 ループを描く途中までは少女の背中が悧奈から見えていたのだが、途中で身体を捩って正面を向く。僅かに遅れてループを辿る雪華も、それに習って姿勢を変えた。

「篠宮さん、よく付いていってますね。前は、牟礼さんでしたか」

「ええ……」

 その頃には、このちょっとしたショーに気づき始めたのか、悧奈の周囲でもざわめくような声が届くようになっていた。近くで怜とペアを組んでいたはずの瑞樹に生返事をしつつ、一瞬だけ目を離して怜を見ると、彼女は立ち尽くして祈るように両手を重ねていた。前から世辞にも仲が良いとは言えなかったが、お互いこの様子では練習どころではないだろうと、今回ばかりは悧奈も怜に同情するところがある。

「ぁ……っ!」

「……ちょっと」

「あら」

 食い入るように見つめていた栞奈が息を飲んだのは、その直後だった。ループの頂点に達して高度を稼ぎきった明香が、頭を下にして急降下にかかったのだ。とはいえ、本当の問題は明香の挙動より、それに躊躇わず食いついていった雪華の方だった。

 いくら何でも、ほとんど経験のない初心者には無謀な行為だった。さざめくような声がやにわに広がる。立ち尽くしていた怜に至っては、もはや声も出ないようだった。

 万一の事態に備えて、優や数人の生徒達が地を蹴って取り囲むように空へ上がる。とはいえ、低速であればまだしも、意図して高速度の降下を続ける相手を物理的に押さえ込んむのは困難だった。

 これでは、地上でも空中でも、制止する手段はほとんどない。なるべく高度のある早い段階で引き起こして急降下をやめるか、今すぐにでも失神でも起こすのを期待するしかなかった。意識を失えば、自己防衛本能から身体は空中に留まるはずだが、仮に目算を誤ってしまえば文字通り地面か校舎へ突っ込む羽目になる。

 いくらか角度はついているはずだが、悧奈からは二人がほぼ垂直に突っ込んでくるように見えた。恐らく、上空の彼女達からしても似たようなものだろう。少なくとも目算で高度と距離を測って降下角を割り出してみせるほど悧奈も冷静ではなかったし、だいたい複雑な計算をする時間もない。生身故に航空機のように速度の出るものではないが、高度もたかが知れているのだから、おそらく引き起こして上昇に転ずるまでは数秒しかなかっただろう。先に明香が身体を引き起こしたのは、悧奈にも見えていた。彼女は校舎の角を掠めるようにして水平に姿勢を取り、緩やかな角度で降りていく。

 一方で雪華は地面すれすれまで、姿勢を立て直す素振りが見えなかった。衝突するのではないかと息を飲んだ瞬間、背中で揺らぐ陽炎が真白く煌めいた。

 真下から見上げれば一対の翼のように見える光は、急速な運動エネルギーの変化を処理する魔術行使のバッファとして生じるものだった。特徴的であるととも印象深いそれは、昼間でも目が眩むほど鮮烈で、遺憾なく雪華の身体を制動させた。

 一挙に減速した雪華は背中を投げ出すように宙返りさせて、土埃のひとつもなく爪先から地面に降り立つ。彼女の足許だけ重力がなくなったのではないかと、悧奈が錯覚するほどに。

「ふ、ぅ……」

 安堵したように栞奈が息を吐くと、つられて悧奈も強ばった肩が緩むのを感じた。とても同じような真似を悧奈は試すつもりになれないものの、白銀の髪を舞い上げて降り立った雪華の姿は、まさしく天使を意識させた。

「なかなか、度胸のある……」

「……あのね」

「あいたた」

 思わず見蕩れてしまっていたのを自覚すると、悧奈は隣で妙に感嘆している瑞樹の背を、遠慮なく平手でどやしつけた。

 実質的には見ているより他なかったとはいえ、明らかに見蕩れている場合でも、感心している場面でもなかった。少なくとも理由はともかく、雪華を抱きしめに向かった怜の方が、空に上がらせない点ではよほど適切な反応だろう。

 そこであることを思い出して、悧奈は再び空を見上げた。この事件を引き起こした明香は、とうに少し離れた場所に降りたようだった。

 ついで、視線を正面に戻すと栞奈と目が合う。悧奈に対して小柄なはずの彼女だが、今の視線は明らかに高かった。

「……りなちゃん」

「ごめん、尾崎さん。……今降ろすから」

「……うん」

 彼女もそのことを思い出したのか、悧奈と瑞樹を見る目は、今にも道ばたで捨てられそうな子犬のそれだった。

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