第1話
「ねぇ、君には何が視えているの?」
白いワンピースを揺らす君がそう言った。セミが鳴く8月上旬の猛暑、頭を朦朧とさせながら僕は答えた。
「雲ひとつない青い空とうるさく鳴いているセミたちが見えているよ」
彼女は汗ばんだ額を拭いながら笑った。
日本は四季折々というが僕はそんなことはないと思っている。季節がくれば皆口を揃えて”気づけば訪れた”と言う。勤勉な日本人にとっては季節などを感じる暇などなく日々を過ごし、夏が過ぎた頃に秋を忘れたまま冬が来たと嘆く。斯く言う僕も桜を見て高校2年生になるかと考えている。家から自転車を走らせながら駅へ向かう途中には様々な光景が目に入ってくる。後ろを向きながら歩く小学生や疲れた顔で歩くサラリーマン、パジャマ姿でゴミを捨てる主ふやいつもは賑わっている居酒屋など、毎日見る光景のはずなのにどこか違って見えている。信号に引っかかってしまって今日はスムーズに登校できなかったとどうでもいいことを考えているうちに駅に着いた。7時32分。腕時計の針がいつもと同じ角度をさしていることに妙な安堵感を持ちながら改札を通る。2番線ホームの2両目で電車が来るのを待っていると面白くないことに予定通りに電車が到着した。
僕は優先席が嫌いだ。座っている人を見るとやけにムカムカするのに、混んでる時に空いていると誰か座ってしまえと思ってしまうからだ。今日は同じ高校の制服を着た生徒が座っていてより一層怒りが湧いてしまった。
「おはよう、涼」
僕の喜怒哀楽を無視するかのように話しかけてきた。
「あぁ、おはよう」
素っ気なく返しても相手の表情は変わらないままだ。高校からの友達である遥は通学用の鞄を片手に持ちながら肩から提げている重そうなカバンを持ち直した。少し寝癖がついた遥の髪を見てもなんとなく指摘しない僕は意地悪なのだろうか。
「今日も部活?」
「新入生も見に来るからね。それに練習試合も近いから休みがほとんどないんだ。」
自分の話となると表情がころころ変わって忙しい奴だ。自己肯定感が強く他人に興味をあまり持たないからこそ友達をやっているのかもしれない。
人間なのか機械なのか未だわからないアナウンスが目的の駅名を告げたところで右の扉が開いた。同じ服をきた同じような人間が同じ向きを向いている姿は、電車に乗っているのか運ばれているのかわからない。目的と手段が交差する現代にはぴったりの光景に口角を上げていると歩幅を揃えてホームに降り立った。エスカレーターではなく階段を使って登ることに優越感を覚えてしまうのには多分理由なんかないのだろう。
「涼は春休みは何してたの。」
「特に何もしてないよ。起きてご飯を食べてゲームをして寝るだけ。」
「それは何もしてないとは言わないよ。」
「そういうの屁理屈っていうんだよ。」
駅から学校へ向かう時の他愛もない会話だ。他人が聞いていても面白くない会話なのに本人達にはしっくりきている。
住宅街を通り抜けると桜と葉桜が共存している木が一直線に並んでいる道へ出た。そこをまっすぐ進むと僕たちが通う東海高校の正門にたどり着く。部活動勧誘が行われているのが空想世界では当たり前かもしれないがあれは真っ赤な嘘だ。絵に描いたような高校生活はそこにはなく、規律と模範で塗り固められた集団生活があるだけだ。
「「おはようございます」」
持ち回りで挨拶運動をしている先生に挨拶を交わし、木でできた扉もない下駄箱に靴を雑に放り込み、黒く汚れた上履きに履き替えた。3階建ての校舎の2階を目指して階段を登る。上を見上げると女子から変態という烙印を押されかねないために、なるべく足元に視線を向けて階段を登る。各クラス独特の香りが教室前から漂う廊下を歩き、2ー3の教室に入る。
「おーい席につけ。」
ホームルームの予鈴と共に担任が入ってきたために、全員が自分の席へと戻った。簡単な出欠確認と連絡事項の伝達を終え、担任は少し気だるそうに職員室へと帰っていった。静かな教室が徐々に活気を取り戻す中、僕は1限目の準備をしていた。教室内ではいくつかのグループができているが、一人でいる僕はクラスというグループに所属しているらしい。居心地が悪いのはクラス替えが間違っているせいだろうとどうにもできない理由をつけて言い訳をしていた。
1限目の授業が始まり、先生の声とノートにペンを走らせる音が教室を充していた。僕は授業という時間が大好きだ。睡魔との戦いや暇を潰すこと、ノートを綺麗にとることや恋をして上の空になること。各々が個人戦を繰り広げているからだ。それでも先生の機嫌を損ねないように皆が授業を聞いているふりをしているのを考えると、案外団体戦でもあるのかもしれない。