9.「僕」と座敷わらしのおはなし
このアパートには、結構な頻度で子どもが迷い混む。今日も僕の目の前には、汗をぐっしょりかいた女の子が、泣きもせずに立ち尽くしていた。なんてこったい。
別にアパートの周りは、分かりにくい場所ではないんだけどねえ。近所には大手のコンビニがあるし、クリーニング屋さんやら郵便局だってある。それなのに、迷子が来るのはこのアパートばかり。いっそ開き直って、子ども110番の家に登録すべきなのかもしれない。
とはいえ、迷子の取り扱いというのは案外難しい。切ないことだけれど、男性というだけで警戒されることだってある。うん、ロリコン死すべし。じゃあ冤罪を避けるために子どもを放っておいてよいかと言われると、もちろんそれはNGだ。小さな子どもたちが犯罪に巻き込まれるのを防ぐにはどうしたら良いか。何とも悩ましい。
よく言われているのは、「信頼できる別のおとなを呼んでくる」だ。デパートなら受付のお姉さん。警備員さんやお巡りさんがいたら、当然それも選択肢になる。それから周囲のひとにも声をかけ、協力してもらうことも大切だ。
つまり、僕が今とるべき選択はただひとつ。すっと息を吸い込み、声を張り上げる。せえの。
「管理人さん! 迷子です!」
投げやりというなかれ。地域の警察署が小学校で教えてくれる防犯教室でだって、まずは助けを呼ぶことが重要だって習うんだからね! あ、「助けて!」だと面倒ごとになるのを避けて、人が来てくれないこともあるから、「火事だ!」って叫ぶことが有効らしいよ。
はーい、という管理人さんの声が聞こえて僕はほっとする。これで、ロリコンの誘拐犯疑惑だけは避けられるわけだ。それにしても、この子大丈夫かなあ。顔は真っ赤だし、何だかふらふらしているように見える。この暑いなか、迷子として何時間もさ迷ったのだとしたら、心配なのは熱中症だ。最悪、死に至ることもある。
「ほら、お水、飲んでごらん。大丈夫、今開けたばっかりでキレイだからね」
目の前で封を切りながら、僕は子どもに水を飲ませる。いっそ頭からかけて、冷やしてあげたいくらい。とりあえず僕は、アパートの影に女の子を避難させる。
ごきゅ、ごきゅ、ごきゅ。
勢いよく彼女の喉が鳴る。どうやら思っていた以上に、喉が渇いていたらしい。どうしよう、お水だけじゃあ体温が下がらないかな。たまたま、多めにアイスを買っていたところだし、これもあげた方がいいかな?
「アイスもあるよ?」
アレルギーとかが心配だけど、アイスクリームじゃなくって、無果汁のアイスキャンディーだから、大丈夫かなあ。とりあえず、冷えピタがわりに使ってもらうか。僕がアイスを渡すと、女の子は嬉しそうにアイスを頬に当てた。できればそれは、脇の下か鼠径部に当ててもらいたいんだけど、それこそ僕がやると犯罪のような気がしてならない。管理人さん、お願いです。早く来てください。
「あらあら、もう大丈夫ですよ」
頭を抱えた僕の前に現れた管理人さんは、どんな時でもいつも通り。慌てず、騒がず、にこやかだ。知り合いのお子さんだったのか、管理人さんからOKをもらって、迷子ちゃんは嬉しそうにアイスを頬張っている。なお迷子ちゃんは、管理人さん宅ではなく、1階の子だくさんな宇座敷さんがしばらく預かってくれるようだ。まあ、同じくらいの年齢のお友だちがいる方が、親御さんが来るまで寂しくなくていいよね。
あ、宇座敷さんちのお子さんたちが、女の子のアイスを見ている。欲しいよお、食べたいよおなんて騒がないところが、逆に辛い。つぶらな瞳が、アイスキャンディーに無言で注がれている。……くううっ、わかったよ、これもあげるよ! 僕は無言の圧力に負けて、コンビニの袋を子どもたちに差し出した。子どもたちが一斉に歓声をあげた。だって、ひとりだけにアイスをあげて、あとの子どもは我慢してねとか言えないよ、僕は!
わらわらわらと、子どもたちに囲まれる。この宇座敷さんちは、本当にお子さんが多いんだよ。僕なんか、何回見ても結局何人お子さんがいるのか覚えられないくらい。大体聞いていた人数よりも、お子さんの数が多いんだよね。かといって、見知らぬ子がいるわけでもなくってさ、みんな知ってる子なの。どれだけ近所の子が馴染んでるの?!
もうしょうがないから、お菓子とかアイスはファミリーパックを買う癖がついちゃったよ。これなら、あぶれる子もでないしね。……出ないよね? コンビニを追加でもう1往復は、さすがに嫌だよ。
あ、タマだ。おまえ、こんな時に帰ってきたらもみくちゃに……もうされちゃったか。がんばれタマ。それでも子どもたちをひっかかないおまえは、いいお姉さんだと思うぞ。
っていうかさ、宇座敷さんといい、比嘉さんといい、やっぱりこのアパートの住人さんは、沖縄出身なんじゃないのかなあ。え、よくわからない? そうだよね、名字の由来とかそんなこと聞かれてもわかんないよね。ごめんね。
じゃあ僕は、部屋に戻るからみんなでアイスを食べてね。食べたらちゃんと歯を磨くんだよ。僕は、やれやれと肩をすくめ自分の部屋に戻るための階段を上がった。