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6.猫又と「僕」のおはなし

 さて、そろそろ行くとしようかね。アタシは朝の散歩と称して見回りに出かける。今ご厄介になっている家族は、居候のアタシの自由を尊重してくれる大変ありがたい一家だ。昨今、放し飼いの猫には厳しい視線が向けられる世の中。誇り高い猫又であるアタシは、家猫として飼われているつもりはない。だが、恩人の顔に泥を塗ることはないように気をつけているつもりだ。何より人間の手で行われるなでなでと、用意される食事は格別である。


 アタシの見回りは、朝と夕の1日2回。この辺りは、割と治安のいい住宅街だけれど、それでもやっぱり怪しいものを時々見かける。妖怪のくせに「怪しい」なんて言うなだって? ふん、うるさいねえ。アタシたちにだって掟はあるんだ。むやみやたらに人をとって食いやしないさ。人間と来たら、喰わないのに同じ仲間を殺したりするじゃないか。あれは、いけないねえ。


 ちょっとそこのアンタたち。ちゃんとサボるんじゃないよ。おかしな奴を見かけたら、アタシのとこにちゃんと報告においで。辺りの野良猫たちに言えば、誰もがみいみいと平伏する。野良猫をまとめるボス猫という立ち位置も、まあ悪くはない。ついでに散歩中の犬たちにも同様に声をかけておく。飼い主がか弱い女性でなければ、犬たちに頼んで時々散歩コースを変えてもらっている。人通りがあることも、防犯になるのだ。大事なのは、まずは未然に防ぐこと。


 そのまま、公園に行けばイライラとしている母親を見つけた。子どもはどうしても家に帰りたくないのだろう。砂場の上でひっくり返って暴れている。けれど母親だって限界なのだ。顔色の悪さから、ゆっくり眠る暇さえないのが見て取れた。同時にベビーカーで寝ていたはずの赤子まで泣き始める。母親のてのひらがブルブルと震え……。その手が子どもに向かって振り上げられようとしたその時。


 アタシは()()を食べた。にゃんにゃん~! 子どもの嬉しそうな声。はっと我に帰った母親が子どもを抱きしめる。ごめんねとか細い声が聞こえた。口いっぱいに広がる黒いもやを、何とか呑み込めば、腹の中から声がした。懐かしい声。可愛らしく小首を傾げながら、みーちゃんとかつての名前でアタシを呼ぶ声。


――たべちゃえばいいのに。たべちゃえば、ずっといっしょだよ?


「およし。全部食べるだけでは、何も変わらないよ」


 アタシの声にきゅんきゅんと鼻を鳴らすと、またすぐに静かになった。やれやれ、溜め込みすぎたかねえ。今日はせいぜいあと数人分くらいが限度かね。


 あたりを見回せば、真っ黒なもやに包まれたスーツ姿の男が見えた。疲れているのだろう、足取りがおかしい。ため息をつきながら向かうのは、近くの会社のよう。会社の手前、交通量の多い交差点の横断歩道。男の身体がゆらりと傾きそうになった瞬間。アタシはまた()()を食べた。


 はっとしたように、男が座り込む。目の前を大型トラックががたごとと車体を鳴らしつつ通り過ぎていった。あんたも疲れているんだねえ。ごろごろと喉を鳴らして擦り寄ってみれば、男がどこかぼんやりとした眼差しのままアタシを撫でてきた。人間っていうのは、大変な生き物だねえ。のんびり昼寝もできやしないんだから。


 その後もアタシは、池の鯉をいじめていた小学生のもやと、老人ホームを抜け出してベンチで怒っていた老人のもやを食べた。ああ、今日はちょっと食べすぎたね。


――ねえ、みーちゃん。どうしてたべないの。みんないっしょなら、さびしくないよ。いたいのも、いやなのも、ぜんぶないよ。いっしょに、ずっとあそぼう。


 アタシの内側から聞こえる声。真っ黒なもやの塊になってしまった、アタシの友達。かつて人間に愛されて、そのまま身勝手に捨てられて死んだ白い犬の成れの果て。もう一体どれくらいになるのかねえ。アンタに喰われかけて、反対にアタシがアンタを取り込んでから。寂しさの塊だったアンタは、いつになったら向こう側に行けるようになるのか。薄皮をむくように、アンタの力は減っていっているけれど、まだまだ長いことかかりそうだね。


 痛みも怒りも悲しみもない、無の世界。それは何とも静かで、寂しいところだろうねえ。アンタは学ばなきゃあならない。誰もアンタに教えてくれなかった、大人になるってことの意味を。食べて終わりじゃダメなのさ。


 人間はしょっちゅう間違える。けれどだからといって、彼らが根っから悪い人間なわけじゃない。


 「正しさ」なんて頭の中でならいくらでも言えるさね。けれど、どうにもならなくてギリギリでみんな踏みとどまっているもんなんだよ。後ろ暗いところがまったくない人間なんて、いやしないさ。それこそ善悪を知らない無垢な赤子以外はね。うつむきながら、振り返りながら、みんな歩いていくのさ。


――よく、わからない。むずかしいねえ。


「アンタも、いつかわかるといいねえ」


 ああ、もうそろそろ頃合だろう。身体を少しだけ友人に明け渡す。久しぶりの全力疾走にくらりと目眩がした。まったく、老体に鞭打つんじゃないよ。のんびりと来た道を、勢いよく駆け戻れば、雪女が後生大事にしている坊やがいた。ふふふ、アタシとは気がついていないようだね。そりゃあそうか。三毛猫の中に白い犬がいるだなんて、思うはずなかろうしね。今日もぼーっと緊張感のない顔をしているねえ。さあて、それじゃあ働いてもらうとするかね。


 足元で盛大に吐き戻してみれば、今日の見回り中に溜め込んだ黒いもやが凝縮した玉が飛び出てきた。このまま放っておけば、人間を害するものになるだろうそれは、坊やの足に踏まれ見事に浄化される。まあまあ、そんなに嫌そうな顔をするでないよ。これはアンタにしかできないことさ。アンタのおかげで、今日もギリギリで頑張っている人間が救われたんだ。


 いやあ、無意識とは言え毎度見事なものだねえ。雪女に世話を焼かれて、河童神社の姫巫女の気を毎日浴びているだけのことはあるってもんだ。まあ、このアパートの「場」というものもあるのだろうけれど、これは今後が楽しみだねえ。


 アタシはふあああと欠伸をしつつ、身体を伸ばす。こう暑くっちゃかなわない。夕方の見回りまで、しばらく昼寝でもさせてもらうとするかね。

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スパダリカラス天狗と天然娘の異類婚姻譚です。
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