25.「僕」とビアガーデンのおはなし
大学の先輩に頼まれて、ピンチヒッターとしてビアガーデンで働くことになった。以前に、ホラー映画のチケットを安く譲ってくれたあの先輩だ。病欠かと思いきや、道端で先輩好みの美人な人妻に赤子を手渡されたら、石のように重くなって動けないらしい。現在進行形で。ここで落とさずに赤子を支え続けられたら美人妻をゲットできるとか、訳のわからないことをどうやって繋いでいるかわからない電話で絶叫された。先輩らしい無茶苦茶な理由だったが、仕方がない。いつもお世話になっているし、1日くらいなら別にいいだろう。そういうわけで、僕はビアガーデンでウエイターをやっている。
夏真っ盛りということもあって、ビアガーデンは大繁盛だ。ホテルの中庭に作られたビアガーデンは、もわっとした熱気に包まれていた。あっちを見てもこっちを見ても、酔っ払い。まあ楽しそうな酔っ払いは害がないからいいけどね。とはいえ、どうせなら僕は涼しくて静かな自宅か、賑やかだけれど自然の音にあふれているBBQ会場で飲むビールの方が好きだなあ。
会場をちょっと見回している間に、続々と注文の品が僕の元に集まってくる。馬刺しにモツ煮込み、焼き鳥レバー、ユッケに、きゅうりの一本漬けに生ビール20杯?! 大学生の集団でも来ているのかな……。それにしては、食べ物のチョイスがちょっと渋すぎるし……。普通、ビアガーデンといえば手間のかからない枝豆とか、フライドポテト、からあげとかが定番メニューだと思っていたんだけど。ここってユッケが出せるんだね。ホテルのビアガーデンって、ちょっと高級なのかな。まあひとさまの嗜好やお店の得意メニューはそれぞれだよね。さあて、僕が運ぶのは8番テーブルっと。
「あ、さっき注文した肉は全部オレのだから。カラスはカラスらしく生ゴミか屍肉でもつついてろよ」
「まったく食事中に品のない単語ばかり。お里が知れますよ。必要なら、再度注文すれば良いだけの話です」
「はああ?! まったくスカしやがって。気に入らねえ」
「あはん、もう喧嘩はイヤだわん♡ 静かにしないと、食べてしまうわよん♡」
「……うるさい」
っていうか、あそこにいるの川辺さんじゃん。男女ふたりずつって合コンかなあ? いくら川辺さんが節操ないとはいえ、メンバーが全員イロモノ過ぎない?
スプリットタンを見せつけるようにしながら、酒をまさに舐めつつしゃべる男はひとりで8人分くらい賑やかだ。両腕にびっしりある鱗模様はやっぱり本物のタトゥーなんだよね?
全身黒づくめの敬語スーツ眼鏡はとにかく面倒くさそう。たぶんアレはホストだな。カトラリーにちょっとでも汚れがあったら、笑顔でねちっこく嫌味を言うタイプ。事前に準備されていた食器類が、汚れていませんように。
それから、あのファビュラスな美人は川辺さんのお友達なのかなあ。ギャル系とはいえ健康的な川辺さんとは別方向の、ゴージャス美人だ。何だろう、ものすごく退廃的で淫靡なんだよなあ。着ているものも黄色と黒の紐みたいな服なので、正直目のやり場に困っちゃうんだよね。セクシーを通り越して、存在がエロい。
あそことは関わり合いになりたくないなあ……って、あれが8番テーブルじゃん……。やだなあ、勘弁してよ。絶対僕絡まれちゃうよ。大体あのテーブル、アホみたいに飲みまくっているけれど、大丈夫? ああいう、無茶苦茶な飲み方のこと、「天狗酒」っていうんだよね。急性アルコール中毒とか勘弁してよ。僕、お客様とはいえ上から下から大変な人の看病はご遠慮させていただくからね。
「お待たせいたしました」
「隣人のよしみで、きゅうりの一本漬けはサービスに……」
「なりません」
配膳中の僕にめざとく気がつき、当然のようにおねだりをしてくる川辺さん。もちろん要望は却下する。僕はただのバイトなんだ。そんな融通を効かせるはずがない。
「うふふ♡ 可愛い坊や、良ければこれから……」
「行きません」
喰われる! いろんな意味で喰われる! 川辺さんの知り合いだから美人局被害にはあわないかもしれないけれど、カマキリとかクモのオスみたいに栄養にされちゃうのは勘弁してほしい。そもそも僕には、愛しの彼女がいるわけだし。
「おい、日本酒もってこい!」
酒乱だ。酒乱がここにいる。あの飲みっぷりに敬意を評して、「蟒蛇」で呼んであげよう。ここはビアガーデンだからね。日本酒なんて置いて……えええ、置いているの? どんだけお客様のリクエストに応えてくれるの。ダメだ、僕のビアガーデンのイメージがどんどん崩れていく。ビアガーデンのビアはどこへ行ったんだ!
「迷惑をおかけして申し訳ありません。お詫びに、どうぞ一杯」
うっわ、超面倒くさい。お詫びどころか嫌がらせにしかなってないし。しかもいつの間にかめっちゃ顔が赤くなっている上に、メガネの奥の目は全然笑ってないよ……。鬼畜眼鏡とか僕には不要の存在です。先輩、人妻ゲットするために体を張ってるの? 毎日こうやって飲まされていて、休肝日を作りたくて休んだんじゃないの?
僕はフロアを見渡して、責任者の人を探した。僕の様子は見えていたらしい。ちょっとだけ困った顔をしながら、小さくうなずいている。ヘルプに入った時に聞かされていたけれど、体調的に大丈夫そうなら飲んでもいいみたい。まあ店的には「店員が呑まなかった」とか言われるよりも、気持ちよく帰って欲しいだろうしねえ。
赤ら顔の鬼畜眼鏡お兄さん(もういっそ天狗って呼ぼう)が僕にくれた日本酒は、びっくりするくらい美味しかった。え、本当に今呑んだの日本酒なのって首を傾げたくなるような味だ。やっぱりホテルに置いてある日本酒は高級だから、水みたいにあっさり飲めるのだろうか。
結局僕は給仕の合間に、なんだかんだで結構な量を飲まされた。最後に川辺さんが、連れが騒いだ詫びとしてよくわからない液体や粉末をくれた。「彼女を幸せにする上できっと役に立つ」と言われたけれど、これ、危ない薬だったらどうしよう。ただの漢方薬だと思うんだけど、万が一法的にNGなものなら返した方がいいよなあ。僕はしばらくの間、プレゼントを前に考え込む羽目になるのだった。
ちなみにその翌日、道端でうんうんうなっている先輩を見つけた。美人妻はゲットできなかったらしい。代わりに片手で林檎を潰せるようになったってドヤ顔していたけれど、女の子がそんなの特技にしてどうするんですか。やっぱり、単に酔っ払っていただけなのかもしれない。まったく本当にテキトーな先輩なのだけれど、僕はそんな先輩がどうしても憎めないのだった。でもね、先輩、僕はビアガーデンのピンチヒッターだけはもう2度とやりませんからね!





