22.枕返しと「僕」のおはなし
朝のおはようのメッセージを「彼」に送っても既読がつかない。マメな「彼」には珍しいことだ。これはおかしいなと思って様子を見に来てみれば、案の定風邪でダウンしていた。荒い呼吸と、苦しそうな寝顔に胸がきゅっと痛くなる。
予想と少し違ったのは、そんな「彼」に向かって黄色い息を吹きかけるいわゆる「風の神」と、嬉々として枕をひっくり返し続けている「枕返し」がいたこと。まったく忌々しい。誰に許可をもらってこの家に入ってるのよ。わたしは舌打ちしながら、氷のつぶてを彼らに投げつけた。
……スミマセン
不意に漂う、しょんぼりとした謝罪の声。アパートの外では今日もお化けひまわりが門番として頑張っているけれど、風の神たちのことをつい見逃してしまったらしい。そうだよね、人間だって家の中にアリが入り込んでもなかなか気がつかないからね。お化けひまわりが風の神たちに気がつかなくても仕方がないよ。別にぐうたら怠けていたなんてわたしも思ってない。
ただ、前回に引き続きまた妖怪の侵入を許してしまっているわけで、当人(当草?)的には心理的ダメージが大きいみたいだ。ショックで枯れたりしないでね。お日様どころか地面を見つめるお化けひまわりが、なんとなく夏の終わりじみていて哀愁を誘う。まあ、お化けひまわりの慰めは後回しにするとして。
「あなたたち、よくも入り込んでくれたわね」
わたしは、むんずとその手を振り上げた。先程から投げ続けているつぶては、もちろんかわされ続けている。ちょこまか、ちょこまかと! 腹の立つことに両者とも逃げ足は天下一品。特に風の神は体が小さいせいで、家具の隙間にもひょいひょいと隠れこむ。もともと、家の隙間から入り込んで悪さを働くのだ。小さな隙間に入り込むのはお得意なのだろう。あなたたち、本当は蜚蠊なんじゃないの! 思わずそうののしりたくなるのをこらえながら、片手を構える。
虫退治ならより適した方法があるわ。今度は、より明確に。某殺虫剤――液体を撒き散らすタイプではなく、氷結させるタイプ――をイメージしながら、風の神を追いかける。念のために言っておくけれど、風の神は名前に「神」がついているだけで、別に神の1柱というわけではない。ただ風邪の菌を撒き散らす妖怪だ。
とはいえ、脆弱な人間にとっては脅威であるわけで、昔から酷く恐れられている。現に「彼」は熱を出して寝込んでいるしね。「彼」の看病をしたいところだけれど、まずはこいつらを叩きのめすのが先決だ。とにもかくにも、風の神を追い出さないことには「彼」の具合も良くならないのだから。
古来より、風の神は暖かさと寒さの隙間をくぐってやってくるのだという。ならば隙間などないくらい、寒さを味わうといいのだわ。くらえ、凍殺ジェットオリジナル――風の神バージョン――!
そのまま風の神と枕返しを氷漬けにする。しばらくげしげし踏みつけた後、わたしは窓の外に放り投げた。どうせ妖怪はなかなか死なないのだし。懲らしめる度合いとしては、これくらいが適切かしらね。ちょうど着地点はお化けひまわりの上だ。お化けひまわりは名誉挽回といわんばかりに、綺麗な歯をカタカタ言わせながら飲み込んだ。
もきゅもきゅもきゅもきゅ、くっちゃくっちゃくっちゃ
なんとなく粘着質な音がするのは、風の神たちの性格が粘着質なせいかもしれない。後のことはお化けひまわりにまかせ、わたしは「彼」の様子を見ることにさせてもらいましょう。
先程までの荒い呼吸はおさまったものの、いまだに表情は険しい。それもそうよね、枕返しの得意技は夢繋ぎ。「彼」はきっと今、未来の分岐点をいくつも見せられているはずだ。これから「彼」が選ぶことになる世界を。あるいはわたしたちが気がつかないだけで、すでに選んでしまったであろう世界を。
時の流れの不可解さはわたしにもよくわからない。まっすぐに進んでいるように見えて、実はわたしたちはおなじところをぐるぐる回っているだけだったりする。
何が正しいかなんて考えることはきっと無意味。ただ、わたしは願うだけ。あなたの幸せを。あなたが笑って暮らせるなら、わたしはあなたの隣に立てなくたって構わない。わたしの心は、あなただけのもの。あなたがひととして幸せに生きられるように。わたしがちゃんとあなたを元の場所に戻してあげる。
大丈夫? ずっとそばにいるからね。
目を覚ましたあなたがほっとしたようにわたしを見つめてくる。今の言葉が聞こえた? まさか、夢の世界のことを覚えている? そんなこと、あるはずないわ。起こるわけもない出来事に少しだけ期待して、そんな自分がバカみたいで、わたしはそっとかぶりをふる。さあ、熱が下がったのならおかゆでもつくりましょうか。食べられるなら、少しでも体にいれた方がいいわ。あなたたち人間には、それは必要なことだから。
ちなみに、風の神たちはお化けひまわりにくっちゃくっちゃと散々噛み噛みされたあげく、通りに吐き捨てられていた。ちょっとお行儀が悪いわね。お化けひまわりからすると、味のなくなったガムを吐き出した気分なのだろうか。まあしぶとい妖怪なので、しばらくすれば復活するはずだ。
「彼」と過ごす夏も、あと少し。たくさんの思い出を作りたいな。わたしは湧き上がる寂しさを押し隠しながら、「彼」に向かって優しく微笑んだ。





