20.からかさ小僧と「僕」のおはなし
「彼」がコンビニへおやつを買いに行って戻ってきたら、なぜかアパートの庭に妖怪が増えていた。一体何を言っているのかなんて野暮なツッコミはやめてほしい。「彼」は、いわば妖怪ホイホイ。お出かけしたら、わさわさ妖怪を引き連れて歩いてしまう。即席百鬼夜行生成機、「彼」はそういうひとなのだ。
頭を抱えたわけでもないのに、申し訳なさそうにからかさ小僧が挨拶に来た。ふむふむ、なるほど、それで君はここにいるわけね。いやいやいいのよ、君のお陰で「彼」は濡れずに済んだわけだし。わたしがからかさ小僧に礼を言えば、少年は嬉しそうににっこりと笑った。わたし、ショタの趣味はないはずなんだけれど、あらまあ可愛らしいわあ。
「あれ、君、宇座敷さんちのお子さんのお友だちだったの? それならよかった。傘、ありがとうね。本当に助かったよ」
「彼」はお礼のプリンを差し出しつつ、偶然の再会を心から喜んでいる。いやいや、そんな出来すぎた偶然ないでしょう。これがサスペンスドラマなら、計画殺人の目撃者とかに利用されちゃうわ。まったく気をつけてよ。
それにしても、「彼」がさっきからからかさ小僧のことをカンタ(仮)って呼んでいるのは、一体どういうことなのかしら。好きなように呼べば良いとは思うけれど、名前を与えることは相手を縛ることでもあるから、あなたとこの子との縁は確実に深まっちゃうわよ?
「みんなでおやつにしよう」
鶴の一声で、わたしたちはアパートの裏庭に並んで座る。からかさ小僧はつぎがあたっている着物を着ているものの、以前に見かけたときよりも随分こざっぱりとしていた。「彼」が傘を修理したり、陰干しした影響だろう。からかさ小僧は、ざしきわらしたちの中にすっかり馴染んでいる。小さな子どもたちがもくもくと無心にプリンを食べている姿は、どこかハムスターにも似ていてなんとも可愛らしかった。
結局その日は雨上がりの庭で、最強の泥団子とやらをみんなで作ることになった。乾かすのに時間がかかるけれど、磨き続ければ宝石のように輝く泥団子が出来上がるらしい。泥団子ひとつ作るのに6時間かかるって、どういうことなの。真剣に泥団子をこねる「彼」とからかさ小僧を見て、男っていうのはいつまでたっても子どもなのねとわたしはため息をついた。
翌日、仕事の帰り道にからかさ小僧を見かけた。
カンタ(仮)が走る。ぴょんぴょんと跳ぶたびに、雨粒がぽつりぽつりと落ちてきた。昨日夕立があったばかりなのに、また今日も一雨くるらしい。わたしは慌てて近くのコンビニの店内に入り、かばんの中を確かめた。よかった、今日は折りたたみ傘を持ってきて正解だったわ。ほっとして雨の降り出した窓の外を眺めていれば、買い物を済ませた男が舌打ちしながら外に出て行くのが見える。男は自然な流れで、傘立てにある1本のビニール傘を手に取っていた。
……あら、あれはさっきわたしと一緒に入店した女性のものではなかったかしら? だって傘の柄の部分に、間違い防止らしい小さなシールがついていたのよ。やだ、傘泥棒? どうしようかしら。少し悩み、後を追いかけて外に出たその時。いつの間にかからかさ小僧が、男のすぐそばにいた。からかさ小僧は、男をじっと見つめている。つぶらな黒い瞳が、今日はどこか沼のように淀んでみえた。不意に、にやりと笑う。
「本当に懲りないかたですね」
男はいきなり目の前に現れた妙な少年を前に、顔をしかめた。雨足がどんどん強くなる。
「昨日、このコンビニで借りた傘はどうしたんです?」
「ああ?」
「ですから、昨日借りた傘はどうしたんです?」
「うるせえガキだなあ。知らねえよ。傘なんて、雨降った時にテキトーに使って、その後はただの邪魔なゴミだろうがよ」
雨が一段と酷くなった。あまりの激しさに身体中が痛くなる。この雨は、からかさ小僧の怒り。持ち主から奪い取られた傘たちの恨み。傘を粗雑に扱う目の前の男への深い憎しみ。
「あなたが乱暴に扱ったせいで、あの子の傘は折れてしまいました。大事に使ってくれていたのに。これは、骨を折られた痛み」
あああああああああああああ!
目の前で突然、男がのたうち回り始めた。強い雨のせいで周囲のひとにはよく見えないのだろうか、助けようとするひとは誰もいない。
「あなたが投げ捨てたせいで、あのひとの傘は今も川底に引っかかっています。これは、役目も果たせず囚われている苦しみ」
ごぼごぼ、ごぼごぼっげぼぐぼっ
男は、陸の上だというのにまるで溺れているかのように踊り狂う。その姿はブレイクダンスにも似ていて、わたしの唇は思わずふわりと弧を描いた。
ひゅうひゅうと荒い息をする真っ青な顔をした男。からかさ小僧はその上に覆いかぶさる。いつの間にかとても大きくなっていた、傘。男の姿はどこからも見えない。
くちゅ、ぐちゃ。ぐちゅぐちゃぐちゃ、ぬちゃり。
「あら、全部食べてしまったの?」
静かになったところで声をかけてみれば、困ったようにからかさ小僧は微笑んだ。
「まさか、俺みたいな弱小妖怪にはそんな力はありませんよ。傘を傷つけたぶんだけ、自分に痛みが跳ね返ってくるようにした。ただそれだけのことです。このひとはちょっとやり過ぎました」
普段は穏やかなからかさ小僧が怒るくらいなのだ。この人間は、確かにやり過ぎたのだろう。からかさ小僧はわたしに会釈すると、またぴょんぴょんと跳ねていく。いつの間にか雨は上がっていた。ひらりと越えたみずたまりには、青空の切れ端が映っている。きっと少年は、また傘を必要としているひとのもとへ行くのだろう。
からかさ小僧に懲らしめられた男は、道の端っこで泡を吹いて寝そべっている。このままでいても、ここは昼間の住宅街。死ぬことはないだろう。ほら、気のいい住人たちがちゃんと警察と消防に連絡をしてくれている。
わたしは傘をたたみ、帰り道を急いだ。あ、そうそう、あの呪い、ちょっとしたおまけがあるんですって。今まで自分が盗んだ傘の数×年数ぶんだけ、傘に縁がなくなるんだとか。ふふふ、本当に優しい妖怪よね。怒った雪女は大抵相手を殺してしまう。そんな自分たちからは考えられない選択に、わたしは思わず感心した。
ああでも、ヘリコプターとか小型飛行機に乗るのもやめておいた方が良いでしょうね。今の状況では、「落下傘」も使えなくなるもの。真っ青な空に響き渡る綺麗な悲鳴を想像する。まあどう頑張っても、長生きはできないから別にいいのかしら。「傘寿」のお祝いはありえないのだし。
見上げた雨上がりの空には、綺麗な虹がかかっていた。





